沖縄県収用委員 第5回会審理記録
長嶺良美 伊江島反戦地主
当山会長:それでは再開したいと思います。えー、引き続き地主の方のご意見をうかがいたいと思います。えー、まず長嶺良美さん。
長嶺良美:
わたしが、えっと、昨年父から土地を譲ってもらって、新しく反戦地主になった長嶺良美といいます。わたしも数年前から、子育てを終えてお金に余裕が出来たら、一坪でも買って、反戦地主としてささやかな抵抗をしようとは思っていましたが、父から、買い受けるという「じんぶん」(注:知恵、考え)は少しもありませんでした。
わたしたち兄弟5人は、小さい頃から、父や母の、戦争へ行く訓練の為に土地を貸すと言うことに反対する後ろ姿を見て育ちました。
ちっさいころ、まだ馬で畑を耕している頃、射爆場へ、休日になると草刈りにいくのですが、あちらこちら、戦争の跡の大きな穴があいていて、馬がそこへ落ちて足を折り、部落の人たちが、大勢でその馬を殺して運んできたのです。不安とかわいそうと言う気持ちと、なんと表現したらいいのか、大人になってもわかりません。
わたしの従弟の兄さんが、草刈りに行き、流れ弾に当たって生命をなくしました。小さかったわたしには、大人は詳しいことはいいませんでしたが、とても、とても、とても不安でした。二晩も泣きたい気持ち、不安な気持ちで過ごしたことを今でも忘れられません。
弟が2、3才の頃だったと思うんですけれど、落下傘降下で、落下傘が下りてきて、弟の上におおい被さりました。それまでは、落下傘が降りると、子どもたちは、弟もそうですけれど、落下傘を見に走っていくんですよ。アメリカ兵と仲良くしたり、そういうこともあったんですけど、それ以来、弟は落下傘を見に行くこともなく、とても不安だったと思います。小さいときの不安というのは、大人の感じる不安より、とってもとっても大きいものだと思います。
わたしは土地というのは、作物を植え、収穫したり、花を咲かせたり、みんなで集って踊ったり、スポーツで汗を流したりする、楽しみのためのものだと思います。
お金には、死に金と生き金があると先輩達はいいます。わたしもそう思います。仕事をして得るお金というのは、人を豊かにすると思います。苦労もします。努力も必要です。忍耐も。これを乗り越えなければ、人を思いやる心、やさしい心の人間には育たないと思うんです。イェーキヤー(金持ち)の子は2代目が駄目だということをよく聞きます。汗水しなくてもお金が使えると、「じんぶん」も人間も貧しくなると思います。
ですから、わたくしは、国を守ってあげるという美名の名の下に、人を殺しに行くために使われる土地は貸せない。人の心を怠け者にするための、お金の入る軍用地に使用するために反対していこうと思っています。なによりも、命どぅ宝。子どもたちの未来のために、戦争のない伊江島、沖縄であってほしいと願っています。
父も、軍用地を譲るということは、わたしに生活の糧として譲ったんではないと確信しています。子どもたちの平和のために、無農薬野菜を作って、子どもたちに食べさせたいと思います。早く返還してくださることをお願いして、終わります。
(拍手)
当山会長:はい。ごくろうさまでした。それでは次に、知念忠二さん。