沖縄県収用委員 第5回会審理記録

謝花悦子 伊江島反戦地主


当山会長:どうぞ、あの、足が不自由でしたら、座ってでも、結構ですから。

(謝花さんは、足が不自由であり、マイクを下げ、席にすわったままで発言する)

当山会長:あの、直、すぐ真ん前に座っておられる方、席をずらすかしていただけますか。顔が全然見えないもんですから。すいません。

 はい、どうぞ。

(拍手)

謝花悦子:

 みなさん、今日、これだけお集まりいただいて、伊江島の実状を聞いていただくことを大変ありがたく思います。収用委員の先生方にも、伊江島の真実を、一人一人の思いを、一言も残さず、お聞きいただいて、人間として、正しい、審理をしていただきますことをお願いいたします。

 戦争というのは、今、話されたみなさんはごく一部です。最初に話された浦崎さんが言われたのも、今までずっと述べられた方々の意見というのは、ごく一部であります。一年も一生も話しても尽きない事実をみんな持っております。そして、戦争体験というのは、それぞれ全部違うと思います。わたしも反戦地主として、そして阿波根昌鴻とともに、30年余をいっしょに行動してきましたけども、たくさんのことを、みなさんそれぞれの立場から話されておりますので、わたしは、わたしなりの体験を話させていただきます。

 戦争は、すべて、すべての不幸の根源だとわたしは思います。戦争の残酷さ、無駄、愚かさ、体験した日本が、戦後52年目の今日、去った戦争よりも軍備を強化していくことに驚いております。

 わたくしは4才に発病し、病院を点々と入院、治療に時間を費やしましたが、病院には医者はなく、インターン生に誤った治療をして、インターン生が誤った治療をしてしまいました。とうとう、この病気は治りません。助かりませんから、家に連れて帰って栄養を取り、体力をつけてくださいといわれました。それからというもの、熱と激痛に連日苦しみました。直らない病気、生きることができないといわれ、激痛に苦しむわたしを目の前に、家族もまた、わたしと同様に苦しみ、闘いの日々を送りました。

 戦争中も動けないわたくしを、家族や回りの人たちはしっかりと守ってくれました。わたしの父は、昭和18年に支那事変の戦場から帰ってきた、その時、伊江島の軍備を目で見て、こういったんです。これだけの軍備をされてしまっては、この島で生き延びることはできない。軍隊は軍備のあるところに攻撃するものだと。だから、家族を村外に疎開させました。父の言葉通り、島に残っていた家族は、全員還らぬ人となっております。

 わが家族を含め、人間だけでなく、2年半ぶりに帰った、わたしたちの島、伊江島は、一件の家もなく、木一本も無く、変わり果てた姿に、驚きと悲しみに、打ちのめされました。これが戦争というものかと、始めて体験しました。 こうした悪夢も、悪夢のような日々から、世の中も落ちついてから、戦後始めて、わたしは痛み止めを打つために、本島の病院に行きました。診断を受けたのは、宮崎県から来たお医者さんでした。この病気は発病当時なら飲み薬だけで治せたのに一体どうしたのかといわれました。それを聞いたわたくしは、前身に怒りがこみ上げてくるのを感じました。あの時の怒りは今も忘れません。一生忘れないと思います。そして、手術になりました。わたしの体は3回大手術を受け、分解されてやっと松葉杖で歩けるようになりました。その前は寝たっきりでありました。

 わたしの発病当時は、病院に医者はいなかったのです。戦争中、医者はすでに軍医として駆り出されていたのです。つまり戦争がなければ、病院にはちゃんとした医者が、治療を受けたならば、わたくしは、障害者にはならなかった。戦争というのは、人間が起こしたものである。台風や地震や自然災害とは違います。その戦争によって、どんなにたくさんの障害者が出たか。治せる病気も治せない。命までも奪い殺したのです。

 あの、52年前の戦争によって、殺され壊され奪われ失った悲しみと痛み、怒りは何十年立っても忘れられるものではありませんが、国は反省どころか、再軍備の強化も押し進め、基地がある故に事件事故が相次ぎ、戦場さながらの演習が今日まで続けられている。こんな恐怖の生活から、一日も早く解放されたい。国は平和な社会をつくり、国民の幸せのために研究をしてもらい、そのための予算をとってもらったなら、50年を待たずに世の中は、本当の平和な社会がつくられると確信しています。

 日本国内には、140箇所もアメリカの軍事基地があると言われています。土地も提供し、毎年642億円も米軍基地の予算を出費しているという、日本。これだけの消耗のために、国民の血と汗で築いてきた土地を取り上げ、税金を搾り取り、経済的にも差別をし、いじめ尽くされてきた反戦地主は、国のためにもこれ以上、だまってはおられません。

 土地は、殺すためにあるものではありません。土地は生産し人間が豊かに生きるためにあります。軍備を無くし、武器をつくる金で農機具をつくってもらい、全国の農業者に配付してもらいたい。そうなれば、農産物のコストも下がり、消費者の生活も助かり、楽になります。

 沖縄県民への反省と、責任の立場から考えてもらいたいのです。この世の中で、一番の宝は命であると思います。そして、一番ありがたいのは健康だと思います。

 そして、一番大切なものは平和と思います。この3つが備わった時、本当の幸せが得られるのでは無いかと思います。

 もう、軍備はやめてください。戦争中は老人子供、障害者と弱い者から殺されました。置き去りにされたり見失ったり、家族がバラバラになったところもたくさんあります。

 戦争は、弱い者はじゃまと、先に殺します。平和は弱い者を先に助ける。これが人間の道ではないでしょうか。戦争への道は人間への道ではないと思います。わたしのように、障害者じゃなくても、長生きしたら必ず老人になります。不自由になり弱くなります。

 どうか、収用委員の先生方のみなさん、過ちを繰り返さないようにしてください。軍備は、国を滅ぼすものです。土地がなければ人間は生きることができません。毎年沖縄の基地に出されている2700億円という大金を平和のために使わしてもらいたい。

 去った戦争であれだけ、いじめ、痛みつけられた沖縄県民に、基地の強化は許されません。防衛施設庁のみなさん、戦争準備のなかからは、憎しみがでます。人間として、平和な社会づくりと幸せの道へ、手に手を取って、一緒にがんばろうではありませんか。

 軍備のための基地は、なければ、わざわざ伊江島から出てきて、本土の方々も、あれだけたくさんの方々に時間を費やさないでも済むのです。二度と愚かな無駄をつくり返さないために、基地に反対し、軍備に反対し、戦争に反対する訴えを終わります。ありがとうございます。

当山会長:はい、どうもありがとうございました。えー、それでは、ここで休憩に入りたいと思います。15分ほど、45分頃から再開致します。


  出典:第5回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉

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