28. 近況報告――「要介護1」の認定、変形性頚椎症のことなど。(2007/02/09記入)

 
数ヵ月、顔をあわせる機会がなかった知人に会って、久しぶりに会話を交わしていると、「思ったより元気そうじゃないか、顔色もいいぜ」などと言われます。また、電話での会話でも、「元気そうな声だな。調子よさそうだな」などとよく言われます。もちろん、悪気があってそんなことを言うはずはなく、私の健康状態を心配していてくれたからこそ、そう言ったのだということはよくわかるのですが、実際はそんなに元気でもなく、調子も良くないので、どう返事をしていいのか途惑います。しかし、多く の人からそういわれるところを見ると、見かけの顔の色艶や、電話の声などは、健康そうに見えたり、聞こえたりするのかもしれません。
 でも、だから、もうちょっと仕事をさせてもいいだろう、まだやらせてもいいだろう、などと思われるのも困ることです。そこで、健康状態の近況をご報告しておこうと思います。
 介護保険制度による介護度認定は、毎年行なわれ、その都度、市の職員か、市が依頼した介護士などの面接による調査、主治医の意見書などが、その認定の根拠とされます。昨年の改定後、私の介護度は、「要支援」という、介護保険による支援を受けられる認定の中では一番軽いランクのものでした。しかし、これによって、週2回、ヘルパーさんに来てもらって、床の拭き掃除や浴槽の清掃などをお願いできていました。 昨年暮、認定を新たにするため、再度面接が行なわれたのですが、それによる認定結果の通知が遅れ、なかなか来ませんでした。主治医からの意見書が遅れているため、という理由でしたが、でも認定結果が1ヵ月も遅れてくると、心配になってきました。政府の政策では、支出を削減するために、できる限り認定度を低くさせようとしているからです。
 ところが、1ヵ月ほど遅れて届いた認定結果の通知は、なんと「要介護1」というものでした。つまり、1ランク上がっているのです。ケア・プランをつくってくれているマネジャーも、珍しい事例ですね、と言って、主治医の意見書の文書開示を求めて、コピーを入手してくれました。それによると、「転倒等による骨折などに注意」というようなコメントも付いていました。確かに、歳とともに、ちょっとした道の段差につま先がかかってよろけてしまう、などということがよく起こるようにはなっていますが、しかし、転倒による骨折、などはまず起こらないだろう、それはもうちょっと先のことではないかな、などと思ったのでした。
 ところが、そうでもないということが、最近わかりました。10日ほど前、パソコンに向って仕事をしていると、左腕、上膊部に痺れを感じました。時間が経つにつれ、痺れの範囲が広がって、だんだん手のひらの方に伸び、左の親指の根本までが連続して痺れるようになってきました。こんな経験ははじめてのことでした。そのときは、何か調子が悪かったのだろう、しばらく様子を見よう、と思ったのですが、数日経っても治まりません。それに、痺れだけでなく、痛みも感じるようになって来たのです。立ってほかの仕事、たとえば炊事などをしているときは痺れも痛みも感じないのですが、パソコンに向ってしばらくすると、始まるのです。
 それで、以前、追突されてむち打ち症になったとき、半年ほど通った隣駅近くの整形外科医を訪ねました。頚や腕のレントゲン写真を撮ったり、骨の強度を調べる検査などをやった結果、頚の骨の変形が進んでおり、腕の痺れや痛みはそのせいで、しばらくリハビリが必要、また、骨密度検査によると、私の骨密度は .355g/cm2 だそうで、成人若年者の61%しかなく、同年齢者の平均値と比しても77%、「骨密度は著しく減少している」とのことで、カルシューム吸収剤などの投薬をする、という医師の診断でした。「転倒による骨折」の可能性も十分ある、というのです。
 それから、毎日、リハビリのための医院通いが続いています。頚や肩、左腕などには、湿布がペタペタ貼ってあります。リハビリでやることは、頚の牽引と、頚や肩に電極をつないで一種のマッサージのようなことをするのですが、どちらもいい気持なので、時間がつぶれるのは困るものの、リハビリ通いはそれほど嫌ではありません。
 昨日、医師の再度の診察があったとき、治癒の可能性などを尋ねたのですが、「直りません、治癒はないのです」という、あっさりとした返事でした。できることは、痺れや痛みの症状が出てきたとき、リハビリ、湿布等によって、それを軽減させたり、また一時的にその症状が出ないようにさせたりすることはやれるが、原因はなくならないから、症状はいずれまた出てくるでしょう、完治はしないのです、ということでした。病名は「変形性頚椎症」というのだそうです。
 根本原因は、サルが立って人間になり、重い頭を細い頚で支えなければならなくなったことにあるそうですが、その責任までは負いがたく、むしろ、パソコンの前に長時間座って、反戦の論文や政府への抗議文などを毎日書いていなければならなくさせられていることが、直接的な原因だと思うことにしましょう。
 このほか、高血圧のため、降圧剤も服用していますし、人工膀胱のパウチが外れてビショビショになる事故は、月に1回ほどは起こっており、今のような寒い時期は、その後始末や手当てが大変です。

 というわけで、傍目には元気そうに見えるのかもしれませんが、実はそうでもないのだ、ということをご報告しておきます。こうした諸事情をご斟酌の上、お手柔らかにお付き合いくださいますよう。
 もっとも、つい先日の『東京新聞』には、「 「(反戦運動などに)若者がいないのは困ったことだが、嘆いてみても仕方がない。というより、現在の政権の動きをみれば、それを悩む余裕はない。私を含めて高齢者が最後のエネルギーを振り絞る。それが若い層にも影響を与えていくのではないか」などという私の談話が出ていますし(07年2月1日朝刊)、3月10日の集会では、なだいなださんと一緒に、「高齢者パワー」の発揮について語り合おう、などとしているのですから、元気そうに思われる責任は、私にもあるとは思っております。