50 脳梗塞の リハビリの効果、最近の私の状況など (2009年10月26日執筆  27日掲載)   

 最近、知人からのメールで、2ヶ月も掲示がないと心配です。お身体の具合がよくないのかなあと」という言葉をいただきました。いろいろ と私の健康などにご配慮をしていただき、有難く、申し訳なく思っています。少し長くなりますが、最近の状況をお知らせすることにいたします。ご用やお急ぎの方はご覧下さるないようによろしく。

 確かに、この2ヵ月ほど、私のサイトに通信を載せておりませんでした。しかし、このサイトの中の「 ご寄贈いただいた書籍、映像記録等」などの欄には、かなりたびたび新しい更新はしてありますし、また、これとは違いますが、私自身が担当している「旧ベ平連運動」のサイトの「ベ平連関係のニュース」の欄(http://www.jca.apc.org/beheiren/news.html )では、最近まで、新しいニュースをたびたび載せておりますので、可能でしたら、そちらを覗いてみてください。例えば、最近では、知人のダグラス・ラミスさんの新著、ガンジーの危険な平和憲法案』 (集英社新書)や、中川六平さんの新著、『ほびっと 戦争をとめた喫茶店――ベ平連 1970-1975 in イワクニ』 (講談社の紹介の文などを載せました。

私の今の脳梗塞についての状況

 さて、私の健康状況のことです。6月に入院していた病院に、これまで毎週1回、リハビリに通っており、今日もそれから行ってきたのでした。脳梗塞になって入院してからすでに約半年になりますので、ここのところ 、失語症の状況についての検査が続いていました。
 今日、その結果を聞かされ、「標準失語症検査プロフィール」という検査結果の表も渡してもらいました。 

失語症検査についての現在の結果状況

 
右の表です。小さいのでわかりにくいかもしれませんが、黒点の実線は、6月初旬の検査結果のもので、 下のほうに続いている線です。上のほうにかなり100点に多い赤の三角の赤実線は、9月半ばから10月半ばまでの検査の結果です。最低のところにまで4件もあった初期の成績が、「口頭命令に従う」と「呼称」のテストでは最近の結果では100%になっており、それ以外でも「文の復唱」や「短文の書取」でも約50%近くにまで評価が高くなっています。それ以外の検査では、ほとんどが100%が多くなっています。担当の先生に言わせると、こんなにリハビリの効果が出ている患者はほとんどない とのことで、こんな患者ばかりだったら病院は万々歳ですよ、と言われたほどでした。確かにこの結果によれば、脳梗塞による失語症が非常に快調に恢復しているようです。表の中で点のない黒実線は失語症者150人の平均の結果ですが、私は、ほとんどの検査でそれをずっと上回る結果になっています。
 この結果によれば、優秀なリハビリ生徒のようで、かなり自慢しても言いようです。

現在での不自由な自分での不満


 ただ、私自身はまだ安心していないと言うか、満足しておりません。というのは、普通の人への会話はまず不自由ではなく出来るのですが、複数のメンバーと議論にするようなときは、途端に判っているはずの表現の単語が口から出なくなってしまい、うまく表現できなくなってしまいます。また、市民運動や政治問題などについての原稿を書こうとすると、やはり自分が 使いたい表現がうまく書けず、それを考え出す時間がかなりかかって、かつての執筆の4倍から5倍ほどの時間がかかり、また、翌日や3日のちに何度も読み直し、書き換え、単語の変換などの作業をしないと、まっとうな文にならないのです。おそらく、講演も同じことになるでしょう。 医師の先生は、原稿のつくりに努力したり、あとで読み返して書き直すような仕事が、非常に役に立つリハビリになるはずで、ぜひ努力してくださいと言われていますが……。

脳梗塞による脳の破壊細胞のスキャン写真

 今日、入院のとき 主治医だった先生に、その時の脳梗塞の状況を詳しく報告してもらいました。というのは、自分自身では、入院当時の状況をほとんど記憶していないからなのです。入院の翌日に 写された脳のスキャンの写真を見せてもらいました。左の写真です。体の下から写すもので、上のほうが鼻がある方向です。したがって、写真の右側は自分の左側の脳だそうです。 左側の写真の、右に白い部分がかなり大きくあります(矢印の先)。右側の写真でも、右側に同じような部分に少し白いものが見えますが、それも同じ 脳細胞のところだそうです。これが脳梗塞によって血管が詰まって血液が止まり、脳細胞が破壊した部分だそうです。これはもはや回復できない脳細胞の部分で、破壊したところは、そのままだ とのことです。この部分は、かなり大きな広さで、自分でも驚きました。リハビリによる恢復というのは、この部分を直しているのではなく、練習によって脳神経がバイパスを繋ぐようにさせ、それで脳の活動を回復するようにしているのだそうです。

入院当時のかなりひどい脳と表現の反応

 入院したときはどうだったのでしょうか、と先生に聞いたところ、翌日の検診の記録をみせてくれましたが、こう書いてあります。
 ――いろんな「ニクニク」がダメだねぇ……などと話す。ニクニクが何なのかは聞いても答えられない。――”とけい”(という文字)を”とけい”と読めるが、それが何を指すのか分からない。逆に腕時計を見せても、”とけい”とは言えない。漢字の読む力が落ちている。「12月35分、それはなんだというと、これはクニ……」などと話す。「右手で左耳をさわってください」と言っても理解できない。――
 という次第です。まったく記憶にないのですが、最初の状況は、これはかなりひどい状況ですね。これと比べてみると、よくまぁ、今はよくなっているものだ、と確かにわかります。

病院でのリハビリは11月中で終了ようだ

 病院としては、 以上のようなほとんどの回復状況なので、病院でのリハビリ処理は、11月中で終了ということになるとのことでした。あとは、自分で、原稿執筆の努力や、複数の人びととの活発な会話などが、失語症のさらの回復を進めることになるだろうと言われています。現在のリハビリはどんなことをやっているのか、もし興味のお持ちの方は、次のクリックをしてご覧になってください。今日先生に提出した先週に渡されていた自宅での宿題の内容全文です。

最近の私の暮らし

 病気やリハビリのこと以外で、最近の自分の状況を以下にご報告します。
 市民反戦運動への参加:いろいろな市民運動の集会への参加は、数が減っています。しかし、市民の意見30の会・東京の機関紙『市民の意見』には、毎号「事務局だより」を載せていますし、それ以外に書物の紹介の文などを出すこともあります。この運動の事務局会議や、この『市民の意見』の編集委員会の会合、反改憲の新聞広告の運動体「市民意見広告運動」の会議などには、ほとんど必ず参加して出席しています。
 山中湖温泉や薮内正幸美術館:それ以外でも、なるべく外に出るように努力しています。先週は、毎年春秋に行なわれているベ平連などの友人たちの集まりに参加するため、山梨県の忍野村にまで行きましたが、脳梗塞で退院してから始めて、高速道路を車で行きました。その日の前後の二日、私の知人がもっている山中湖のマンションに一人で泊まり、すぐ近くにある温泉「紅富士の湯」にのんびりつかりました。そして最後の日は、八ヶ岳にかなり近い北杜市にある「薮内正幸美術館」を訪ねました。薮内さんは、ガンでなくなった私の知人の連れ合いだった人で、鳥類や動物のすぐれた微細絵画の画家でした。ぜひ一度は行かねば、と思っていたところです。とにかく、脳梗塞以後初めてでしたが、かなりのスピードで中央高速のドライブを無事に往復出来ました。
 来月の半ばには、先にふれた中川六平さんの新著『ほびっと 戦争をとめた喫茶店』の出版記念会が京都であるというので、それに出かけるつもりです。出来れば、ついでに京の紅葉を見たいとも思っています。
 日本フィルの定期コンサート:先週の終わりには、知人の招待で、日本フィルハーモニーの定期コンサートをサントリーホールで聞きました。A・ラザレフの指揮で、プロコフィエフの交響曲第3番やモーツァルトのピアノ協奏曲第27番(P::田村響)でした。久しぶりの生コンサートで、迫力のある音を楽しみ出来ました。
 自治会の敬老パーティ:住んでいる団地では、自治会に必ず顔を出しており、夏は団地の中にある公園での夏祭りに行き、「保谷太鼓」の演奏を聞き、また、敬老の日のあとには自治会主催の「敬老のパーティ」に参加して、松茸弁当を貰い、団地内のハワイアンのグループが演奏をされました。団地自治会には147世帯が入っていますが、77歳以上のある家族が53世帯あるそうです。この日のパーティには70歳以上の人が29人が参加しましたが、圧倒的に女性で、男性は5人だけでした。11月の末には、自治会がバスを出して伊豆方面まで日帰り旅行もやります。1人までは無料だそうで、これにも参加するつもりでいます。
 執筆や編集:こんなことばかり書きますと、かなりのんびりと優雅な暮らしばかりしているように思われるかもしれませんが、仕事は必死にやっています。今は、昨年逝去された先輩の反戦活動の数学者、早川康弌(みちかず)さんの遺稿集の編集の仕事に参加しています。早川さんは原水協や日本平和委員会の中心活動家でしたが、ベ平連での反戦米脱走兵を自宅に匿って、家族全員でそれを支えたりしました。特に、戦前の1920年代終わりから30年初期の学生時代には、「日本反帝同盟」のメンバーで、都留重人さんなどとともに非合法の反戦活動に加わり、特高に逮捕されたりした方です。今、その本に載せるはずの「早川康弌さんと社会主義」という文と「早川さん一家の反戦脱走米兵の支援」という二つの文を書いているのに必死です。 戦前の反帝同盟のことを勉強するために、井上學『日本反帝同盟史研究』という500ページ以上の厚い本(何と8,500円!)を読むのが大変です。とにかく先に書きましたように、文を綴るということがかなり困難ですから……。
 つい数日には、以前『環』(藤原書店の季刊雑誌)に載った私の「不可逆の1968年」という文が、単行本の『1968年の世界史』(藤原書店)に載せられて発行されました(¥3,200)。
 食事の料理:食事は、なるべく自分でつくっています。結構新しいレシピを使ってもいます。今夜は、知人から貰った博多のジューキューの「あごだし」を使って豪華な寄せ鍋をつくり、田酒と一緒に楽しみましたし、昨夜は厚手のぶりのうまい照り焼き、一昨日はタイ風豚そぼろのインゲンサラダと、ひき肉ともやしの炒め物を、その前の晩は、ちぎりインゲン・豚肉・春雨の炒め物と辛し菜のお浸しを、その前の日は、ブロッコリーの海鮮あんかけと、サトイモの煮っ転がし……という具合で、かなり手をかけています。ただ、やはり時間をとられるのが困るのですが……。

 と、どうでもないようなことをだらだらと書きました。読んでくださった方、ありがとうございました。

 これをロードしたのは26日の夜中というか、27日の午前4時でした。今朝は7時におき、9時25分、NHKのTVがやる5分間だけですが、テレビ体操をやります。窓から、富士がえらくきれいにすっきりと見えるのでした。