87. 温かい思いやり パンフレット『加地永都子さんを語る会』 (2009年5月31日、東京・四谷・ニコラ・パレ・ハウスで開催された同会で配布されたもの) に掲載(09/06/01搭載)
突然の別れで、何をどう書いたらいいのか、まとまらない。古いアルバムを繰ってみた。PARCの忘年会での写真などと並んで、新宿のレストランで、渡辺勉夫妻や川辺岸三さんらと一緒の写真があった。
私の連れ合いの入院中、たまたま病院への見舞いで一緒になった加地さんを含めた知り合いが、そのあと、どこかで飯でも食おうと、加地さんの知っていたレストランへ出かけたのだが、それは、一人暮らしをしていた私への加地さんの思いやりからの提案だったろう。連れ合いが無事退院できた時も、福富節男さんも加えた同じメンバーの退院歓迎食事会があり、以後、メンバーのまわり持ちで場所を選び、退院した祐子も含めて、折々の食事会が続いた。写真はその時の1枚で、新宿のイタリア・レストランでのものだった。
三里塚でのデモのこと、PARCの翻訳教室で共同の講師を務めたことなど、加地さんへの思いはあちこちに飛ぶが、まずは加地さんのこういう温かい思いやりのことが脳裏からは離れない。共通の知人で、脳を患い、意識が全くなくなって、もう10年以上も入院したままの女性がいて、私も以前何度か加地さんといっしょにお見舞いに行ったが、最近はすっかりご無沙汰してしまっている。だが、加地さんは、毎年12月と決めて、必ずその女性の病院を訪ね、それは昨年の12月まで続いていたということを、つい最近聞いた。加地さんはそういう人なのだ。(2009/05/18)
(写真は、2000年4月 新宿のレストランで。右から、渡辺勉、加地永都子、私、川辺岸三、渡辺喜代美――敬称略)