沖縄県収用委員 第8回会審理記録
河内謙策
河内謙策:
弁護士の河内です。わたしは真栄城玄徳さん、有銘政夫さんらの代理人でございます。わたしは真栄城玄徳さん、有銘政夫さんらの意見陳述を前提にして、主として、地籍不明地の法律的問題について、意見を述べさせていただきたいと思います。
地籍不明地につきましては、未認証土地という言い方もありますけれども、わたしは地籍不明地という言い方で統一させていただきます。
みなさんもご存じの通り、去る沖縄戦によって、土地の公図、公簿のほとんどが焼失し、戦災と米軍基地の建設等によって、明治政府により整理された地籍の混乱が生じました。戦前においては地籍が明確であったのであります。ところが沖縄戦の悲劇により、地籍の混乱が生じたのであります。これが、地籍不明地問題の原点です。
そこで、まず問題となるのが、そもそも地籍不明地は駐留軍用地特別措置法、土地収用法に基づく、強制使用の対象になるか。そもそも地籍不明地は駐留軍用地特別措置法、土地収用法に基づく強制使用の対象にならないのではないかということです。わたしは強制使用の対象にならないと考えます。なぜなら土地収用法37条1項1号、40条1項2のイなどの規定から分かるとおり、土地収用法は、地番、地籍が不明の土地は強制使用は出来ない、こういう前提にたっていると考えられるからです。
また、地籍明確化法が国会で審議されました1977年4月19日に当時の三原防衛庁長官は、内閣委員会において、「位置、境界が現地に即して確認できない土地につきましては、使用する土地を現地に即して特定できないため、これらの法律による使用について、使用の手続きをとることが出来ません」と述べています。
このように、国は1977年当時、はっきりと地籍不明地は米軍用地特措法の適用はできないといっていたのです。そういっていたにも関わらず、その言を翻し、今になって、地籍不明地でも強制使用は出来るというのは、明らかな矛盾ではありませんか。
わたしは、地籍不明地はそもそも強制使用のならないと考えますけれども、もし仮に、強制使用の対象になるとした場合であっても、真栄城さん、有銘さんのケースにおいては、裁決申請した土地が特定していないとして却下されるべきであると考えます。以下、理由を述べます。
法が土地調書に実測平面図の添付を要求していることからも明らかなように、裁決申請された土地と、土地調書に添付された実測平面図により図示される土地が異なるならば、裁決申請された土地が特定していないものとして、平たく言えば、施設局の裁決申請がはっきりさだまっていない、あやふやなものであるとして、却下されなければなりません。
具体的事例を考えてみましょう。例えば、東山田35番の土地が裁決申請されている時に、東山田36番の実測平面図が東山田35番の実測平面図として提出されているとします。もう一回繰り返します。例えば、東山田35番の土地が裁決申請されている時に、東山田36番の実測平面図が東山田35番の実測平面図として提出されているとします。この時には、実測平面図だけを見ると、東山田35番と書いてあります。裁決申請は東山田35番。実測平面図を見ると東山田35番と書いてありますけれども、しかし、実測平面図により実際に示される土地は東山田36番の土地です。従いまして、裁決申請の土地と実測平面図の土地には食い違いがあることになり、却下されなければいけないのです。そこで、実測平面図により、図示される土地が、本当に裁決申請書に記載された所有者の土地かどうか、本当に裁決申請書に記載された所有者の土地かどうか、実測平面図により図示される土地の境界が本当に、その土地の境界といえるかどうかが問題になります。
真栄城さんも有銘さんも、1947年の土地所有権申請書に基づいて作成された1948年の地図を元にこの問題を論じ、いずれも今回土地調書に添付された実測平面図により示された土地が自己の所有地でなく、境界の異なることを主張、立証いたしました。
真栄城さん、有銘さん、それぞれ、具体的に主張されましたが、基本は共通です。改めて述べますと、1948年の地図は正しい。だけれども、防衛施設局が提出している実測平面図、そのもとになっている現況地籍照合図は間違っている。この違いは地図と地図を比べてみれば明らかだという事が、真栄城さん、有銘さんの主張なのです。これほど、明白なことはありません。わたしは、1948年の地図が真実であることについて一言補足させていただきたいと思います。
防衛施設局が実測平面図を出して、なんの説明もしないのとは対称的に、有銘さんも真栄城さんも、1948年の地図、そしてその前の土地所有権申請書が如何に正しいかということを述べられました。
わたしは法律家なので、やや難しく説明させていただきますと、1948年の地図は米国海軍軍政法指令第121号、土地所有権関係資料収集に関する件等に基づいて、いわゆる土地所有権認定事業の中で作成されたものです。当時は、測量技術も不十分で、基地内立ち入りができなかった等の事情もあったので、同地図は現地復元力を有するというほど、正確なものではありません。
しかしながら、土地所有権認定申請書、および、1948年の地図は、戦後まもなく従前の地籍について記憶している人が多く生き残っていた状況の下で作成されたのです。従って、土地の辺の長さが厳密に正確かどうかと言えば、そういう距離の点や土地の面積の点については、信頼性はやや薄いと言えますが、土地の配列、つまり土地の並び方、その土地の上に、土地の東に、土地の西に、土地の南に、どういう土地があったかとういうこと、現地の地番、その土地のまわりの地番はどういう地番であったかということ、その土地の形、形状、あるいは隣地の所有者が誰であるかについて、はまちがうはずがありません。
1947年土地所有権申請書に基づいて作られた1948年の地図の信頼性は、土地の並び方や地番や形状、隣地の所有者についての信頼性は極めて高いものと考えられます。
一方、実測平面図、現況地籍照合図、何回も繰り返しますが、防衛施設局が出しているのは、実測平面図であり、その元になっていると思われるのは、現況地籍照合図です。その実測平面図、現況地籍照合図は、戦前の土地の位置境界を復元した元に戻したというよりも、未認証地域の地籍明確化のための集団和解案という性格を有していることは、よく知られている通りです。つまり、戦前の土地がどこにあったかというよりも、お互いに譲り合って地籍を明確化にするために作られた和解のための案なのです。
1982年生4月1日の、あの悪名高い沖縄県収用委員会の採決も、地籍明確化法等により、認証された土地でも、必ずしも戦前の位置境界を正確に確認したものとは言えず、むしろ、上記認証土地の位置・境界は地籍明確化法等により、新しく設定された位置・境界であると解するを相当とすると述べています。
従って、今、問題になっている戦前は明確であった有銘さんの土地、あるいは真栄城さんの土地がどこであるかという事について、現況地籍照合図や実測平面図を持ち出すことは、そもそも無理があるのです。
防衛施設局は本年2月21日の申請理由説明要旨において、先ほど有銘さんが指摘されましたように、位置境界明確化手続きを完了していない一部の土地についても、位置境界明確化作業を通じ、現地に即して特定できる状態になっていると述べていますが、現地に即して特定できるとはどういうことなのか。この日本語はどういう意味をもっているのか。防衛施設局は一体説明できるでしょうか。もし説明できるとすれば、要するに、土地調書に添付されている実測平面図は現況地籍照合図の一部でございますということしかあり得ません。
しかし、先ほど述べましたように、現況地籍照合図は和解案で、和解案は、和解案に過ぎません。和解案をいくら特定しても、和解が成立しない以上なんら法律的効力を有するものではないことは法律の常識に属することです。例えば、A、B、C、D、という4人
の人間が話し合い、B、C、Dが100万円ずつAに払うという和解案が出来たとします。Aに対してBは100万円払わなくてはいけない。Cも100万円払わなくちゃいけない。Dも、100万円払わなくてはいけない。こういう和解案が出来たとします。しかし、事情により、Dはこの和解案に反対しました。そうすると、和解案は成立しません。AがDに向かって、和解案が成立する直前だったんだから、その和解案通り、その100万円俺によこせなんていう裁判をやったら裁判では笑いものになることは法律の常識です。
防衛施設局は実測平面図により図示された土地が、真栄城や有銘の土地であり、実測平面図により図示された土地が真栄城や有銘の土地の境界であることを実証しなければいけないのです。
何回も言います。主張立証責任は防衛施設局にあるのです。防衛施設局は、にもかかわらず、十分な立証をしておりません。それは、今後も不可能でしょう。実測平面図、現況地籍照合図の個々の具体的矛盾については、真栄城さん、有銘さんが見事に実証されました。スライドですこし見えにくかった点もあるかと思います。この点につきましては、収用委員会にきちっと書面で再び私たちの意見を提出したいと思いますので、時間の関係で省略しますが、何回も繰り返しますけれども、1948年の地図と実測平面図、現況地籍照合図の違いは誰の目にも明らかである。1948年の真実性も又明らかである以上、防衛施設局の立証はわたしは不可能だと思います。
防衛施設局は先に引用しました申請理由説明要旨のなかで、自分達の主張が収用委員会の過去の裁決においても認められていると強調しています。これ自体は自己の非論理性、没論理、これを棚上げにした誠に情けない、そういう主張と言うべきですが、吟味してみることに致します。
真栄城、有銘の土地に関わる裁決申請についての1987年の2月24日の沖縄県収用委員会の裁決は地籍明確化により、未だ認証されていない土地であっても、前記の通り、地籍編纂図、調査地の作成手続き等、および所有者として登記がなされていること、隣接地の所有者らによって、その境界が確認されていることに徴すると、本件未認証の土地はその地目、地籍がその範囲において明確にされていることを認めることができる。従って本件裁決申請に関わる土地は、特定されているものと認められると述べております。この裁決は論理が不明瞭で日本語になっておりません。
例えば、肝心の本件未認証の土地がその境界が明確にされているという言葉が一言もありません。しかし、このかくも悪名高き収用委員会の論理を善良の立場で解釈するとしますと、地籍明確化手続きが完了していない以上、その作業途中において作成された地図は集団和解案以外のものであり得ないことは先に述べた通りです。和解案であっても真実が含まれているのではないかという反論もあるかもしれません。一般論としてはそう言えるかも知れませんが、本件の場合、如何にでたらめであるかどうかは、真栄城さん有銘さんが実証された通りです。また、所有者として登記がなされていることと、実測平面図に示される土地の所有者はだれかということは無関係です。
また、一方の隣地所有者の支持によって境界が決まるということもあり得ないことです。先ほど、有銘さんがいわれましたように、よく10-9=1というふうにいわれます。他の人はみな納得しているんだよ、納得してないのはお前だけだよ。だから10-9=1で、おまえの土地はこれだけだよ、という風に決まっているんだという風に言われます。
1987年の収用委員会の裁決もこのことを前提にしている用ですが。よく考えますと。9も含めて。こわだ小字全体のすべての土地が地籍不明地なのですから、10-9=1という論理はそもそも成り立たないのです。むちゃくちゃと言うほかはありません。
なお、国が大田沖縄県知事を相手にして、代理署名を求めた昨年3月25日の福岡高裁覇支部判決は地籍不明地の強制使用の是非、および地籍不明地の裁決申請の適合性について判断した議案ではないことを申し添えておきたいと思います。
わたしは第1回の収用委員会において、収用委員会は勇気をもって判断していただきたいことを強調いたしました。この地籍不明地の問題、これほど、施設局の申請に矛盾があるにも関わらず、過去の収用委員会は、臭いものにフタをする、挙げ句の果ては陳述の制限までして、論理にならない論理で施設局は救ってまいりました。こういうことは二度と繰り返されてはなりません。
以上より、沖縄市字森根石根原359番、361番に362番、385番の裁決申請および、沖縄市字森根伊森原272番の土地の裁決申請は、いずれもすべて却下されるべきです。そのことは明々白々であります。以上をもって陳述を終わります。
当山会長:ありがとうございます。それでは総括陳述を吉澤弘明さん、お願いいたします
写真提供:顔写真(上原成信)