hon-small-green.gif (121 バイト)  ベトナムの経済事情がよくわかる本――大野健一『途上国のグローバリゼーション』                              

 今年になって、2度もベトナムを訪れることになり、この国の経済事情についてまったく暗い私は、知人の白川真澄さんに、参考となる本を尋ねたところ、大野健一著『途上国のグローバリゼーション』を紹介されました。難しい経済学の本は苦手だが、と言ったところ、白川さんは、この本は、具体的事例を豊富に引きながら、やさしく書かれているので、素人でも大丈夫、ということでした。第一回大佛次郎論壇賞を受賞して、かなり評判になった本なのですが、読んでいませんでした。
 早速取り寄せました。全部がベトナム経済についての記述ではないのですが、かなりの部分がベトナムの事例を引いて論ぜられており、確かにわかりやすい本で、勉強になりました。グローバリズムが、いかに途上国を窮地に追い込んでいるかがよくわかりました。

 『市民の意見30の会・東京ニュース』の最新号に、白川さんがこの本の書評を書かれています。それを以下にご紹介しておきます。

グローバル市場に組み込まれる発展途上国のリアルな分析
書評『途上国のグローバリゼーション』(大野健一、東洋経済新報社、1800円)
                     白 川  真 澄    

 グローバリゼーションが世界の人びとの経済や生活をどのように破壊したり苦しめているかという現実は、次第に明らかになってきている。なかでも、多くの発展途上国にとってグローバリゼーションは、従来の社会や経済のあり方を一変する衝撃を及ぼしている。グローバリゼーションは発展途上国にどのような作用をもたらしているのか、また途上国の政府はどのような政策的対応をとっているか。本書はこのテーマを、ベトナム、中央アジア諸国、そして一九九七年のアジア通貨危機の経験に即して具体的に分析している。
 発展途上国にとって、グローバリゼーションとは市場経済を全面的に導入することを意味するが、それは、すでに確立されたアメリカ主導のグローバル市場経済の秩序の中に組み込まれることにほかならない(筆者はこれをアメリカ型の価値・制度・ルールを受容する「国際統合」と呼んでいる)。だから、市場経済を導入する過程は、その速度や順序を自ら決めたり制御することができず、WTOや世界銀行やIMFによって外側から誘導・決定されるものとなっている。そのことが途上国の社会と経済に大きな軋轢や困難を引き起こす。その最たるものは、農村社会のコミュニティの解体と都市部のインフォーマル・セクターの膨張である。途上国で農村コミュニティが担っている役割は、森や水など地域の資源や環境の保全、水路などインフラの整備、失業者への生活保障や互助というふうに、ひじょうに大きい。コミュニティの解体はこうした機能を失わせ、人びとは都市のインフォーマル・セクターに流れこむ。筆者は、ハノイで物売りをしていた娘や男の子がその後に辿ったさまざまな生き方を丹念に描きだしている。警察の目をかいくぐる物売り生活、娘が戻った村での複合経営(VAT)の試み、学校に進んだり英語やインターネットを学んで高収入の就職先を探す活動。本書の中でもっとも生彩を放っている分析である。
 もう一つの焦点は、グローバリゼーションに対する途上国政府の政策的対応である。筆者は、グローバリゼーションと市場経済の導入それ自体は避けられない過程だと見ている。その上で、新古典派の開発経済学を手厳しく批判する。どのような産業を保護・育成するかという問題は、市場に委ねるのではなく、途上国政府が長期戦略を立てて決定するべきである、と(筆者はその点で、ベトナム政府の対応を批判している)。また、アジア通貨危機への対応をめぐって、IMFは、「資本収支危機」(短期資本の大量の流入と流出が引き起こす)を「経常収支危機」と取り違えて、緊縮政策と構造調整を強要する誤りを犯した。教訓とすべきことは、準備を整えて段階的に金融・資本市場の開放を進める政策である、と主張している。
 このように、グローバル市場への統合は、国際機関が自由化への多元的なルールを作ることを条件にして、途上国政府が衝撃を和らげる政策をとる「適切に管理」された「前向き」の過程として取り組まれるべきだ、というのが筆者の結論である。だが私は、この結論には大きな疑問をもつ。むしろ、筆者が少し言及している「コミュニティの自立と内発的発展をめざす『もう一つの開発の道』」を起点にして、その発展に役立つような途上国政府の役割と政策は、どうあるべきか。問題は、このように立てられるべきではないか。 (しらかわ ますみ/ピープルズ・プラン研究所)

(『市民の意見30の会・東京ニュース』第72号 2002年6月1日発行より)