10. 「天声人語」の朗読と『朗読者』の朗読 (2001/10/17記入)

いい人は介護する(?)――障害者として、介護者としての雑感  (その10)
 

 以下は苦言でも愚痴でもありません。知人、友人への感謝と日本語についてのちょっとした感想です。

 前に触れた拡大読書器がわが家に届いたのは昨年の10月6日のことでした。使うようになってもう1年以上が過ぎたことになります。TVの画面上で本の1行の上下が切れてしまう問題とか、カラー写真の色がよく判別できないとか、いろいろまだ不満はあるものの、とにかく今では連れ合いにとって必需品になっています。友人、知人、兄弟などからの手紙やFAX、新聞や文庫本などを、スピードは遅いものの、とにかくこれで読めるようになりました。読書に慣れた者にとっては、文字が読めないということは大変な苦痛です。古い話ですが、半世紀前、私が20歳、学生運動のデモではじめて警察に逮捕され、「接見禁止」「読書禁止」など、面会も本の差し入れも禁止され、冷え冷えとする留置場の中にポツネンと座らせられていたときのことです。無性に文字が読みたくてたまらず、留置場の壁に爪で彫られたそれまでの留置人の落書きを隅から隅まで何度読んだことか。また、手元にある唯一の印刷文書「接見禁止通知書」なる紙切れの文字を、何度朗読したことか。その活字の一つ一つの形さえ、今でも思い出せるほどです。まさに文字に飢えるのです。

 彼女の目がよく見えなくなってから、拡大読書器を使えるようになるまでの4ヵ月ほどの間、病院でも、退院してからも、私は新聞の朗読をやりました。長年購読してきた『朝日新聞』の「天声人語」、社説、天野祐吉さんや編集委員・早野透さんのコラム、1面や社会面のトップ記事、そして主なテレビ番組……。毎日、1時間から2時間は朗読の時間にしていました。

 これを知った友人・知人たちがいろいろ援助の手を差し伸べてくれました。コンピューター関係の雑誌の編集者であるKさんは、『朝日新聞』のホームページから、社説や「天声人語」などを読み取って、それをパソコンに音声で読み上げさせるソフトをもってわが家まで訪ねて下さり、私のパソコンにセットアップまでしてくださいました。(専門家が拙宅まで来てくださったので、それまで四苦八苦していた無線LANの構築までお願いして、朝の3時まで引き止めることになってしまいましたが。Kさん、すみませんでした。)

 また、市民運動の仲間であるKさん当時大きな話題になっていたベルンハルト・シュリンクの『朗読者』 〈新潮社、2000年刊)を、なんと全文、カセットテープに朗読して入れてくださり(カセット往復で全5巻です!)、送ってくださいました。大変な作業です。おかげさまで、まだ私3分の2ほどしか読んでいな かったこの本を、連れ合いは、読了ならぬ「聴了」してしまいました。 ありがたいことでした。(それにしても、最初は、ナンジャ? これはポルノ小説かいな、などと思って読み始めたこの本はショッキングな本でした。)

 ところで、こうした朗読をしてみて、いろいろなことに私は気づきました。当然ながら、 新聞は、読むためのものであって、聞くものではないということが第一です。毎日のものが必ずそうだというわけではないのですが、「天声人語」のようなコラムは、字数制限もあり、視覚による理解が前提になっていて、眼の不自由な人にただ朗読してやれば通じるという文ではまったくない場合がよくあります。表音文字を使う英語のような場合は、おそらく、そういうことはあまりないのだろうと思いますが、日本語のような漢字文化、表意文字を使う文章は、単なる音声化では必ずしも通じないということがよくわかりました。 朗読の途中で中断し、単語の文字を言い換えて解説する必要のある場合が何度もあるのです。私自身が書く文章もそうです。たった今書いた「ツレアイハ、 ドクリョウナラヌチョウリョウシテシマイマシタ」などは、そのいい例でしょう。これを耳だけで聞いたのでは、理解困難です。中国語もそうかな、と思ったのですが、しかし、最近の中国の簡体略字の決め方などを見ていると、一つ一つの文字の持っている意味を重んじるのではなく、発音だけから簡単な文字に変えている場合も多くあるようで、私など、その文字の形だけからは意味がまったく推察できなくなっている単語も少なくありません。中国語はだんだん、朗読で理解可能な言語になってゆくのでしょうか。

 これまで考えたこともなかったこんなことに、朗読を通じて初めて考えるようにもなりました。ラジオの「私の本棚」などで朗読されている書物の選択など、聞くだけでわかるということが前提で選ばれているのだろうな、などとも考えました。