『海の向こうの火事』書評(2)
『毎日新聞』・『すばる』

 

『毎日新聞』 1990.9.17

  ベトナム戦争――
 
現代の戦争、再考の材料に

    
 (前略)

  「アメリカ人にとってのベトナム戦争」に焦点を合わせたこの本(同朋舎出版刊『NAM 狂気の戦争の真実』のこと、吉川注)と対照的に、トーマス・R・H・ヘイブンズ著『海の向こうの火事――ベトナム戦争と日本 一九六五――一九七五』(吉川勇一訳、筑摩書房・三、九一〇円)は副題のように、この戦争と日本とのかかわりを追及している。
 著者は米コネチカット大教授で、東洋史・日本史専攻。原書は一九八七年に出版された。訳者の吉川氏は、事務局長として小田実氏らとともに「べ平連」の先頭に立って活動した人だ。
 いかにも歴史学の大学教授らしく、ヘイブンズ氏は多くの証言や資料をもとに、事態の経過を追って日本のベトナム戦争とのかかわりを詳細に記述している。その対象は、政治・外交はむろんのこと、貿易、社会、文化に及ぶ。「べ平連」の活動を中心に、この間の反戦運動の動向についても、かなりのぺージがさかれている。氏は、この著書のために八四年から八五年にかけて多くの日本人にインタビューも行った。
 日本人の読者として見逃せないのは、ヘイブンズ氏が、アメリカとの貿易摩擦というかたちに至った日本の今日の物質的繁栄は、ベトナム戦争によって形づくられたとみていることだろう。《この戦争によって、すべての分野から日本の企業が得た収入増加分は、一九六六年から一九七一年までの期間中、年平均、最も低く見積もっても一〇億ドルだったといっていいだろう》と、氏はいう。
 直接の特需に加え、アメリカの戦時好景気による対米輸出増、さらにそれぞれ特需契約を抱えた韓国、台湾、東南アジア諸国などへの輸出増が大きかった。《長期的に見てこの戦争が与えた最も大きな影響とは、また最も皮肉なものでもあったろう》として、氏は《アメリカの最も消極的だった同盟国の一つであった日本は、サイゴン政権を救うための八年間の戦争の最大の受益者となったのである》と記している。
 (後略)

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ブックファイル『すばる』 1990.11月号

 海の向こうの火事

  この本の原著がアメリカで刊行されたのは三年前のことで、当時日本にはヴェトナム戦争と日本の関わりを真っ向から分析した本は事実上なかった。わずかに谷川栄彦編『ベトナム戦争の起源』が日本の政財界の深い関与を指摘していただけで、あとは(少なくとも出版情勢の上では)誰もがそんなことはありもしなかったように健忘症を決め込んでいたのだ。

 この本の題名には、そんな太平楽なこの国の社会体質に対する批評がこめられている。「海の向こうの火事」とは要するに「対岸の火事」であり、米政府・軍に対する実質的な戦争協力がどんなに深くなっても、最後まで「出来るかぎり離れているよう全力を尽くし」通した日本社会の(おそらく現在のイラク問題にも相通ずる)姿勢を、確かによく言い表わしている。

 著者の論点は、大きく三つ。第一は、当時の最も強力な反戦組織であったべ平連の運動が、鶴見俊輔を典型とする知米派リベラル・エリートたちの理想主義的なアメリカ観の幻滅の顕在化の展開でもあったこと。第二は、彼らと全共闘左翼の問の齟齬。そして第三は、「対岸の火事」を決め込む大方の庶民たちを巧妙に操った佐藤栄作政権の手腕をプラクティカルな観点から高く評価していること。

   この最後の点には異論も少なくないはずだが(事実、べ平連事務局長だった訳者は後記でこれに触れている)、この本はむしろ議論の契機としてあることを忘れてはならないだろう。〈鍵〉

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