(2022.4.9)結成10周年記念集会を開催しました。
東京都公立福生病院 透析中止死亡事件を問う 第2弾
冠木弁護士 「死なせる医療」に待ったをかけた勝利的和解
清田医師 倫理に反する自由意思には医療人は救済の精神で翻意に努めよ
2月27日エルおおさかで、上記集会を開催しました。Webでの参加も含め44名が参加しました。
2018年8月に東京都公立福生病院で起こった透析中止死亡事件の民事裁判で、2021年10月原告側は勝利的和解勧告を勝ち取りました。裁判所は異例の前文をつけた和解勧告を出しました。その勧告の意義を共有し、今後に生かそうと色々な角度からの報告がありました。
第一部では、裁判に関わった冠木弁護士、意見書を書いてくださった清田医師から話していただきました。
弁護士からは、基調の冒頭で、日本の医療の置かれている現状が簡単に報告されました。
医療費削減と「死なせる医療」が、「ここまで来たか」という感じがする。小泉政権以降の医療費削減の政策が、「尊厳死」などきれいな言葉を使いながら、実は「自己責任」という言葉の罠で襲いかかってきている状況が語られました。
裁判所の和解勧告の意義
福生病院の透析患者への向き合い方、説明のあり方に多くの問題があることが裁判を通して明らかになっていきました。裁判所は、病院側の主張する「救命治療は根治医療、延命治療は対処医療と区別。透析医療は対処医療で延命治療だから、本院の意思に任せてよい」という福生病院の方針を否定したのです。そして、患者の生死にかかわる場合、病院側の説明や意思確認は同意書だけでは不十分であること、同意書さえ取っておけば、治療の中止もかまわないという医療現場の流れに楔を打つ内容だったといえます。
弁護士からは、この意義を再確認して今後に生かしていこう、と呼びかけがありました。
清田医師の講演「公立福生病院事件から見えた医療の変質」
透析クリニックで30年最前線で治療に携わって、裁判の意見書を書かれた清田医師の講演は説得力のある内容でした。そして医師の問題だけではなく、看護師やコメディカルスタッフが、チームとして患者の心の救済に全力を傾けるべきであった。透析に疲れ果てたうえでの自殺企図で、倫理に反する自由意思には医療人は救済の精神で翻意に努めるべきである。という内容は、参加者の心に刺さるものでした。厚労省に対して、医療倫理を学ばせろという提言には大きくうなずかざるを得ませんでした。
第二部座談会での報告
@ 透析現場で働く看護師の立場から
一番の衝撃は亡くなった後のカンファレンス記録だった。入院後、何度も何度も「透析再開」を訴えたにもかかわらず、本人の希望は無視され、死亡に至ったのに、「意識が清明だった時の意思を貫徹でき、長男にも面会できて亡くなった」と最初の予定通りに亡くなったと評価していることが、怖くて信じられない。看護師や医療者は誰一人、助けようと思わなかったのか、これらの情報から思い起こしたのは、ナチスのガス室である。私たちもこのような状況に突き進まないためにも、改めて考えたいと発言。実際透析の現場では、「透析はもう辞めたい」という患者さんが多い。そんな患者さんに向き合いながら、「一緒に生きよう」「あなたの生命はあなたひとりのものではないよ」といっても心に響くかわからないが、悩みながら戸惑いながら毎回声かけしていく。A 透析患者として
集会に参加頂いた、最近透析を始めたという男性のお話しから、ある患者さんの「透析やめたい思い」がわかりやすく伝えられた。〜彼が通っている透析クリニックでも、隣のベッドの高齢男性が「もう透析やめて帰る」と何度も訴える。そのたびに看護師さんたちは「あともうちょっとだけがんばろ〜」となだめている。この光景が毎回毎回続くのだが、4時間の透析が終わると「よう頑張ったね〜」と看護師さんが声かけして励ましている。そんなに嫌だというのだから次は来ないのかな?と思ったりするが、また次も隣で透析を受けている……患者の思いを温かく受け止め、できる限りの気持ちで声をかけ続ける看護師との不思議な関係が、客観的に伝えられ、リアルに参加者の心に届いたと思われるお話しだった。福生病院の医師が「患者の意思だから、あくまでも本人の選択だから」というのはどう考えても切り捨てでしかない。医療者としても一人の人間としても間違っている。看護師としてどうあるべきか、清田医師の講演を聞いて自分は正しかった、力をもらえた。
B 「死へといざなう」イデオロギー操作
救命と延命を区別して後者を切り捨てる、そのような傾向が強まったのは、脳死臓器移植が始まってから。命に優劣をつける考え方。生きてよい命と誰かの犠牲になる命という差別的区別だ。延命は無駄な治療だからしなくていい、という意見が強まっている。厚労省や医学会や自治体が、「自己決定」として治療の中止や延命を進めようとしていることを批判した。家族に迷惑かけたくないとか、経済的な貧困が原因なのに、「自己決定」として医療を受けない傾向が広がっていく危険を指摘した。
C 特別報告:旧優生保護法訴訟の勝利判決(大阪高裁)について
さる2月22日に、旧優生保護法被害の国賠訴訟について、大阪高裁で画期的な勝訴判決を勝ち取った報告がなされた。判決では、「不良な子孫の出生防止」を目的に掲げた旧優生保護法は、幸福追求権や法の下での平等を保障した憲法13条、14条に反して違憲であるとして、このような法律を作った国の責任を認めた。そして、被害から20年以上が経過すれば賠償請求権が消滅するという「除斥期間」の壁を乗り越えて、国に損害賠償を命じた。
報告では、「強制不妊手術を正当化してきたのは優生思想だが、優生思想というのは、人間の生命に格付けをして、〈生きるに値する命〉と〈生きるに値しない命〉を切り分け、それに基づいて、生存の適否を決定しようとする思想だ。国家の強制であろうと、〈自己決定〉の形を装っていようと、そのキモは、障害や病のあるものに対する差別である。最近では、NIPT(新型出生前検査)や着床前検査など、出生前検査が量・質ともに拡大しようとしている。公立福生病院事件のように、医療の中で進められている命の切り捨ても、その基盤となっている考え方は同じだ。この流れをなんとか止めないといけない」と警鐘を鳴らした。
D 医療政策の最近の動きについて批判的観点から
コロナ禍で、医療が受けられず、自宅で亡くなる人が多くなっていることが指摘された。第6波では国民皆保険を投げ捨てる動きや、検査をせずにみなし陽性とする動きがある。一方、コロナ禍にありながら地域医療構想の一環として、病床削減の法案を可決した。削減した自治体に消費税を使って補助金を出すというひどい政策をとっている。 1200万人に及ぶ人が年収200万円以下で生活している状況下で「自己責任」論が刷り込まれ、医療から排除されている現実がある。国は憲法25条を守り、公的医療の拡充をすべき、と力強い報告がされた。
最後に、透析医学会への抗議文を全体で確認し、「自己決定権の罠をあばこう」など成果を生かして闘うことを確認し終了した。
会では、翌日抗議文を透析医学会へ送付した。
(2022.2.27)―結成10周年企画― 東京都公立福生病院 透析中止死亡事件を問う 第2弾 〜「死なせる医療」に楔を!勝利的和解の意義を広めよう〜
コロナ禍で伸び伸びとなっていました「会」結成10周年企画として、新たな闘いの場を共有することができる大きなチャンスが生まれました。皆さんと共に進めてきましたが、今後の活動に大きな希望を与えてもらったのが、昨年10月の公立福生病院の透析中止事件裁判での勝利的和解でした。この和解の意義を共に確認しあい、多くの方々に広め、次の闘いの糧・武器にしたいと考えています。政府の無策・拡大策によりオミクロン感染が広がっており、集まるのが困難な時期ではありますが、WEBとの同時開催としますので、ご参加ください。詳細はチラシをご参照下さい。
なお、準備の都合上、WEBの申しこみは2月25日締め切りとさせていただきます。氏名・所属団体をお知らせください。
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