1 基地返還状況

 本市の中央部に広大な面積を占める普天間飛行場は、第二次世界大戦以降、米軍による強制土地接収が執行されて建設された。強制接収により、多くの市民が立ち退きを余儀なくされ基地周辺に変則的に集落を形成して以来、ドーナツ型市街地としての自然的発展を遂げてきた。

 本市の軍用地は今日までに、キャンプブーン、キャンプマーシー等を中心に約50haが返還されてきたが、平成2年12月31日に陸軍貯油施設が返還されたとは言え、依然として普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧の2施設があって市域の約33%を占めている。これらの施設は都市計画等、市の発展に大きな障害となっている。

2 航空機事故等の発生状況

 米軍基地普天間飛行場は、市の中央部に位置し、滑走路が住民地域である東西に延びた飛行場で、一日に数十回という離発着及び住民地域上空での旋回飛行訓練を行っている状況である。このような状況の中で同飛行場所属の航空機が飛行場内での墜落事故を含め、県内外で数回墜落事故を起していることから、万一、住民地域へ航空機の墜落または落下物があった場合は大惨事になる危険性が常在している。

 普天間飛行場所属の航空機事故は、昭和55年10月、同飛行場内においてOV-10ブロンコの墜落、昭和578月、UH-1Nヒューイが普天間第二小学校からわずかな所に墜落し、やがて大惨事になるところであり、また、同飛行場の航空機墜落事故は、従来飛行場内で発生しているが、住民はこのような事故が発生するたびに基地の存在に一層の不安と恐怖を募らせている。

 なお、基地周辺地域における米軍航空機事故等に対処するため、防衛施設庁、米軍、県等関係機関に強く抗議し、事故防止のため住民地域上空の飛行停止及び航空機が同飛行場内を含め県内外で起こした墜落事故中で昭和61年以降のものを次表で示した。

 なお、それ以前にも沢山あるが、紙数が限られている関係上省略する。


基地の概況(宜野湾市)目次


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