14 寒中見舞いでも温かいお便りをい ただきました。 (2006年02月01日 午前3時30分 掲載)

 たくさんの温かい賀状をいただいたことは、この前の本欄に書きましたが、賀状ではなく、寒中見舞いや旧暦での賀状というの形式を選ばれた方もかなりおられ、1月末からまた多くの 心温まるお便りをいただいています。ありがとうございます。
 その中からSさんからの1通だけをご紹介。

 ……「年末のご挨拶」をいただいてより、「とても素晴らしい」とひとことを申し上げたいと心に決めていたのですが、年賀状(私も年末にダーッとアタフタとやっつけてしまうことになってまして)にも、ひとことを書き添えられず、「よし、ひまのあるハワイからひとことを」とこの封筒をつくりはじめましたが、結局ハワイでも時間がなくて、こんな乱筆乱文と乱切手(不足分を貼り足して乱雑になりました。失礼)、まことにお恥ずかしいですが、とにかく ひとこと申し上げます。素晴らしい!
 “かなりな方”でも、あの非人間的な「喪中ハガキ」で、ガクッときたりします。(私自身が世間・親戚にあわせてしまった過去もあります) 元気ある天国からの声もありがとうございました。……

 Sさんは、東京で仕事をされているのですが、年末から休暇でハワイへ行っておられました。その際、1月16日の「マーチン・ルーサー・キング・デイ」のパレードを見られたそうで、その模様を伝え、写真も 送ってくださいました。(右の写真は、言うまでもなく、ヒトラー髭を生やさせた米大統領)

 ……ナショナル・ホリデーの恒例パレードですから、「反戦デモ」ばっかりでなくて、「無色の」高校生バンドやいろんなグループが行進します。「BOMBS……」横断幕を持つ4人家族は、軍のブラスバンドの前に位置していて、意識して軍楽隊から離れないように歩いていました。……”RETURN FUTENNMA MCAS TO OKINAWA NOW”(普天間基地を沖縄に今返せ)のプラカードを掲げるUH(ハワイ大学)の女子留学生もいました。沖縄の人でした。……

 なお、名古屋のIさんは、ご自分が発行されている「M通信」の中で、このサイトに載せた私あてに送られた賀状(感じることNo.13)をかなり詳しく紹介してくださったのですが、その「通信」の「あとがき」に次のように書かれました。

 ……吉川さんに、私も初めてトランペットを手にした、と伝えた七十九歳のAさんに私も感動。それもマイルス・ディヴィスとは!
 勝手な推測を許していただければ、マイルス・ディヴィスのトランペットの音が、そしてマル・ウォルドロンのピアノ音が、急ぎ足で所用先に向かう途中、どこかから、(今しばし耐えよ)というが如くに優しく聞こえてくる。しかしそこに吾が身を浸らせる余裕はないという状況の中に、ある時代、Aさんは居られたのではないか。そしてそれは六十年代の後半ではなかったか。
 私がマイルスと出逢ったのは、一九六八年のことだった。書棚から本は失せ、仲間を道連れにしての不当配転という、今にして思えばたかがそれだけのことの前に無様に膝を屈し、「地位が上がっていくこと」(鶴見)を目指して、脱走米兵を匿う仕事と仲間から逃げだした。
 昨年、その時の仲間と久し振りに出会った。「……会」に誘い、その二次会で知ったのは、あの時彼は、生まれたばかりの子供のいる公団住宅に、米兵を引き取っていたことだった。名古屋でのことの前半は、故小谷剛さんが小説として残しているが、その後半の記録を是非書いて欲しいと厚顔にも頼んでいるのだが。……

 この「あとがき」の載った「M通信」を「七十九歳のAさん」にお送りしたところ、今度はまたAさんから、

 ……吉川さんの葉書やわたしの賀状にふれた人間味のあふれた優しい文章を読ませていただき、世の中、まだまだ大丈夫だな、と嬉しくなった次第です。
 まだ1月の末だというのに、今年の寒さはひどくこたえました。暮から二度も風邪をひいてしまい、今日やっと寝床から這いだしたという状態です。お互いに健康に気をつけましょう。
 さて、吉川さんのピアノ・レッスンはいかがですか。一年ぐらい後には、私のトランペットと合奏が出来るといいですね。……

という返信が届きました。1通の年末のご挨拶のハガキから、つぎつぎといろいろな波紋が広がり、嬉しく思っております。