hon-small-blue.gif (121 バイト) 図書紹介 米国と戦争または「テロリズム」の定義――古屋修 (『市民の意見30の会・東京ニュース』No.75より) および、『グラウンド・ゼロからの出発』についての光文社編集部と吉川とのやりとり(02/12/03)

 『市民の意見30の会・東京ニュース』の最新号に載った古屋修さんの図書紹介を転載します。この3冊の本は、古屋さんの言われるようにまさに今、お勧めの本です。ただ、2冊目の『グラウンド・ゼロからの出発』の内容については、私もわずかですが関係しており、それについて、若干お伝えしておいたほうがいいことがありますので、それを後ろに書きます。

図書紹介
米国と戦争または「テロリズム」の定義
 

     古屋  修 

 米国の対イラク武力行使がいよいよ現実味を帯びつつある(十一月十二日現在)。中間選挙では上下両院で共和党が勝利を収め、イラク大量破壊兵器の査察強化を求める国連安保理決議が全会一致で採択された。しかしこれは米国の武力行使(つまり戦争)にお墨付きを与えるものに他ならない。国連は戦争正当化の道具に使われている。我が日本は有事法制=戦争法を準備中であり、米国に追随しようとしている。もはや米国の戦争を誰も止めることが出来そうもない……。これが二〇〇二年晩秋の世界情況である。なぜ、米国はかくも戦争にはやるのか。これを理解する手引きとして格好の著作を二、三御紹介したい。

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 まずは、『ノーム・チョムスキー』(鶴見俊輔監修、リトル・モア)から。「……理由はとても簡単です。世界最強の国家は、国際的な権威を受け入れないからです。現在の世界では、やりたいことができるのは最強の国だけです。……たまたまアメリカは、一九四五年以後世界の最強国であるだけなのです」。911後、世界中で最も重要な知識人の一人となったチョムスキー。この本は彼の映画(*)の元となった講演会とインタビューで構成されている。彼はニカラグアやグアテマラなど中米やトルコ、イスラエル等が行うテロに米国がどれだけ軍事援助してきたかを繰り返し説明する。

 チョムスキーの指摘は明解だ。「アメリカこそが世界最悪のテロをおこなってきたテロ国家である」と。「我々や我々の同盟国に対するテロのみがテロなのです。我々や我々の同盟国が他者にテロを行った場合はテロにはなりません。これは報復テロもしくは正義の戦争となるのです」「(911の残虐行為は)帝国主義国が他の国々を何百年にもわたって扱ってきたやり方なのです。これは歴史的な出来事です。その規模や性質においてではなく、誰において歴史的なのです」。
 この本の中でチョムスキーは、米国の行為を好意的に解釈して、「侵略」とは呼ばずに慎重に「国際テロ」と表現している。

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 しかし同じ米国人のD・ラミスは、米国がこれからやろうとしているのは侵略戟争に他ならない、と明言する。「ブッシュ大統領は冷戦のときにはしてはいけなかった先制攻撃も、テロリズムに対してはできる。テロに対して、その政…府が動かなければ、今までの国際法と違って、侵略する権利は自分たちにだけにあると言っているのです」。「アメリカは堂々と世界帝国を遠慮なく作ろうとしている。しかも今度は露骨に……」とラミスさんは喝破する。『グラウンド・ゼロからの出発』(鶴見俊輔/ダグラス・ラミス著、光文社)。
 グラウンド・ゼロといったら日本では広島と長崎にある。つまり爆心地のことである。貿易センタービルをグラウンド・ゼロというなら「アフガニスタンはグラウンド・ゼロだらけだ」というラミスさんの指摘は鋭い。アメリカにとっては「どこか他で引き起こした残虐行為は存在しない」のである(チョムスキー)。
 第二大戦当時、ハーバード留学中に逮捕され、米国の監獄経験を持っている鶴見さんは〈不良少年性〉から出発してものを考える。彼は言う、(これは嫌だという情況や法律にたいして)「自分はこのことはしない」「これは捨てる」「この罰なら受けてもいい」という覚悟をもってしっかり抵抗するのだ、と。「監獄に入るのはそんなにいやじゃない。坐りこみと監獄だ。そこまでは計算に入れている」。また、ラミスさんの「有事法制に協力しない人は懲役六ケ月です。だから僕は【平和憲法のためならば私は懲役六ケ月を選びます】というバッジを作って(有事法制に)反対運動すればいい」という提案に対し、「それはいい考えだ。私はやるよ、それ」と鶴見さん。今対談を読んで最も面白いのがお二人である。

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 最後にもう一冊。「アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由」という副題をもつ『戦争中毒』(ジョエル・アンドレアス著/きくちゆみ監訳、合同出版)。著者はアメリカ在住の漫画家、反戦活動家。薄くて漫画ながら内容は濃い。アメリカは戦争中毒のため年間六七〇〇億ドル(約八〇兆円)以上も費やしている。一分間で一〇〇万ドルにもなるというから驚きだ。戦争で利権を得るのは、石油会社、銀行家、ゼネコン、政治家、軍需産業、マスコミ……。戦争を祝福する輩がいるのだ。どの本も読み易く、得るところ大である。強く推薦したい。全部読んで下さい。

(*)「チョムスキー 911 Power and Terror」 ジャン・ユンカーマン監督によるドキュメ ンタリー映画、2002シグロ

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光文社刊の『グラウンド・ゼロからの出発』について      吉川 勇一

 この本の第1章「テロとアメリカと日本」の中の17ページ、「アメリカ人の20パーセントは信頼できるが、日本は危ない」以降、24ページまでは、198ページの初出の注にありますように、私が聞き手になって行なった鶴見さんへのインタービューの再録です。しかし、この部分を再録するにあたって、光文社の編集部と交わした事前の約束が一部守られておらず、また、この部分に付けられた下段の注(編集部が作成したもの)には、事実と違う誤りもあり、私は、刊行後、同社編集部宛に以下のような抗議の手紙を出しました。


光文社編集部 
H・S 様 (この転載では、実名ではなく、イニシアルに変えました。)

2002.10.20.

前略、
 鶴見さん、ラミスさん共著の『グラウンド・ゼロからの出発』、拝受しました。時宜適切な出版企画として喜んでおります。ありがとうございました。

 ただ、私としては、Sさんにたいして不満――というか、きつく表現すれば、抗議があります。というのは、お約束した件が果たされていないからです。

 私は、鶴見さんへのインタービューを転載すること、および、事前に了解の上、その一部の字句を改めることを了承しましたが、その際、出典――『市民の意見
30の会・東京ニュース』を明記してくださるようお願いし、Sさんもそうするとおっしゃいました。しかし、今度の本の198ページには、「聞き手」として私の名前はあり、またインタービューを行った日らしき日にちが載っておりますが、出典『市民の意見30の会・東京ニュース』69号 2001121日号 がまったく載っておりません。なぜ、その前の『朝日新聞』と同じように記述していただけなかったのでしょうか。それに、「インタービューを行った日らしき日」と私は書きましたが、この1217日という日付はどこからおとりになったものですか? 事実ではありません。ニュースは実際、121日に発行されており、それに1217日にやったインタービューが載るはずはありません。実際は、今ははっきりとした日付を記憶しておりませんが、10月中に電話で鶴見さんとお話ししたやりとりを私が文章にまとめて鶴見さんにお送りし、鶴見さんが少し直されてから、『ニュース』編集部に11月半ばに渡しています。つまり、このインタービューは、『朝日』のインタービュー記事からそれほど経っていない時期に行われたものです。
 この件については、はっきりお答えください。そして、第2刷が出るのでしたら、必ずご訂正ください。

 なお、これは別の感想ですが、ずいぶん細かく下の欄外に若い読者向けでしょうか,注や解説を入れられたのは、とてもいいと思いましたし、それはご苦労だったと拝察しますが、私のインタービューへの注は、事前にご相談がほしかったと思います。たとえば、「市民的不服従」という用語や、「清水徹雄」の紹介、歌『死んだ男の残したものは』および『橋のたもとで暮らす人』については解説がいると思いました。また、「ベ平連」についての注には、不正確な部分もあります。岡本太郎デザインの「殺すな!バッジ」とありますが、あの「殺すなバッジ」(「!」は入っていません)のデザインは岡本太郎さんではなく、和田誠さんです。岡本さんは、「殺すな」という字を書いたので、それはもともとは米『ワシントン・ポスト』紙への反戦広告のためのものでした。その文字を利用して、和田さんがバッジにデザインされたのです。この部分は、やはり直せるものなら、第2刷では直したほうがいいように思います。
 ネット上で紹介するようご依頼を受けました。ベ平連のホームページなどで、この本は紹介いたします。でも、上記の点で、残念な思いもしております。

草々

吉 川 勇 一  

 【追伸】この手紙のコピーは、鶴見さんとラミスさんにもお送りします。

 

 この手紙に対して、光文社編集部のSさんからは、すぐ返事が来て、私の指摘した点、全部を認め、謝罪し、第2刷が出る場合、必ず訂正する、また、注についても、相談する、ということでした。インタービューの日付の誤りは、この部分の原稿を私のこのホームページから転載する際、ホームページに掲載した日付を、インタービューが行なわれた日付と勘違いして記載してしまったためだ、という事情だそうです。この点など、かなり、編集作業が不注意で杜撰だと思いますが、すでに刊行されてしまっており、第2刷が出て、その際、訂正されることを願うのみです。