28 年末年始の雑感 (2007年01月08日 午後4時30分 掲載、 01月11日 一部追加)
(1) 加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」のこと
今年の賀状にも書いたことですが、昨年の暮、27日に新宿であった加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」を聞きに行きました。知人から券を贈られたのです。
「ほろ酔いコンサート」というだけあって、入り口では入場者全員に日本酒をついだコップまで配られるのです。この日は、ちょうど彼女の誕生日に当たるそうで、彼女も舞台の上で、ずいぶんお酒を飲んでいました。加藤登紀子の歌は、どれも確かによいものでした。ブレヒト+クルト・ワイルの歌が歌われたのもうれしく思いました。
聴衆のかなりの割合を占めていたオバチャンたちの熱気には圧倒されました。もう、立ち上がって、拍手、手拍子、スクラム、踊りだす人もいるのです。ですが、登紀子の歌う『All
Power to the
People!』の歌へのすごい盛り上がりには、私は今ひとつ乗れませんでした。60年代最後から70年代はじめにかけての、あのスローガンのもつ意味と、今の世界、とくに日本の状況のひどさ、主体の弱さとの間の距離があまりにもかけ離れていて、憮然とする思いのほうが先でした。あのコンサートの後、新宿駅までデモをしよう!というような呼びかけでもされるのでしたら、あの熱狂にも共感したのでしょうが……。
こういう感想を送ったところ、ある友人からは、「言わんとすることが痛いほど分かります。しかし、『コン サートの後、新宿駅までデモをしよう!』は
、どう見ても無理があります。時代が変わったということではないでしょうか。(中略) 世界中で人々はデモをしています。だが、日本ではデモを見ることが極端に少なくなって様に思います。コンサートにデモまで求めるのは無理。加藤登紀子さんはよく頑張っている方だと思います。……」という返事のメールを貰いました。
これは誤解です。私は、加藤が歌のあとでデモの提案をすべきだったなどと彼女に求めているのではまったくありません。そんなことを仮にしたとすれば、何よりも立ち上がって手拍子を打っていたオバチャンたちが、戸惑い、顔を見合わせたことでしょう。「スワ!」と興奮した者がいたとしたら、コンサートであっても場内にいたに違いない公安警察だけぐらいでしょう。デモの条件など、まったくない状況の下で、「All
Power to the People!」という言葉に客席で立ち上がって手を叩き、踊っていることへの違和感を言いたかったのです。
延々とアンコールの歌が続きましたが、最後の最後に、彼女は『知床旅情』をしっとりと、しみじみと歌いました。これは暮のこのときの気持にぴったりとしたものでした。『All
Power to the People!』は、やはり加藤の歌のひとつ、 『時には昔の歌を』と結びつくものだと、私には思えるのですが……。
歌といえば、NHKの「紅白」を、年越しそばをつくりながら、聞くともなしにつけていたのですが、布施明の『イマジン』と、初出場だそうですが秋川雅史の『千の風になって』は感動しました。やはり歌詞とメロディーの素晴らしさです。あと、これに森山良子の『砂糖きび畑』が加わっていたら……という思いでした。
このときの歌の一つで、DJ OZMAとやらの『アゲ♂あげ♂EVERY☆騎士』とかいう歌のバックの踊り子が裸に見えたということが問題になり、NHKには抗議の電話が多数あったようですね。番組の中で、アナウンサーが、裸ではなく、実際は
ボディスーツを着ていました、と異例の弁明をしていました。たまたま、私もその画面はみていて驚いたのですが、それは裸だからというよりは、最後にパンツを引き下ろしてバタフライだけになる動作が、なんとも卑猥に感じられたからです。美しい裸のなり方というのは、いくらでもあります。しかし、この時のその動作は、なんとしても美しくは感じられませんでした。
(2) 若い人びとの思いやりに感謝
加藤登紀子のコンサートの券は、古い運動の仲間で、私よりかなり若い人からの贈り物でした。加藤の歌を好きになってきたのだが、6000円以上もするのでは、簡単には行けないな、などと話したら、たまたまその知人は、券を何枚も入手しているからといって、4枚も送ってくれたのです。一昨年の暮れには、やはり運動の若い仲間で、交響楽団の事務局に勤める知人から、ベートーベンの第九の演奏会の券が贈られました。別の仲間からは「ミサ・ソレムニス」の演奏会の券も貰いました。一人身になってから、生の演奏会に行く機会が激増しています。
暮れの「ほろ酔いコンサート」の券を転送した今の運動の仲間である女性からは、大晦日に、お礼だといって「奥様とお二人で眺めてください」というメッセージとともに、クリーム色のバラの大きな花束が送られてきました。
その前日には、三里塚の地で循環農業に取り組んでいる若い友人から、「冬の野菜は長持ちしますので、ゆっくりと召し上がってください」というメモとともに、いろいろな野菜がつめこまれたダンボール箱が届きました。
そのほか、昨年春には、ベ平連の頃の若い仲間たちが、私を秩父の温泉に連れ出してくれました。
今、もっぱら私がかかわっている運動である「市民の意見30の会・東京」の事務局の仲間たちは、連れ合いの死んだあと、これもベ平連時代の仲間だった女性が経営していた飲み屋で「吉川さんが思い切り泣いてもいい会」という飲み会を開いてくれましたし、昨年は、機関誌の編集実務から解放されたあと、「引退を祝う会」(?!)なる催しをやって、そこでは、記念品だとして「ローリング・ピアノ」なる電子楽器が贈られました。
どれもこれも、連れ合いに死なれて落ち込んでいるのではないかと、年寄りの私への思いやりからの温かい計らいであることがよくわかります。ありがたいことだと思います。
市民の犠牲者が増え続け、フセインの処刑で終わった2006年、イラクへの米軍増派が予定され、改憲を問う選挙にするという参院選のある2007年――おかれた状況は最悪といえるものなのですが、私個人だけのこととしては、音楽や花束や新鮮な野菜に囲まれ、2日もかけて戻した身欠きニシンで美味くできた年越しそばを食べ、屋上に上って月の光を浴びながら除夜の鐘を聞いて迎えた新年――、 申し訳ないくらい幸せな年越しが出来た、と言えるのでしょう。右上の写真は、私が作ったおせち料理の一部の煮しめです。
(3) いただいた賀状
今年も多数jの方から、賀状をいただきました。ありがとうございます。私信ですから、公表はできないのですが、匿名でいくつかをご紹介します。
憲法改悪への動きを憂慮したり、教育基本法の改悪ヘの言及がとても多くありました。それで、「一茶の句をもじれば……」として「めでたさも 小数点以下なり おらが春」というような句を書いてこられた方も。右は、かつての予備校での教え子で、好きだった仏像修復技工への道に進んだ知人からのものですが、仏像も嘆かざるをえぬ時代だということでしょうか。
しかし、元気の出るようなメッセージもあり、80歳になる先輩からは、「革命という言葉をIT業界などに独占させず、新しい定義と共に復活させようではありませんか」とよびかけられたあと、「一年あまり前からはじめたトランペットのレッスンは、なかなか順調にすすんでいます。音もぐっと良くなり、曲もけっこう吹けるようになりました。これからは即興演奏に向けてのコードのお勉強です……」という賀状を頂きました。私のピアノはどうなっているんだという、いささか、もうあきらめの気分も入ったようなお問い合わせは、何人もの方から頂いているのですが……。
京都の知人からの「世界が赤い視線を失ってから すでに久しい もうそろそろ 私たちがそれを取りもどす時だ」とか、元記者の知人からの「闘います。だまっていられません」とか、概して、高・老年層のほうが元気がいいようです。
予備校で同僚だった知人からの賀状にはは、「去年は三百万歩、歩きました。本は一〇〇冊ほど、映画は一四〇本。吸ったタバコが六五〇〇本。心身ともに元気」とあります。へーッと思って、自分の計算をして見ましたが、歩数も読書数もとても及ばず、ただ、タバコだけは、私のほうが勝ち、1万本以上になります。
「自分もいい人になった」とか、「やはりストーマをもつ身になった」というような同病のお知らせや、また年配の方から「腰部背柱管狭窄症」だの「腰椎圧迫骨折」に見舞われたというようなお知らせもいただきました。ご健康にはくれぐれもご留意ください。
「天国(?)からの割り込み」も含む賀状については、やはりご好評のようで、左のように、連名の宛名書きをしてくださった方も少なくありません。
反響としては、「夫は生きているのに年賀状をやめてしまいました。お宅のおくさまは亡くなられてもお出しになるのに……」というようなお便りや、
「年賀状頂きすみません。私、(出すのを)やめてしまったのですが、こういう賀状をよませていただくと、たちまちグラッときます……」というご返事もいただきました。ある旧知の医師は「仕事柄多くの亡くなられた方とご家族に接してきましたが、時空を超えて人は人の心の中に生きていることを常々感じます。登紀子さんのことばも素敵ですね」と書いてきました。
連れ合い宛に、「『天国』より『極楽』の方がまだマシではないかと思うのですが、いかがでしょうか。一度おたずねなさいますよう。」というお便りや、また「暖かい天国からのお便りに励まされました。この国の寒さが厳しいのは、神様のお告げに背く族どもが、わがもの顔に『美しい国』などと語るからでしょうか! 出来ることを少しだけでも参加して、暖かい国の神様に褒められたいと思います」というメッセージも頂きました。
祐子の学生時代の同級生や、かつての勤務先の同僚だった方々などからも、「今も生き続けていらっしゃる、お幸せな方」とか、「とても楽しいおたよりです。ありがとう!!」とか、「今年も連名のお年賀状、嬉しく頂きました。『天国』でお元気にしていらっしゃる祐子さんを思っております」とか、生前に変わらず、多数の賀状を頂きました。
私より少し年長の運動仲間からは「加藤登紀子の言葉に涙する吉川さんの心根に感動しました」という寒中見舞いを頂きましたが、こういう返事を貰うと、また少しグッときてしまいます。
昔はずいぶん多かった手作りの版画の賀状は、かなり少なくなりました。左はそのうちの一つです(番地の部分だけは消しました)。野津さんは「市民意見広告運動」の事務局のボランティア・スタッフの一人ですが、年末・年始に、「逆打ち四国霊場108ヶ所巡拝」をされており、行く先々で、やはり手作りの版画でつくった「武力で平和は創れない よみがえれ九条!」という納め札(左中の図、上下がそれぞれ表、裏の文面)を配り続けておられます。野津さんのホームページには、そのお遍路の記録が写真とともに詳しく出ていますので、ご覧になってみてください。
http://www.fiberbit.net/user/notzu130/index.html
もう1枚は、3年前になくなった私の学生運動時代の仲間の夫人からのもので、きれいな版画でした(右上)。
だいぶ凝ったものでは、版画ではありませんが、昨年もハワイからのお便りをご紹介した運動仲間のR・Sさんからのものでした(右
下)。