15 「ベイシック数学とベイシック英語の時代」 (『土師政雄さんをめぐる44の断章』 1999.7.4.)
昨1998年6月になくなられた土師政雄さんを偲ぶ会が、7月4日に開催されたが、その日に発行された追悼文集『土師政雄さんをめぐる44の断章』 に採録された文章。なお、この会の報告は、べ平連のホームページの「ニュース」欄に掲載されている。→ http://www,jca.apc.org/beheiren/news.html
ベイシック数学とベイシック英語の時代
吉 川 勇 一
思えばよき時代であった。
土師政雄編集・解説『教育実戦の記録7
受験の壁のなかで』(筑摩書房 1981年刊)を今とりだしてページをめくってみると、そういう思いがする。私は編者の土師さんに頼まれて、そこに「一予備校英語教師のメモ」という一文を寄せている。また、その文の中でも書いたことだが、私がかつて教えていた代々木ゼミナールで、「ベイシック英語」という前例のなかった講座を始めるきっかけになった土師さんの『反数学教育論』(風濤社 1977年刊)、とくにその中の「なぜ予備校で教えるか」などを読み返してみてもその思いはますます強くなる。
一口で言えば、私の文にも土師さんの文にも、また、それ以外の他の予備校教師の書いた文の中にも、中学、高校などの公教育の歪み、崩壊状況への指摘はあっても、予備校教育に対しては、「賛歌」とも言っていいような気分が感じとられる。予備校での仕事は、糊口をしのぐすべであったことも確かだが、しかし次代を担うものに、年長者が確実に何かを伝えられているという手触りがあり、それまでになかった何かを創り出しているという喜びもあった。
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私のパソコン歴は長い。数年前からは、インターネットの上に二つのホームページも公開している。一つは、私個人についてのページだが、もう一つはかつて私が参加していた反戦市民運動「べ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の詳細なデータを提供するページだ。その中には、1965年から現在に至るまでのべ平連関連年表も含まれている。残念ながら、最近のところでは、かつての運動の仲間たちの訃報が多く続く。昨九八年の年表に出ているだけでも、宮島義勇、安東仁兵衛、山田典吾、土師政雄、松田道雄、堀田善衞、佐多稲子、鈴木均という名前が並んでいる。ここではふれないが、土師さんも入っていた「世田谷社研」のグループは、1965年、べ平連の発足よりも早く、ベトナム反戦のデモを都内で計画するイニシアチブをとり、以降、土師さんとは、そういう市民運動の上での付き合いも続いていた。
最近は、60年代の社会状況をあらためて検討しようという空気も出てきて、このページへのアクセスが増えてきている。この5月で4,500人を超えている。アクセスした人から意見や感想、質問もこのベージに送れるようにもなっている。
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今年の初めに来たそういうメールの一通にはいささか驚いた。
「土師政雄氏が昨年お亡くなりになっていたことをこのHPで初めて知りました。
実は私は今から18年前の19802/81年に代ゼミにて土師先生より数学を学んでおりました。そして先週、当時の浪人時代の仲間数人と八年ぶりに再会し(前回彼らと会ったのも別の化学の先生が亡くなった時でしたが)当時を懐かしく思い、『あの時の講師の方々はどうしてるかな?』ということになり、本日そちらのHPにたどり着いたわけです。
さて、初めてでメールで大変申し訳ございませんが、土師先生が眠っていらっしゃるお寺は、お分かりにならないでしょうか? 差し支えなければお教え願えればと思います。当時の仲間とぜひ土師先生とお会いしたいのです。……」
その数日前に、私は諸橋さんから、土師さんを偲ぶ会の計画についての電話を受けたばかりだった。私は早速、諸橋さんや土師さんの妹さんと連絡をとり、青山墓地にある土師さんのお墓までの地図もいただき、そのかつての教え子に返事をした。
何年も教わった中学や高校の教師でも、その墓地を訪ねようという教え子はめったにいるものではない。ましてや一年間かそこらの短い付き合いの予備校での教師と生徒との関係でこんな問い合わせが来る、ということに私は感動した。土師さんの授業が、生徒たちにどう受けとめられていたかを示す一つの証左だ。
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思えば「よき時代」ではあった。
だが、それは1960年代半ばからせいぜい80年代末までのことだったろう。代ゼミを離れて駿台や河合塾に移った土師さんとは、そのあともたびたび電話で話をしたが、土師さんは「もう予備校の時代は終わりだな」と、慨嘆とも自嘲ともとれるような口調でよくそう言った。90年代に入ってからの、この崩壊の過程の速さは、湾岸戦争にはじまり現在の新ガイドライン関連法案の国会通過にいたる戦後平和憲法体制の崩壊のそれと似ていなくもない。この狂瀾は、容易に既倒に廻らすことはできそうもない。だが、あの『反数学教育諭』の中に紹介されている土師さんの実際の微積分の授業の記録のような、あるいは、最初に触れた私の「一予備校英語教師のメモ」の中にあるような授業での話は、これからだって、というか、むしろこういう時節だからこそ、ますます、どこかで語られなければならないだろうと思っている。
今、べ平連のホームページ( http://www.jca.apc.org/beheiren/
)には、土師さんのお墓にまでゆく地図も載っている。
(元代々木ゼミナール英語講師)