米軍基地の県内移設を公約した
沖縄・新知事と日本政府のツケ
新崎盛暉
だが、その原因は、八年間の大田県政それ自体にあったわけではない。中央政府と地方政府(県)の間に存在する巨大な力関係の差を毅然とした態度で克服することができなかった知事の手法のまずさにあった。そこを政府や稲嶺陣営に最大限に利用されたのである。
逡巡したあげくの大田知事の海上基地反対の意向表明以来、政府は、口実を設けて知事との接触を一切断ち切り、そのことによって、沖縄社会にある種の閉塞感をつくりだした。政府とタイアップした稲嶺陣営は、大田知事の海上基地反対の見解表明が、まるでそれまでの政府との暗黙の了解に対する裏切り行為であるかのように描き出した。その上で稲嶺陣営は、経済的不況と社会的閉塞感を強調し、「流れを変えよう」と呼びかけたのである。それが一定の効果をあげたことは間違いない。
では、この選挙結果を受けて、今後、どのような状況の展開が予測されるだろうか。
稲嶺氏も、最大の問題である普天間基地の代替施設としての海上基地には反対であるとし、また、これまで「海上基地こそ最良の選択肢」と主張してきた政府も、投票直前になって「建設計画の見直し」を明らかにして、稲嶺氏をバックアップした。稲嶺氏の公約は、北部に、一五年間の期間限定付きで、臨空港型産業とセットになった軍民共用空港をつくるというものである。
だが、それは口で言うほど簡単ではない。北部といっても、具体的な場所も明らかでない。最長一五年間という期限は、二〇一五年までに米軍基地をなくしたいという大田県政の基地返還アクションプログラムを念頭に置いてのことだろうが、アクションプログラムを無視し続けてきた日本政府が、この条件をアメリカ側に受け入れさせることができるのだろうか。提案することすらできそうにない。
もともと普天間代替施設は、いくつかの陸上の候補地を転々としたあげく、海上にはみ出さざるをえなかったのである。とりわけ、日米両政府も沖縄県もある程度乗り気だった嘉手納基地統合案が、地元の強い反対もさることながら、米軍部の強硬な反対で頓挫したという事実を思い起こしておくことは無駄ではない。つまり、軍々共用も不可能なのに、どうして軍民共用可能な施設がつくれるのか、ということである。それどころか、すでに本誌一〇月二三日号でも指摘しておいたように、アメリカ側が求めているのは、次世代主力輸送機MV−22オスプリの配備を前提にした最新鋭基地である。
もはや普天間代替施設の県内移設は不可能なのである。不可能なことを公約した稲嶺新知事と日本政府は、そのツケを払わなければならない。だが逆にいえば、そうした公約をせざるを得なかったところに、この間の反基地闘争の成果が反映されている。
この問題は、新ガイドラインや周辺事態法ともからんで、全国的論議の場で解決されなければならないのはずのものである。
最後に経済問題にふれておこう。稲嶺陣営は「県政不況」という沖縄だけにしか通用しないキャッチ・コピーをつくり出して、不況の責任を政府の信頼を失った大田県政に転嫁して点数を稼いだ。そして全国平均の二倍(九%に近い)という失業率をクローズアップさせた。だが、全国平均の二倍という失業率は、復帰後一貫して変わらない経済構造上の問題である。三期一二年に及ぶ西銘自民党県政もこの問題を克服することはできなかった。昨今の急激な失業率の上昇は、全国的不況によって若者たちが出稼ぎ先を失った結果である。
だが稲嶺新知事は、政府との信頼関係の確立によって、「県政好況」をもたらすことを約束したのである。そんなことが、はたして可能であろうか。
(あらさき もりてる・沖縄大学法経学部教授)