news-button.gif (992 バイト) 13  「新ガイドライン関連法成立の後に――大いに変わり、そして少しも変わらず――」

    (『市民の意見30の会・東京ニュース』 No.54  1999. 6. 1.)

 

新ガイドライン関連法成立の後に

 ――大いに変わり、そして少しも変わらず――

 吉 川 勇 一

 

 今は1999年5月21日、沖縄での公聴会も終り、参議院では新ガイドライン関連法案の審議中である。だがこの『ニュース』が読者の手元に届く頃には、すでに法案は参議院も通過し、成立してしまっていることが予想される。なんとしても阻止したいという思いは強く、この原稿を書いた後、私は明治公園で今夜開かれるおそらく最大規模の参加者がみこまれる反対集会とデモに出かけるのだが、それでも、公明党が党利党略からだけの自民寄りの姿勢を変えるという、今ほとんど見通しのないことでもおきない限り、この法案は成立することだろう(注 この集会についての報告・感想は、「市民運動」の項のNo.9 に掲載してあります)。

たまたま今週発売になった朝日新聞社の『週刊20世紀』は、1960年の号で、あの国会をとりまいた30万人のデモの写真などが掲載されている。そこに哲学者の鶴見俊輔さんが一文を寄せ、「組合のデモには、私は何度も参加したことがある。また負けるだろうと思って、参加した。今度の日米安保条約反対にも、負けるであろうという予測をもって、抗議の側についた」と書いている。今日のデモに参加する私の気分もそうだ。だが、もちろん、無駄なことをするとはまったく思っていない。前号の久野収さん追悼の文でも引用したことだが、久野さんの「敗北からほんとうの教訓が学びとられ、思想原理がきたえなおされれば、将来の政治的勝利に結びつくことができる」という言葉は、その通りだと思うからだ。問題は、この敗北から何を学びとれるかだろう。

1月号の『ニュース』でダグラス・ラミスさんが、憲法九条を世界に、などという主張は、もう言えない時期に入ったとのべている。私も同じ号の巻頭で、「この事態は、戦後五十有余年、曲りなりにも続いてきた憲法体制を根本的に突き崩すもの」だと書いた。だから、ハーグの国際平和会議で、世界は日本国憲法に学ぶべきだというアピールが採択されたなどという報道に接しても、違和感しか感じられない。

日本の置かれた位置は、大きく変化したのだ。だから、反戦の運動は、今後もいっそう力を強めましょう、というようなことではすまぬ、根本的な立て直しが必要なのだ。私たち、「市民の意見の会・東京」は、4月の事務局合宿討論で、そういう話もし、この新事態に見合うような「市民の意見」の再起草の計画も議論された。

運動や、日本人一人一人の政治にかかわる姿勢が、今、根本から立て直される必要があることはその通りだ。先に引用した鶴見俊輔さんは、すでにそういう彼なりの姿勢をのべている。『中央公論』と『論座』の各5月号には、同時に鶴見さんの談話が載っており、そこで鶴見さんは形骸と化した日本国憲法ではなく、その精神を体した自分個人の憲法を心の中に制定し、それとの対話を進めながら暮す生き方を提唱している。これは鶴見さんの以前から述べていた持論でもあり、そのこと自体に異論はない。周辺事態法が成立して、戦争への「協力」が民間人や自治体にまで求められるような事態が進めば、やがては、反戦をとなえ行動する個人が憲法と法の名において処罰の対象とされるような場合さえ想定される。ここにおいては、ますます国家の命をも拒絶する個人の原理の確立と、運動としての市民的不服従が重要になってくるからだ。現に、NATO空爆に参加させられているドイツの青年には、反戦運動は従軍拒否のよびかけを発している。

だが、私は、それだけでは十分でないと思っている。

1930年代と現在とを重ね合わせる指摘は、すでに『ニュース』前号の日高六郎さんの巻頭の文をはじめ、多くの人が語っている。とくに私は、この号に訳出したノーム・チョムスキーさんのNATO空爆を論ずる文や、おなじくチャルマーズ・ジョンソンさんの中国大使館「誤爆」事件についての文が、いずれも1931年の「満州事変」に触れていることに強い印象を受けた(この両論文は、このホームページの「市民運動」の項に全文転載)。かつて日本の市民は、1965年、ベトナム戦争を批判する『ニューヨーク・タイムズ』への全面意見広告の中で、「中国本土での十五年に及ぶ戦いから、日本人は厳しい教訓を学びました。すなわち武器によって民心を得ることはできないということです。このことは国際関係における公理です」とアメリカの市民に訴えた。(1965・11・16) そして、その翌々年には、『ワシントン・ポスト』紙への全面意見広告で「われわれ日本人は過去において、われわれの政治的目的をとげる手段として、アジア全域に戦争を挑んだ。……われわれは、過去の経験とわれわれの歴史の教訓によって、武力をもって他民族に何かの政策を押しつけることは無益であることを学んだ。人間の心は、人命と財貨の破壊によって獲得できるものではない……」(1967・4・3)。

アメリカの知識人や反戦運動は、ベトナム戦争の中で、この訴えを正面から受けとめた。今、私たち日本人は、それを忘れたかのようである。C・ジョンソンさんの文が、日本の関東軍と近衛政府の行跡をたどりながら、今回の中国大使館「誤爆」の真の狙いが、東アジアにおいて新たな冷戦を開始させることにある、と指摘していることに注目しよう。そして、それと新ガイドライン関連法案とを結び付けて考えるならば、ベオグラードの事件は東アジア日本の私たちの運命に直結している。

だが、今は1930年ではない。まだ、私たちは、頭の中で考えている思想をもって処罰の対象とするような「治安維持法」の類いをもってはいない。だから、個人の心の中に、自らの憲法を持つ、というだけでは十分ではない。

再び、亡き久野収さんの言葉だが、久野さんは、「歴史は、自分達の行動によって動かせるものではなく、時の勢いみたいなもので進んでいくのだという絶望とあきらめの感覚が、あるのではないか。つまり“成る”の論理である」と語っている。(『市民的権利の立場から』1972年) また、久野さんは、「大衆的アパシー(無関心)」の問題に触れながら、こう書いた。

「……思想的にとくに重大だとみられるのは、ただの“知っちゃいない”グループやレジャーグループの増大ではない。むしろ、F・ノイマンが、“政治的”エピクロス主義と名づけた人々の目に見えない増大こそが、実は、最大の問題である。政治的エピクロス主義とは、政治権力は起源と形態のすべてを通じて、人間に対する敵対的、阻害的権力でありつづける、という判断にたって、すべての政治参加を人間にとって無意味だと信じ、政治の外側に人間の幸福と満足をきずこうとする徹底的無政治的人間の自覚的立場である。……」(「二十四年目を迎える憲法」『毎日新聞』1970・5・1-2)。

鶴見さんの姿勢が「政治的エピクロス主義」にすぐ通じるとは言わないが、今の状況の下で、すぐ個人レベルの抵抗の戦線に身構えようというのは、人によっては、それへの道しかないと思わせる影響ももつのではないか、と危惧する。関連法案が通過をしても、自治体レベルや企業レベルで、戦争協力への要請を拒否し、抵抗する方策が創意的に考案される必要があり、その可能性はかなりあると思われる。私たちの運動は、自治体や地方議員の持つ力を十分に活用できていないと思う。運動の根本原理を考えながら、こうした具体的な工夫(デモやシュプレヒコールのやり方一つとっても抜本的考え直しの余地はかなりある)がされねばならないだろう。

運動の基本の根本的見直しとは言ったが、何かとてつもなく新しいものがどこかに隠れており、それを探し出してくる、といった性質の問題ではない。

べ平連の運動に参加して以降、三〇数年、私がことあるごとに主張しつづけていたことの一つは、事態が混沌として、状況の正確な把握が困難になったときや、思いがけない事件が起こってそれへの対応に苦慮せざるを得ないような場合、あるいは政治的敗北に直面して事態が絶望的に思えるような場合、市民運動がとるべき態度は、最も原理的、原則的立場に、妥協なく立ち戻り、そこに立つということだった。湾岸戦争のとき、私はそう主張したし、PKO法案のときもそうのべたし、そしてコソボ問題でもそうしている。

それと関連して、1970年代末のカンボジア、ポルポト政権による大虐殺と、それに対するベトナム軍のカンボジア侵攻、中国のベトナム「懲罰」といった事態の際に、私自身がとった政治的立場についても、コソボの事態と重ね合わせて、いま再検討を進めている(その作業の一部は、インターネット上の私個人のホームページに紹介している。「論争・批判」欄参照 )。

旧社会党が崩壊するに至った過程のような、あるいは「平和基本法」や「アジア女性基金」を提唱したかつての運動の仲間たちのような、悪しき「代案主義」に陥ってはならない、ということだ。憲法前文の精神がもっとも必要とされたときに、それをはずすようなことでは、原理も原則もあったものではない。これは、周囲の動向と無関係に、われ一人独善的な孤高を守るということとは違う。自治体との関係やデモのやり方について先にのべたように、そういう柔軟さはどうしても必要なのだ。

数年前になくなった私の友人、鶴見良行さんが、ずいぶん前に書いた「国家権力と知識人の政治参加」という論文がある(『潮』1966年9月号)。ここでいう「知識人」とは、作家や学者や弁護士などのことだけではない。世の中のこともまじめに考える人全体のことと思っていい。ここで彼は、ベトナム戦争の中でアメリカの大部分の知識人がたどった道を批判しているのだが、今それは、私たちの置かれている立場に見事に重なる(残念ながら、この文は今容易に読めないが、みすず書房から刊行中の『鶴見良行著作集』の第2巻には、それらの論文が採録される予定だ)。

要するに、新ガイドライン関連法案が成立して以後、私たちの運動は大いに変わらねばならず、しかし、その原理、原則を大事にし、そこに依拠し尽くすという点では、いささかも変わってはならないのだ、と私は思う。会員、読者のみなさんのご批判をあおぎたい。

(5月21日のデモに出かける直前)

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