鶴見俊輔さん に戦後世代が聞く異色インタビュー『戦争が遺したもの』(聞き手=上野千鶴子・小熊英二)出版(04/03/08掲載)
上野千鶴子(東大教授)さんと小熊英二さん(慶應義塾大学助教授)とが聞き手となり、鶴見俊輔さんに丸三日間、インタービューを続けた記録が『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』と題して新曜社から出版された。「戦後世代が」とは言っても、上野さんは1948年のまさに戦争直後の生まれ、それに対し小熊さんは1962年生まれだから60年安保以後の世代、だいぶ世代は離れているのだが、その年齢差と、関心事や専門分野の違う二人の組み合わせは、この鶴見さんへのインタビューを異色なものとするうえで大いに成功したといえよう。3人の努力で、貴重な教訓、証言をふくむ必読の書が誕生した。ベ平連運動にかかわった人、ベ平連運動に関心を持つ人にとどまらず、ひろくお勧めしたい書物だ。
たとえば、和田春樹さんらが提唱した「アジア女性基金」への鶴見さんの関わりなど、9・11事件までの鶴見さんの発言に批判や疑念を持つ人も少なくなかったが
(例えば、本「News」欄バックナンバー1998年の
No.23 など)、上野さんは容赦のない追及振りで、鶴見さんも「そこを追及されると逃げ場はない」とまで言わせ、それでも手をゆるめず、もう一人のインタビューワー、小熊さんに、「上野さん、まあそのあたりでちょっと……」と止める発言をさせるような場面まであって、かなり緊迫したやりとりも含まれている。鶴見さんは、それらに対しても率直に応対し、答えを惜しんでいない。
そうしたことも含めて、アメリカでの投獄、戦時下、ジャワでの軍「慰安所」運営へのかかわり、60年安保とベトナム反戦、丸山眞男さんや吉本隆明さんらとの交流、三島由紀夫や全共闘、連合赤軍、など、以前出版された『期待と回想』(晶文社)では語られていなかった戦後に重点を置いたやりとりで、ベ平連運動や脱走兵援助、小田実さんとの関係なども、多くのエピソードを含んだ証言、回想が語られている。
なお、ベ平連についての記述の中で、363ページ7行目にある「長崎県大林にある飛行機会社……」は「長崎県大村にある……」の誤植、また、375ページ13行目「六六年に赤坂プリンスホテルを借り切って……」とあるのは「六五年に」の誤りであることをお知らせしておく。