hon-small-red.gif (121 バイト) 山積みになっている「ツンドク」の本とアンビバレンスについて (2001/10/06) 

 私の机の脇には、ぜひとも読みたい本、読まねばならぬ本の山があります。いわゆる「ツンドク」です。この欄の前項で、渡辺勉さんが紹介されている『毛沢東のベトナム戦争』『ニクソン訪中機密会談録』は持っておりませんでしたのですぐに買いました。渡辺さんの紹介は実に見事で、あれを読んだら、買わずにはいられなくなります。そこで触れられている東大作『我々はなぜ戦争をしたか』はすでに読んでいましたが、マクナマラ『Argument Without End』 は、パラパラとめくって「トンキン湾事件」のところを読んだだけで、まだじっくりと読んでおらず、「ツンドク」の山の中に入っています。そのほか、コルコの膨大で、したがって高価な『ベトナム戦争全史』(なんと定価1万7千円でした!)も未読です。ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』上・下もリードフィッシャー『ヒトラーとスターリン』上・下も、そして石堂清倫『20世紀の意味』オプホルツァー『W氏との対話』もその山の中に入っています。つい最近贈られた池田浩士さんの『ドイツの運命』も是非読んでみたいのですが、手がついていません。 こうして山はどんどんと高くなってゆきます。これ全部は今年のうちには到底片付かないでしょう。

 やらねばならぬ緊急の仕事があり(亡き畏友、鶴見良行さんの『著作集』全12巻〈みすず書房〉のうち、私が編集を担当している巻の締切りがとっくに過ぎています)、そこへ世の中の状況が極度に悪化し、集会やデモや市民運動の会合などが目白押しに詰まってきた現在のような時には、必ずこうなるのです。そして、意地悪なことに、そういう時間のないときが、いちばん読書欲に駆られるときなのです。

 昔からこうでした。池田浩士さんへのお礼状の中に、すぐには拝読できそうもないというお詫びの言葉と一緒に、以前書いた短文のコピーを同封しました。言い訳のようなものです。それをここでご紹介します。平凡社の『月刊百科』に書いたものです。
 私は今も、こうしたアンビバレンスの感情に悩まされています。


東洋文庫」とアンビバレンス

吉 川 勇 一
〈『月刊百科』1987年5月号)
 

 人間とは勝手なもので、忙がしくなればなるほど、むしょうに本が読みたくなる。集会だ、会議だ、デモだなど市民運動の行事がつまり、深夜の帰宅が続くと、買ったままいつかは読もうと積んである本がえらく気になってくる。今も疲労と煙草の吸いすざでボーッとすわっている私の机の上には、復刊して全点揃った「東洋文庫」の目録がある。それをパラパラとくると、不思議な魅力をもった別世界が手をいっぱいに広げて私を誘惑する。二つに分裂する気持をなんとか結びつけようと考えるうちに睡魔が襲う。そんな日々である。
 「東洋文庫」に接するたびに見舞われるこのアンビバレンスは、これまでの人生のなかでいつもあったアンビバレンスに重なる。学生時代、成域の民俗学研究所に通っていて、柳田国男氏に師事しながら、朝鮮戦争下の学生運動に飛びこんで以後、似たような思いになんどもとらわれたものだ。
 "Yokohama Dialect"という小冊子がある。タトルから復刻されたもので、原版は一八七九年(明治一二)発行だから今から一〇〇年以上も前の、いわば、「英日会話簡易便覧」といったものだろうか。
 私は、このパンフレットの復刊版を知人の洋学史を研究しておられる学者、川澄哲夫さんからいただいたとき、いったいこれは、実在したものなのか、はたまただれかがいたずらで作ったものなのかわからず、考えこんだほどだった。
 たとえば、パンフの冒頭にある献辞の下に、「金があるとさゃ 『リキショー』(人力車)にのるが、金がなくなりや「チキショー』(畜生)といわれる」というざれ歌のようなものが引用されていて、「日本の古歌(old Japanese poem )からの訳」とされていたり、第一版への序文の日付に「一八七九年三月三一日、明治一三年」とあるが、これは一年ずれているし、また「明治」の説明に「神武天皇二番日の従兄弟」とあったりするのは、ふざけているのか、無知による誤解なのか、見当もつかなかったからだ。しかし、実在のものだったとすれば、あとでもふれるように、これは実に面白い。言葉のまったく通じない庶民同士が必要に迫られて接触し、 意志を疎通させなければならなくなったとき、どういう共通の記号が生みだされるのか、いや、そんなむつかしい話でなくとも、「Church - Oh terror(お寺)」だの、「Strong, well - Die job(大丈夫)」など、見ていて実に楽しくなる。
 これについてもっと知りたいものだと思っていたら、ある日、「東洋文庫」B・H・チェンバレンの『日本事物誌 2』「異人の日本語」に「昔、横浜に在住していたホフマン・アトキンソン氏は、この題目(「ピジン日本語」のこと)について、まことに面白い本を書いた。題して『横浜方言集』しという。しかし、日本語をほんとうに知っている者でなければ、その面白味を充分に味わうことは不可能であろう」とあるのを見つけた。チェンバレンは、そのあと、この『横浜方言集』からいくつかの例を引いている。その中に「灯台」はフネ・ハイケン・セランパン・ナイ・ローソク、「海上保険検査官」はセランパン・フネ・ハイケン・ダンナサンなどがあり、「東洋文庫」の訳者高梨健吉氏は、この片仮名の部分に〔船拝見破損無い蝋燭〕、〔難破船拝見旦那さん〕と訳をつけている。『横浜方言集』の原文のそこの部分はこうだ。
  A lighthouse
Fooney high kin serampan nigh rosokoo
Marine insurance surveyor
Serampan funey high kin donnyson
  これで、この小冊子が実在のものであったことは知りえた。つざには、ここ以外にも各所に出てくる serampan という言葉が気になった。高梨氏は、これを「破損」とか「破壊」という意味に訳されているし、たしかにそう考えれば、「Pistol - Cheese eye serampan」(小さいセランパン)もわかる。だが、なぜ serampan がそういうことになるのか。
  私の無知をさらすことになるわけだが、『日本国語大辞典』(小学館)をひいてみて驚いた。「さらんばん【名】(マレイ語 sarampan から。また、フランス語 ce-la-ne-pas (無くなせり)から出た語かともいう)物品がこわれたり、または約束が破れたりすること。めちゃめちゃ。元も子もなくなるという意に用いる」とあるてはないか。
 その後、出版社に勤務している友人が、服部之総の『黒船前後』にも、それにふれたものがあることを教えてくれた。それには、「サランパン」が今でも上海で使われているピジン・イングリッシュだと指摘している。一〇〇年前の横浜方言から、ピジン・イングリッシュ、上海、そしてマレー語へと、まさに「東洋文庫」がカバーしているあの領域へと思いは広がっていく。欧米商館と足跡をともにして広がっていく一つの言葉の変遷は、帝国主義と植民地主義の足跡とからみあい、また、言葉を異にする人間の、しかも庶民の交流の足跡とも重なる。たまたま手もとにある「東洋文庫」の書名でアトランダムに言えば、マンデヴィルの『東方続行記』であり、ピントの『東洋遍歴記』であり、さらに『バタヴィア城日誌』であり、『ラッフルズ伝』であり、『アブドゥッラー物語』の世界である。
 ここまで来て、私は、そういう世界に無限にわけ入ってみたいという、ひきこまれるような誘惑をおさえがたくなる。と、そのとき、その領域の現在の問題――平凡社の本でいうなら、鶴見良行・山口文憲共著『越境する東南アジア』や『東南アジアを知る事典』、さらにはエドワード・W・サイード『オリエンタリズム』などによって、私たちに今の問題として突きつけられている日本とアジアの関係の課題、私たちが当面する現実の問題にひ きずりもどそうとするブレーキが、私の中でかかる。
 もう一例。「東洋文庫」で『アメリカ彦蔵自伝』を読む。一三歳の少年が異人の船に救われて、はじめて耳に残り、理解した異なる言葉が「プレンティ」〔たくさんある〕であったことを知る。言葉のまったく通じない人間同士が、最初に交わし、覚える言葉は、ほかの場合にはどうだったのだろう、という関心が強く強く湧いてくる。ジョン万次郎は、大黒屋光太夫はどうだったのだろう……。万次郎を紹介する鶴見俊輔氏の文章(たとえば『ひとが生まれる』ちくま少年図書館、『日本人の地図』潮出版社)に感動し、教えられる。そしてさらに、作家はその作品で、そういう場面をどう想像し、描いているのだろうか、と思いは広がる。言葉の通じぬ人間同士の初めての出会いのし場面をつ ぎつぎとあさり、読みはじめる。ロビンソン・クルーソーが初めて「フライデー」に教える言葉が、「マスター」であることを知って、あらためて衝撃を受ける。なるほど、とも思う。ここまで来ると、また、私の中で、例のブレーキがかかる。
 パンコックやマニラなど、東南アジアに赴任した日本人商社員やその家族に、商社や現地日本人会などが用意した「現地人召使い」への対応の仕方を書いたマニュアルや、日本の電気産業の大労働組合が、東南アジアの系列会社の労働運動に対する傲慢な「指導」の報告書などの問題と、それは結びついて、ふたたび現実世界へ呼びもどされる。民俗学や民族学に興味をもった学生時代、マリノフスキーの、たしか 『未開社会における犯罪と慣習』の序文だったと思うが、それを読んだときのショックと、その後のアンビバレンスの感情が想い出されてくる。私は「東洋文庫」を置いて、市民運動の集会にでかける。
「社会党と市民運動との対語集会」に出た直後、神保町で求めた『南洋探検実記』と『知恵の七柱』をじっくり読めるのはいったいいつの日のことだろうか。

         (よしかわゆういち/元べ平連事務局長)