news-button.gif (992 バイト)  46 前田さんがイラク反戦の「パレード」に参加していたら……  前田俊彦著 『百姓は米をつくらず田をつくる』〔海鳥社 2003年4月刊〕 に寄せて) (2003/04/20搭載)  

 今年の4月12日は、瓢鰻亭、前田俊彦さんが亡くなられて満10年になります。それを機に、前田さんの未刊行の遺稿集が、新木安利さん編集で海鳥社(810-0074 福岡市中央区大手門3-6-13  電話:092-771-0132 FAX:092-771-2546 URL: http://www.kaichosha-f.co.jp ) から刊行されました。これには、「百姓は田をつくる」(『農業共同組合』1971年9月号)、「わが抵抗のドブロク」(『思想の科学』1982年10月号)をはじめ、1971年から1986年までに前田さんがさまざまなメディアに発表された文章22編がおさめられており、巻末には、前田賎さんの「父の手渡してくれたもの』(『西日本新聞』1994年4月13〜30日掲載文に加筆)も掲載されています。ぜひごらんいただきたいと思います。定価2000円+税。 
 この本には、「前田俊彦著『百姓は米をつくらず田をつくる』に寄せて」というリーフレットが折り込まれており、松下竜一、山下惣一、永六輔、石坂啓、小林慎也さんが文章を載せられていますが、私も以下のような短文を書き、掲載されています。なお、分量の関係で、実際に印刷発表されたものからは、【  】内の部分は省略されています。もちろん、私の承諾済みですが。

前田さんがイラク反戦の「パレード」に参加していたら……

吉 川 勇 一

 イラクへの攻撃が開始された三月二〇日の夜、私はアメリカ大使館前での抗議の集まりの中にいた。【続々と人びとは大使館へと集まってくるのだが、大部分は地下鉄の駅をでたところで警察機動隊にさえぎられて近づけなかった。通せ、通さない、退去しないなら検挙する、こうしたやり取りの中で、実際に逮捕される人も出てきた。
 私はどうやら、横道からすり抜けて大使館正門前に行けたのだが、】そこでは二百人ほどの人びとが抗議のシュプレヒコールを挙げていた。昼までは 、「ピースボート」のグループが抗議のハンストをしていたという。
 前田俊彦さんは
19099月生まれだから、今ご存命なら、93歳になられる。81歳の鶴見俊輔さんも、京都でデモがあれば、その出発点まで出かけていって見送ることをされているというから、前田さんも、ステッキをつきながら、このピースボートの若者たちの中に加わっていたかもしれない。ただ、ハンストに加わっていたかどうか。むしろ、陣中見舞いじゃ、などと、焼酎「三里塚誉」の瓶をかついできたかもしれない。
 翌二一日は、東京では五万を超えるイラク反戦のデモが行なわれ、それにも参加した。歩きながらまた前田さんのことが頭に浮かんだ。というのは、次第に膨らんでくる反戦の行動の名称や表現のことを、ここのところ、ずっと考えていたからだ。
 行動の参加者は、老若男女さまざまだが、とくに青年層の参加が急激に増えてきている。インターネットを駆使しながら、集会やデモの準備の中心にいるのも彼らだ。【この運動のホームページの情報量は圧倒的であり、そこのメーリング・リストから送られてくる通信は、日に何十通にも及んで、私などはいささか辟易気味である。】そこで気がつくのは、この運動の中で使われている用語の問題だ。「デモ」という言葉が使われない。使ったからといって批判されるわけではないが、言われているのは「パレード」なのだ。【ホームページで紹介されている】各地の行動を見ても「デモ」という用語はほとんどなく、大部分は「パレード」「ピース・ウォーク」「街頭ウォーク」等々だ。
 催しの準備会で、この行動の名称が議論された時、ある若者から出された「ピース・フェスチバル」はさすがに賛同者が少なく退けられたが、三〇年前だったら何の抵抗感もなく受け入れられた「共同行動」「反戦行動」(その一つ前の時代なら「統一行動」「一日共闘」)などではなく「ピース・アクション」に決まってしまった。これも全国的傾向だ。
 何万という死者の予想される戦争への抗議の行動に、明るい華やかなイメージを抱かせる「パレード」という用語を使うことに、私などはいささかの違和感を覚えるのだが、しかし、若者たちには、それなりの感情があって、あえてそういう言葉を選んでいるのだろうとも考える。私は、最近ある文章の中で、次のように書いた。

 ……ベ平連が生れた当初、私たちは、それまでの「国民的平和運動」などという表現(大規模に展開された原水爆禁止運動などはそう呼ばれた)を意識的に退け、「市民による反戦運動」と自称した。【これに対し、既存の集団からは「ベトナム人民が解放戦争を戦っているのに『ベトナムに平和を』などという表現は適切でない」「ベトナム人民連帯」「ベトナム人民に勝利を」と言うべきであるというような批判も受けた。しかし】「反戦市民運動」や「ベトナムに平和を」という表現は、それまでになかった新しい運動を作り出すのだという意気込みの私たちにとっては、適切であり、必要な表現だと考えていた。
 そう思い返してそれを重ねてみるとき、「フェスチバル」は勘弁してもらうとしても「パレード」には我慢して、私はこの「パレード」デモを歩くことにしている――この若い人びとが、今の時代にふさわしい新たな運動を力強く創出し、そしてそれを表現する適切な言葉も生み出してくれることを強く希望しながら……
 (「戦後思想における『用語』という問題」、『季刊・運動〈経験〉』03年冬号)

 そして、思うのだ、前田さんだったら、『瓢鰻亭通信』の上で、イラク反戦とデモとパレードをめぐって、どんな対話を繰り広げるのだろうかと。「9・11」以後の事態は、前田さんだったら、何と言うだろうか、と考えさせられ続ける日々である。