news-button.gif (992 バイト) 28  「本質還元主義」と「本質回避主義」 (『市民の意見30の会・東京ニュース』 No.65 2001.4.1..)   new-kaiten.gif (8593 バイト)

「本質還元主義」と「本質回避主義」

吉 川  勇 一 

   米原潜による「えひめ丸」の沈没事故は衝撃的であった。しかしすでに多くのところで種々論じられているので、ここで長くのべることはやめる。ただ、米国の戦争道具、兵器によって、平和時に日本の市民が殺された事件のたびに、日本の政府がアメリカ側の立場に立ってそれを弁護するという姿勢を示してきた、ということだけは指摘しておきたい。

 最たる例は、一九五四年三月のビキニ水爆実験とそれによる第五福竜丸無線長、久保山愛吉さんの死亡の時だったが(このとき、岡崎外相はあくまでも米実験を支持しつづけると国会でのべた)、以後の歴代内閣の姿勢は一向に変わっていない。

 今度の事件で、アメリカ政府がまず気にしたことは、それが日米安保の存在にマイナスの影響を与えるのではないか、ということだった。だが、日本の政府には、この機会に日米関係を再検討しようなとどいう問題意識はまったくなかったし、国会の議論にも存在しなかった。国会での議論は、その時首相がゴルフをやっていたことだの、そのゴルフ場の会員権をめぐる問題などに焦点があった。

 かつて右派の硬派論客の代表的存在だった評論家の故福田恒存さんが、左翼の主張を「本質還元主義」として批判したことがあった。当面の問題や差し迫った課題を、とりあえず現状の中でどう改善できるかを考えず、いつも帝国主義が悪い、資本主義の欠陥だと、それだけを言い立てて体制を批判する傾向を指摘したものだった。とくに基地問題をめぐっての福田さんの筆鋒は鋭かった(『平和論に対する疑問』など)。

 確かに、沖縄をはじめとして、米軍基地や自衛隊基地の存在によって、次々と引き起こされる問題に対して、安保条約をなくせ、違憲の自衛隊をなくせ、と主張しつづけるだけで事足りるとするわけにはゆかない。基地の縮小、移転、演習の時間制限、思いやり予算の再検討、地位協定の見直し、防衛費の削減など、とりあえずできる措置を現実的に追求することは必要だ。

 にもかかわらず、軍隊と基地の存在によって、こうも次々と事件が引き起こされ、一向に改善の可能性が見られないのに、その根幹に触れる主張がほとんど見られないというのも、実に不思議な話だ。福田流に言うなら「本質回避主義」とでも称すべきか。

 何度も言ってきたことだが、冷戦がなくなり、東アジアの緊張も緩和してきているというのに、安保や自衛隊の本質に迫る議論は、政治的論調の中に見られない。私たちは、本質に還元するだけで事足れりとしているのでは決してない。「市民の意見30の会」が数年前から提唱している軍事条約に代わる「日米平和友好条約」締結の提案、そして今、運動化が開始された「日本を良心的軍事拒否国家に」という提案など、根底を変える具体的案の提示をしている。本号のニュースの関連記事をぜひご覧いただきたいと思う。