news-button.gif (992 バイト) 86. 『老後も進化する脳』と『関東防空大演習を嗤ふ』と…… ――マスコミの過剰報道などについて――  『市民の意見』 (『市民の意見30の会・東京ニュース』改題 ) No. 114  2009. 6.1号 09/06/01搭載)

最近読んだ本の話から始めます。ノーベル生理学・医学賞を受賞したリータ・レーヴィ・モンタルチーニというイタリア人の女性脳科学者の『老後も進化する脳』(朝日新聞出版 0903月刊)という本です。訳者の斎藤ゆかりさんは小田実さんを通じて知り合った方で、イタリアのピツァに住み、時々日本にも来られます。小田さんの小説や論文をずいぶんイタリア語に訳して紹介もされています。

…▽衰えぬ老後の脳細胞

脳科学発達の経緯など、いささか難しい部分もあったのですが、老齢の人間にとっては、力づけられる主張が各所に溢れていました。たとえば、
……人は六、七十歳を超すと、毎日十万単位で脳細胞を失っていると考えられる。この莫大な損失は、老年期の創造的活動などとうてい不可能と考えたくなるほど、ドラマティックに感じられるかもしれない。しかし脳を構成する神経細胞数がどれほど天文学的数字であるかを思えば、大した数ではないのだ。
(別の部分に、ヒトの神経細胞は千億の単位から成り立っているという記述もあります。)……生き残った細胞は樹状突起を増加させ、シナプス・レヴェルで脳神経を増強させることができる。ホモサピエンスの脳では、この働きが老齢期においても衰えを見せず、質的にも同じように維持されるのだ。……
151152ページ)といった記述です。
 ただし、それは自動的に保証されるものではなく、「自らの知的、心理的活動を巧みに運用する能力」が必要で、それを活用できる条件に恵まれているのは、かつてはほんのわずかな特権階層に限られていたが、今日、その「特権」は、「民主主義国家の市民にとっては手の届くものになった」ともあります。多くの人が指摘していることですが、精神の若さを保つ上で重要なのは、社会的な関心を持ち、それに自分なりの力で関わることのようです。さしあたり「市民の意見
30の会」の活動に参加することなども、その条件の一つと言えるのでしょう。 

…▽危険な情報の流れの管理

この本の中に、重要な警告もありました。少し長くなりますが、引用します。
……理性的行動と感情的衝動の関係のむずかしさを物語るもう一つの側面は、今日、情報の流れが管理されている方法に見られる。知識をめぐる情報が量的に大きな力をもつようになって、不正確な情報が流出する一方、知らせるべき情報の遮断というケースが増え続け、人々に衝動的な感情や不条理な反応を引き起こす傾向が広がっている。…
(中略)…人間の脳には外界との接触の媒体をなす極めて巧妙に組み立てられた二つのシステム、すなわち視覚系と聴覚系が存在するが、外からの刺激を受けやすく、繰り返し同じメッセージを流されると暗示にかかりやすいという傾向は、古来、個々の人間の衝動的本能を最大限活用する独裁者が巧みに悪用してきたメカニズムだ。独裁者を称える群集の叫びは、大衆暗示の最たる例である。
 文化的により進んだ社会では、集団ヒステリーに巻き込まれる危険から身を守るため、個人が批判的能力を発揮するよう
にと促されている。イスラエルの政治家アバ・エバンのいうように、「人間は最後のよりどころとして理性を働かせる」存在だが、理性を働かせるのが大切なのは、人類およびその他の生物を絶滅させないための最後の望みがそこに託されているからである。
 理性を使うことの根本的な大事さこそは次の世代に伝えるべきものである。
(本書
3435ページ) 

…▽北朝鮮のロケット発射報道 

これを読んで、私はすぐに最近の北朝鮮のロケット発射をめぐる政府・自衛隊の対応と、それを報ずるマスコミの大騒ぎを思い起こしました。それこそ、まさに人間の自己保存の衝動的本能を最高度に掻き立てようとするものだったからです。
 政府は海上自衛隊のイージス艦
3(うちSM3搭載2隻)と、首都圏と浜松の航空自衛隊PAC3部隊を、市ヶ谷の防衛省内や秋田県などに移動・展開させました。その展開の情景をTV各社は一斉に生中継しましたが、都心の大通りを進む迎撃用パトリオット・ミサイル部隊の中継画面は、もしそれにおどろおどろしいバックミュージックでもつけたら、まさにゴジラを迎撃に行く自衛隊出動の映画場面そのものといった様子でした。
 二度にわたる誤認騒ぎの後、
45日の正午少し前、「ミサイル発射」のテロップが流されると、その直後から、TV各社は一斉にそれまでの番組を中断して速報を流し続けました。
 4
35日に行なわれたTBS系のJNN世論調査で、北朝鮮のミサイル発射についての政府の迎撃措置は妥当とする意見が84%にまで達したのも、まさに「不正確な情報が流出する一方、知らせるべき情報の遮断」によってヒトの「衝動的本能が最大限に活用」された結果でしょう。
 TVだけでなく、連日の新聞報道も大見出しで危機感をあおるような記事をトップに掲げ続けました。そうさせたのは、政府とそれにあおられた自治体です。極端な例としては、
228日付『東京新聞』が伝えた内容で、それによれば、ロケットの軌道と全く関係のない神奈川県や一部の自治体が、各級学校に「北朝鮮ミサイルの着弾時に備えた緊急公文」なるものを発送し、危機管理体制の確認を指示したとの報道です。次には「空襲警報」でも出てきそうな雰囲気ではありませんか。 

…▽危機感を煽るマスコミ 

週刊誌『AERA』の420日号では、田岡俊次氏が「『核付きノドン』 射程は日本全土」という見出しで、テポドン2の発射を前に、日本が異様に緊張していた最中に、テポドンより遥かに重大で深刻な情報が流れたとして、国際軍事情勢研究機関「国際危機グループ」(本部 ブリュッセル、所長=G・エヴァンス元豪州外相)331日にまとめたという報告を引用し、北朝鮮の核兵器小型化はミサイル弾頭になるほど進んでいるとのべ、さらに、これがウィークデイの昼間に都心で爆発すれば、100万人程度が犠牲になるとも書いているのです。
 田岡氏は「こと北朝鮮となると、日本人の多くは冷静さを失うようだ」とも言っているのですが、しかしこの週刊誌の目次には、田岡氏の文に「次は『核付きノドン』が来る 『死者
100万人』核弾頭完成 ペンタゴンも確認」という見出しが付けられて載っています。これでは読者が「冷静さを失う」のも当然ではないでしょうか。同誌編集部は、見出しで危機感を煽りに煽っているのです。
 発射騒ぎが一通り過ぎると、新聞の上には、海外のマスコミの論調も紹介され始めました。そのほとんどは、核武装論まで飛び出す日本での異常な反応ぶりに驚き、その影響が事態をますます悪化させることになろうとの憂慮を伝えています。しかし、こうした海外論調を載せたからといって、紙面のバランスがとれるものではありません。
 

…▽「防空演習を嗤ふ」を想起 

マスコミのこの報道ぶりを見て、私の頭に浮かんだのは、かつて桐生悠々(左の写真)が『信濃毎日新聞』に載せたコラム「関東防空大演習を嗤ふ」の話でした(1933年8月11日号、下の写真はその日の紙面)
 
その文章自体は、軍部が行なった関東防空大演習を冷静に分析し批判したもので、とりわけ反軍的なものとは言えないものでしたが、あえて「嗤ふ」という嘲笑的表現を使っており、翌34年に同紙主筆の座を追われてしまいます。その後は自費出版の『他山の石』などで一貫して反戦の論陣を張り続けました。(桐生悠々については、井出孫六『抵抗の新聞人 桐生悠々』1980年、鎌田慧『反骨のジャーナリスト』2002年 どちらも岩波新書、をご覧ください。)北朝鮮のミサイル報道で、桐生悠々を想起した人はかなりおられたようで、水島朝穂さんをはじめ、多くの人が、インターネット上のサイトやブログで、それに触れた論を載せています。鎌田慧さんは、桐生悠々の名こそ出していませんが、『東京新聞』331日号に載せた短文「ミサイル防衛を嗤らう」は、そのタイトルからしても、明らかにそれと関連付けたものでした。鎌田さんは、「もしも相手のミサイルに当たらなくても、MD政策には傷がつかない。当たらなかったのは、防衛網がまだ弱かったからだ、という言い訳ができる。いま一兆円といわれている予算を、この大騒ぎが増額させるかもしれない。……防衛は矛盾である。歯止めをかけなければとどまることはない。北朝鮮と話し合い、経済協力によって、軍事強化から平和強化の関係に転換したほうが、二十一世紀的だ」と書かれています。同感です。 

…▽注目のNHKのBS放送 

 女性国際戦犯法廷の削除問題などで評判の良くないNHKですが、しかし、そのBS放送や教育テレビでは、注目すべき番組がかなり放映されています。
 最近で言えば、ETV特集の『鶴見俊輔 戦後日本 人民の記憶』
(これも本会会員、坂元良江さんの作品でした)また、少し前ですが、ETV特集の『加藤周一1968年を語る〜「言葉と戦車」ふたたび〜』などです。BS放送では、
3月から4月にかけて夜10時に連続放送されたイラク戦争関連の多くのドキュメンタリ(ここ数年にすでに放映されたものをまとめて再放送)などです。4ヵ国共同制作の『闇へ』は、映画『沈黙を破る』や『タクシー・トゥ・ザ・ダークサイド』に劣らぬ衝撃的な内容でしたし、米WGBH制作の『なぜ市民を巻き添えにしたのか――ハディーサの戦い』や、『出兵を拒否した者たち――アメリカ軍兵士三人のケース』などもすぐれた内容でした。
 なお、毎月第二土曜日の夜、BS
2で放映される『日めくりタイムトラベル』は、411日に1965年をとりあげ、三時間の番組中三度、計1時間も、かつての反戦市民運動「ベ平連」を詳しく適切に紹介しており、驚きました。会員の椎野和枝さんも登場します。新聞の番組表では、簡単すぎて見逃しがちなのですが、ぜひ注意して優れた番組を探し出してみてください。
 これからも、政府や自衛隊の意図的な発表や、マスコミに踊るセンセーショナルな見出しや映像は続くでしょうが、それに迷わされることなく、視覚と聴覚を「最後のよりどころ」たる理性によって働かせるように努めようと思っています。
2009/04/27記)
   
(よしかわゆういち、本誌編集委員)
                               『市民の意見』  (『市民の意見30の会・東京ニュース』改題) No. 114  2009. 6.1号に掲載