54 経験の継承ということ (03/09/06搭載)
経験の継承ということ ――「PARC30周年記念特集」へのメッセージ
(アジア太平洋資料センター〔PARC〕発行の『月刊 オルタ』2003年8・9月号に掲載)
PARCの創設にいささか関わったものの一人として、30年前の状況をあらためて振り返ってみた。少し長くなるが、発足の1973年10月6日前後の出来事を、私が管理しているベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)データベースのホームページ(http://www.jca.apc.org/beheiren/)の年表から拾ってみよう。
★1973年10月
2日 日本政府、チリ軍事政権承認を閣議決定。
4 日 ハイエナ企業市民委員会主催「チュー・朴両政権への経済援助・日本企業の進出に反対する集会」。全電通会館。150名。講師。鄭敬謨ほか。●福岡べ平連、米空母「、ミッドウェー」横須賀寄港・母港化阻止で米領事館前ヘデモ。
5 日米空母「ミッドウエー」、横須賀基地に入港。社会党、総評、学生らが抗議行動(7日、横須賀で3万人の抗議集会)。
6日 べ平連第97回定例デモ。坂本町公園→米大使館→外務省→日比谷。600名。数寄屋橋交差点、米大使館前などで坐りこみ。●第4次中東戦争勃発。●アジア太平洋資料センター(PARC)設立。
10日 埼玉べ平連、大泉市民の集いなど8市民団体主催、自衛隊パレード抗議朝霞デモ。100名。
13日 第3回ケイダンレン・デモ。坂本町公園→経団連→常盤橋公園。120名。●中年べ平連第33回定例行動。
14日タイ国学生、新憲法制定を要求してバンコックで警察と衝突、死者数百人。タノム・タイ内閣総辞職。
16 日キッシンジャー米国務長官とレ・ドク・ト北べトナム労働党政治局員にノーベル平和賞授与の決定(23日
レ・ドク・トは辞退)。
17日 ペルシャ湾岸6ヵ国、石油公示価格21%引上げを宣言(石油戦略の発動)。
21日 ちょうちんデモの会、べ平連など16団体共催「そらみろ長沼判決・自衛隊をつぶせ!市民集会・デモ」。水谷橋公園。デモ→日比谷。300名。●べ平連こうべ(神戸)「反侵略・反差別」のデモ。70名。●福岡べ平連は米領事館ヘデモ。●横田基地で10万人反基地集会。横田基地解体連合は3000枚のビラを配る。
23日 第1次石油危機始まる。……
すでにベトナム停戦協定は調印されていたものの、南ベトナム政権軍と解放勢力の間の戦闘はますます激化していた。バンコックでの激突にみられるように、東南アジアでの緊張も高まっていた。日本国内では、さまざまな活動が各地で活発に続いていた。PARCは、まさにそうした状況と正面から向きあう運動として誕生したのだった。ベトナム戦争は、当事者アメリカや、それを全面的に支持した日本に重大な教訓を与えたはずだったのに、両国の政治家たちは学ぶべきことを何ら学んでいなかったということが、現在の対イラク戦争の過程ではっきりと示された。
しかし、一方、私たち自身の運動の側でも、ここ1年ほどのイラク反戦運動に参加する中で、かつての運動経験が、あまい十分には現在の運動に継承されていないということを私は痛感してきた。老齢に達し、あまり動けなくなった私の仕事としては、これまでの運動の経験が、その長所も短所もあわせて、できるかぎり次代のひとびとに伝わるようにすることだと思っている。
それはPARCにとっても同じことが言えるかと思う。PARC創立時の参加者たちが考えていたこと、やっていたこと、彼らが世の中に向き合う姿勢などが、30年後の今、あらためて振り返られる価値はあるだろうと思っている。
★よしかわ・ゆういち/市民の意見30の会・東京
(アジア太平洋資料センター〔PARC〕発行の『月刊 オルタ』2003年8・9月号に掲載)