『時事通信』1999.3.23.送稿

「いい人はガンになる」書評

                    鎌田  慧

  著者は、六○年代から七〇年代半ばにかけて、若ものたちを反戦運動に駆り立てた、「べ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の事務局長として、市民運動の世界ではよく知られている人物である。

 沈着にして冷静、運動のまとめ役としての評価がたかいのだが、この本には、知るひとぞ知る、ユーモアの精神もよくあらわれていて、微笑ましい。

 「いい人はガンになる」とのタイトルには、「ガンにならないのは悪い人だ」との意味がこめられているようだが、しかし、だれもガンにならないとはかぎらないのだから、傷つく人はいないし、その一方では、ガン患者には限りない激励をあたえている。

 本人自身、膀胱ガンと胃ガンを併発していて、「ストーマ」(人工膀胱)とともにあることを隠していない。それでいて、相変わらず市民運動をつづけ、相変わらず予備校教師をつづけて、若ものたちとつきあっているのだから、その壮やよし、である。

 市民運動家とガンといえば、すなわち「闘病記」と受け取りがちだが、本人がこの本を書くことにした動機とは、これまで刊行されている「ガン闘病記」のように、壮烈、凄絶、悲壮、涙、涙……というようなものではなく、もっと笑える、陽気なガンの本をつくろう、というものだった、という。

 自分の病気を明るく描くのには、かなりの知的な操作が要求される。おそらく、強靱な精神の持続が必要であろう。さらに抗ガン剤の副作用に苦しみながら、現るい文章を書きつづけるには、どこかで断念があるはずだ。

 「……三ヵ月なり、半年なりの計画を一つ一つ片づけたりしてきていると、生理的な死の足音は、恐怖などではなく、残された生の歩みへの伴奏のようにも闘こえてくる」。しかし、その伴奏は、モーツァルトの「オーボエ協奏曲」のようなものだ、という。

 ガンで亡くなった友人たちを追想する文章に、深い愛情がこめられている。

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