65 ベトナムから何一つ学ばず ( 『朝日新聞』東京本社版「声」欄 2005.05.04.) (04/05/05搭載)
ベトナムから何一つ学ばず |
以上は、5月4日付の『朝日新聞』東京本社版の投稿欄「声」に掲載された文です。投稿したのは、4月26日だったのですが、掲載はずいぶん後になりました。また、最初に投稿したものは、もう少し長かったのですが、「声」欄の規定で字数が制限されているとのことで、一部を削除して短くしました。最初に投稿したものを、ご参考に以下に掲げます。
ベトナム戦争から学んでほしい
無職 吉川 勇一
(東京都西東京市 74歳)
この四月三〇日は、米軍がベトナムからみじめな撤退をし、サイゴン(現ホーチミン市)の南ベトナム政権が崩壊してベトナム戦争が終了してから、満三〇年になる。また、米軍が大規模な北ベトナム爆撃を開始し、全世界で大規模な反戦運動が展開し始めてからは満四〇年になる。日本で、市民運動がベトナム反戦のデモを開始したのは、一九六五年の四月だった。
私たちは、この反戦運動の中でさまざまなことを学んだ。国家の命に反してでも、守らねばならぬ人間としての生き方があるということも、アメリカの反戦脱走兵を援助する行動の中で実感したことだった。
しかし、この戦争に最大の責任を持つアメリカの政府と軍部は、それから学ぶべきことを何一つ学ばなかったようだ。イラクの事態はそれを示している。また、アメリカのこの戦争を無条件に支持し続けた日本の為政者も、やはり必要な教訓を学ばなかったようだ。安保条約がある以上、日本はこの戦争に中立ではありえないとし、それにひたすら協力した自民党政府だったが、停戦協定が成立した日には、自民党本部の屋上に「祝ベトナム停戦。次は復興と開発に協力しよう」という大きな垂れ幕が掲げられ、それを目にしたこちらのほうが恥ずかしくなる思いだった。
その自民党政府は、今、イラク戦争に際しても、アメリカの政策にひたすら寄り添い、今回は自衛隊までも派遣し、さらに、こうした海外派兵を国の常態にしようとして憲法九条の改変まで目論んでいる。学ぶべきことをまったく学んでいないからだ。
中国や韓国から言われるまでもなく、過去の歴史から、日本が汲み取り、活かさねばならぬことは数多くあるはずだ。ベトナム終戦三〇周年に際して、それを強く思う。