吉 川 勇 一
(『市民の意見30の会・東京ニュース』 No.53
1999.4.1. 久野収追悼特集)
久野収さんの訃報で、各新聞は、久野さんのことを市民運動とともに歩み、それに理論的支柱を与えてきた人というような紹介を一斉にした。(唯一の例外は共産党の『赤旗』だけで、同紙はまったく評価抜きで死亡だけを一段で報じた。)
だが、その割には、久野さんの本は市民運動の中で読まれていないように私は思う。昨年、岩波書店から、佐高信さんの編集で全五巻の『久野収集』が刊行され、久野さんの主要な労作の多くが容易に読めるようになっているのだけれど、そう安い定価でないせいか、久野さんを火葬場で送ったときに耳にした話では、この選集の売れ行きはあまりはかばかしくないということだった。たしかに、いっしょに反ガイドラインの運動をしている仲間たちの中でも、団塊の世代以降の人びとからは、実は久野さんのことはよく知らないんですけど、という話を何人かから聞いた。もったいないと思う。久野さんの数々の文は、反戦運動と市民運動にとって、「宝の山」という表現が陳腐すぎるなら、議論の出発点といってもいいものだと思う。
最近、知人に教えられて、宮崎学『突破者の条件』なる本(幻灯社)の中に出ているべ平連への罵詈雑言を読んだ。「恥を知れ、恥を」などという悪口の限りをつくしているが、内容は、久野さんの論の前では一瞬に霧消するような類のものだと感じた。
この短い文章では、とても久野さんの運動への寄与の一つ一つ挙げてのべることは無理だが、反戦平和運動の主体は何であるのか、原理として非武装・非暴力を掲げる場合、極限事態の際にどのようなことが問われるのか(「北朝鮮の偽装スパイ船」問題などは極限事態などと言えないものだが、ここぞとばかりの政府の対応や、センセーショナルなマスコミの報道ぶりなどを見ていると、反戦運動の側のきちんとした姿勢が必要だと思う。久野さんはそれも論じている――たとえば一九七五年の潮出版から出た『政治的市民の復権』に収められている「市民的権利の立場から」を見よ)、あるいはいまだ解決していない運動の中の暴力問題(内ゲバ)など、久野さんの論じた問題点を通らぬ限り、私たちの運動は先へは進めないだろう。
久野さん自身が編んだ一巻選集とも言うべき『平和の論理と戦争の論理』という書物がある(岩波書店、一九七二年)。その「あとがき」で、久野さんはこう語っている。
「過去の発言をふり返えりながら、……(中略、以下同様)現実にむきあう場合に、私の平和論の政治的敗北の印象は消し去れない。……かりに政治的敗北を認めたとしても、それはすぐさま思想的敗北ではない。政治的“勝利”は、実は思想外的勝利にすぎず、やがて思想的敗北に結果する場合もある。政治的“敗北”も、そこからほんとうの教訓が学びとられ、思想原理がきたえなおされれば、将来の政治的勝利に結びつくことができる。そして、教訓が学ばれるのは、より多く、間ちがいや失敗の経験からであって、真理や成功の経験からではない。その意味では、本書から読みとられるべきは、不足と欠陥であり、盲点でなければならない。……」
「本書で貫かれているのは、前衛の指導による革命的闘争ではなく、一人一人の市民、だれでもの自己運動の観点である。一人一人の市民、だれでも、といっても、エスタブリッシュメントに座をしめる市民ではなく、底辺に生きている市民であり、この市民をよりどころとすると主張した本書の立場が、右派のリベラル派、エスタブリッシュメントの市民から、偽善やセンチメンタリズムをふくむ不純な立場として、攻撃されたのは、私が、行動と心情においてすこしずつ動く市民をモデルにえらび、彼らが、いつも同じ自己満足的市民をモデルにしている結果である。……」
最近の暗澹たる日本の政治状況のなかで、市民の反戦運動を力あるものにさせるためにも、いま、落ち着いて久野さんの残されたものから学ぶ努力を、もう一度始めたいという思いが強い。
(なお、この「久野収追悼特集号」には、上記の文のほか、石田雄、川邉岸三、小田実、天野祐吉、中山千夏、山中律夫、野澤眞 の各氏の追悼文が載っています。)