時の開きを感じさせぬ現時点での示唆に富む論考集
『鶴見良行著作集第2巻――ベ平連』
(みすず書房、6月20日刊行、7,200円)吉 川 勇 一
みすず書房から『鶴見良行著作集』全
12巻が刊行中である。編集委員は鶴見俊輔、中村尚司、花崎皋平、村井吉敬さんと私だが、私が担当した第2巻『ベ平連』が今月中に刊行される。鶴見さんは今では、前例のない独自の領域を切り開いた足で歩くアジア学者として知られているが、一九六五年から七四年までユニークな大衆運動を展開したベ平連(ベトナムに平和を
!市民連合)の中では、中心的な役割を果たした優れた活動家、理論家だった。残念ながら、まだまだ今後の活動を望まれていた94年12月、68歳で急逝された。ベ平連が発足した一九六五年四月、鶴見さんは
39歳だった。(ついでに言っておくと、このときベ平連の代表になった小田実さんは32歳、私が34歳、鶴見俊輔さんは42歳、最長老と目されていた久野収さんでさえ54歳だった。みな若かった。)つまり、この巻に収められた文章は、今から三〇数年も前、鶴見良行さんが40歳代から50歳代前半に書いたものだ。今でも現役の岩波新書『バナナと日本人』や『東南アジアを知る』などで鶴見さんの文章に啓発され、影響を受けた人は多いと思うが、しかし、ベ平連当時の鶴見さんの論考を今読むことはほとんど不可能で、この巻で初めて鶴見さんの国家論、政治論、アメリカ論、平和運動論などに触れるという人も少なくないと思う。この巻の編集をするために、この頃鶴見さんが書かれた文章をすべて読み返し、あらためて驚いたのだが、ベトナム戦争当時のアメリカの政治・社会状況などの分析とそれへの批判が、まるで
9・11事件以後の現代アメリカを論じているかのような錯覚にとらわれるほどの新鮮さをもっており、三〇有余年の時代の開きをまったく感じさせないのだ。それは、鶴見さんが、表面的な事象ではなく、アメリカ社会の根底にある本質を捉え、論じているからであり、また、逆な言い方をすれば、ノーム・チョムスキーやハワード・ジンなど、僅かの例外を除けば、アメリカ社会の大部分が、ベトナム戦争という悲惨な経験からほとんど何も学んでこなかったということでもあるのだろう。すでに出ている第1巻『出発』の中に「アメリカに見るベトナム戦争」という文章があるが、そこで言われているアメリカの持つ「絶対的善」への信念に関する言及など、まさに今のアメリカの誤謬の根幹そのものへの指摘ではないか。また、この巻には、国家論、平和運動論なども多く収録したが、それらは、もちろん、すべて東西対立の激化している冷戦時代の論文だ。その後ソ連は崩壊し、冷戦体制は消滅したとされるが、鶴見さんの論考はいささかも色褪せていない。いや、今、ますます精彩を放ってきているとさえ言えるのだ。それは、鶴見良行さんの論が、この巻に収めた「新しい世界と思想の要請」(
66年)や「日本国民としての断念」(67年)で実に明瞭にのべられているように、東西対立の枠から抜け出て、「古典的世界の破産」を宣言し、国家そのものを超える視界をもって問題を提起していたからだ。……私たち先進国の人間は、国境とか国籍といった古い概念を問題としえないような新しい状況に住んでいるのだ。国境や国籍は、まだその恩恵にあずかったことがなく、したがってまたそのもたらす災害を味わったことのない半独立の諸民族にだけ残されるべきなのだ。……(「新しい世界と思想の要請」)
グローバル化の進む現在、国家だの、主権だの、国籍だのといった概念がつぎつぎと古典的定義にあるような意味を失いつつあるが、三十数年前に、鶴見さんはその事態を眼前に見ているかのように描き出していた。日本の反戦平和運動の進むべき大道についての提言も、今の時点でまさに適切、もっと早い時期に運動全体がこの提言を中心に据ええなかったことが、悔やまれる思いである。
現状に的確に対応し、まったく新しく私たちの運動を構築しなおす必要に迫られている現在、この鶴見良行さんの著作集第
2巻は、ぜひとも紐解いていただきたいと思い、強くお勧めする次第だ。