「脳死」は人の死ではありません。

 多くの子ども達が、「脳死」と宣告された後も生き続け、成長しています。「脳死」判定後に自発呼吸や脳波が復活したケースも報告されています。「脳死」状態の患者は、周りの人たちが見守ってこそ、生への望みがあります。臓器移植を早まらないで! 見放さないで! 生き続けようとしている救急患者の家族として!

(最終更新日:2024年11月30日)

〜インクルーシブを深める〜
性暴力救援センター・大阪SACHICOの存続・発展を!
インクルーシブ社会を実現するための交流会 Cafe☆やめての会(2024.11.10)

 性加害の被害は障害をもつ方にも多い。いやだと言えない、自分の気持ちを言葉で伝えられない場合が多いからだ。近年、性加害の問題がクローズアップされ、社会問題化している。やめての会では、インクルーシブの観点から深めていきたいと今回企画した。(参加者は27名)
 性暴力救援センター・大阪SACHICOで支援員として尽力されている生魚さんから、SACHICOの活動の内容や自身の看護師としての歩み、なぜSACHICOの活動にかかわったのかなど話していただいた。身近なお話に参加者はみな引き込まれていった。
 その中で、インクルーシブの観点から重要だと思った点を中心に報告したい。

対等な立場で支援にかかわる支援員の存在と、徹底した自己決定

 性加害は、加害者と被害者の関係性において、力関係が存在することが多い。断れない、いやといえない関係。そして、近しい人から受けることが多く、誰にも相談できないという、表に出にくい問題でより深刻だ。

カフェの風景

 しかし、力関係という点においては、被害者が相談したいと思ったとき、相談できる救援においても存在するという。それは、医師・看護師など白衣を着た医療者と被害者間においても、見えない力関係があるからだ。医療者は「指導する」立場で被害者と接することが多い。だから、普通の服を着た支援員の存在が不可欠なのだと力説された。

 支援員は対等な立場で話を聞いて、本人が言えないことをサポートする。支援員として最も大事にしていることは、「○○してください」と指示するのではなく、「あなたはどう しますか」と「自己決定」にゆだねることだと話された。警察に知らせるかどうかも、本人の意思を尊重すると。警察官からの「あなたにも悪いところがある。そんな格好しているから」等の発言から、二次被害も発生することが多くあるからだという。

(感想)
 大阪の性暴力被害救援施設が存続の危機らしい、という実は全然よく分かっていないけどそれはなくなったらダメな大事な場所だということくらいしか知らなくて今回気になっていたので良い機会でした(ゆうこ)

 支援者という立場について今回あらためてその存在の大きさを知ることができた。
 大阪SACHICOは、設立当初から、支援員の存在を重視してきた。だからこそ、救済するのではなく、救援する、という言葉にも重みがある。

(感想)
支援のあり方を見つめ直す
 今回、カフェでお話する機会をいただき、私がなぜSACHICOに関わる事になったのか、看護師からアロマセラピスト、支援員になっていく過程をお話させてもらいました。
 わたし自身、知らない間に刷り込まれていた女性としての「普通」や「当たり前」と言うジェンダーバイアスに影響を受け、しんどい思いをしてきたんだなと、ウィメンズセンター大阪の相談員養成講座を受け、そこから女性たちの生の声を聴く事ができ、気付く事が出来ました。
 また、医療従事者の白衣のもつ力、医療者と当事者との力関係についてもお話させてもらい、自分自身でも、支援のあり方や支援員の必要性をあらためて見つめ直す良い機会となりました。本当にありがとうございました。
 来年1月11日・12日には性暴力救援センター・大阪SACHICOの性暴力被害者支援セミナーを開催いたしますので、そこでも支援について大切な事をお伝えしていきたいと思っています。(生魚)


カフェの感想スマホ


カフェの風景


大阪SACHICOの活動を全国基準に!

 救援センター=ワンストップセンターは、全国都道府県に設立されている。県の職員が担当しているところが多く、センターは相談のみで、医療はそこから離れた連携病院・医療機関に委ねられるのが大半だ。しかも病院の中で、医療者だけではなく支援員を中心において活動しているところは、阪南中央病院をおいて他にはない。非常に稀有な存在なのだ。被害は24時間いつ起こるかわからないから、24時間の体制が必要である。電話相談、被害者に病院に来院してもらい、問診、診察、検査、検体保管、投薬等ができる、その後の身体的精神的ケアなど一連の体制が必要だ。病院で診療の一部として活動していると、病院の負担が大きく、財政難に直面しているのが現実だ。

 大阪SACHICOは、重要な活動を担っているにもかかわらず、財政難を理由に、2025年3月阪南中央病院から去らなければならなくなった。

 大阪SACHICO存続のための請願署名が、大阪府あて、国に対して等取り組まれている。参加者からも、署名に取り組んでおられる方、SACHICOにお世話になり裁判で勝訴した、学校で被害が起こったときお世話になった、SACHICOがなくなっては困る、と力強い発言が相次いだ。

 診療機能があり、支援員が常駐する阪南中央病院SACHICOの体制が全国基準になることが大切だと、確認できた。

 性加害の問題においても、いろいろな場面で力関係が存在すること、常に被害者が弱い立場に置かれてしまうことをあらためて知った。そんな中で、被害者に対等な立場で寄り添い、医療者につなげてくれる、こんな活動が、インクルーシブへの道につながるのではないだろうか。困ったときはSACHICOに相談しよう。SACHICOがあるよ、と広めていくことが大切ではないだろうか。
(感想)
 性暴力を無くしたい。それなのに・・・・
 警察での二次被害が未だにある中、被害者とフラットな関係で安心して話して貰える状況を作っておられる支援員さんの存在がとても大切だということを実感できました。24時間体制、ずっと続けてこられたなんて凄すぎます。府下の連携病院の存在もはじめて知りました。大阪に1ヵ所しかないこのセンターさえも潰されそうになっているなんて、怒りしかありません。
 性暴力を無くしたい。それなのに、学校では、一番大切な妊娠、避妊のことを教えさせて貰えない。生徒に性の自己決定権を実感として感じて貰うには、具体的な話をしないと伝わらないのに。私は、元中学校教師ですが、昔、カリキュラムに入れられていた事がどんどん表面的な綺麗事しか言えなくなって、情けなく感じていました。今回のCafeでそれを痛感しました。(E元教員)

カフェの感想スマホ


(2024.9.1)「ともに生きる社会」を実現するために何ができるか?
 7・15話そう会    〜相模原事件から8年にあたって〜


利益か生命か、どちらが大切なのかを問う討論会

 私たち、やめて〜の会は7月15日、インクルーシブ社会を実現するために何ができるのかというテーマで小さな討論会を呼びかけました。暑い中でしたが、25名が参加し、一人一人自分の思いを話しながら議論し、今の新自由主義の社会の中で、利益優先か、それともひとりひとりの生命が大切なのかを問う討論会となりました。
 
会場の様子


 今年に入って、障害のあるなしに関わらず地域の学校で一緒に学ぶことができるように取り組んでおられる、佐野さんご家族に出会い、2月に集会をもつことができました。そしてインクルーシブを目指す活動の重要性を痛感しました。集会参加者から共感に満ちた感想や意見が多く寄せられ、今回の討論会の開催への原動力となりました。
 7月は相模原事件から8年目です。思い出したくない悲惨な事件でしたが、私たちは、この事件の対極にあるのが、インクルーシブだと考え「インクルーシブ社会を実現する」という側面から事件を取り上げました。

 まず、「障害者権利条約は「権利」として明記された!」会の代表冠木弁護士が挨拶し、国連の障害者権利宣言と権利条約について次のように語りました。
 「条約は、インクルーシブを配慮ではなく権利として明記した」「インクルーシブは生活のあらゆる面で問題になる。ぜひ皆さんで活発な議論をお願いしたい」。

代表の挨拶、別掲の問題提起の後の討論会で、参加者それぞれの立場から意見を出し合いました。


主催者からの問題提起

 相模原事件は、2016年7月16日相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員の植松死刑囚が、重度の障碍者を「心失者」と呼び、「生きている価値はない」として刃物で45人を殺傷(うち19人殺害)した、ヘイトクライム(憎悪犯罪)です。
 事件はあまりにも深刻で、被害者や家族、遺族の方に癒えることのないトラウマを残し、さらには障害をもっていたり高齢で支援がないと動けなかったりという人々にも大きな恐怖を与え、社会全体に絶望的な気分を生み出しました。しかし8年がたって、 私たちが前向きに考えていくための足がかりも見えてきたように感じています。

  1. 施設運営の民営化が根源の一つと思われます
     この施設は、民営化前は県職員労働組合における福祉部門の拠点のような存在であり、活動を通じて入所者の生活向上を目指していたと言われています。
     しかし、民営化後は非正規職員が増え、きめ細かさや職員間の連帯感が弱まったのではないでしょうか?また施設の目的も「理念」から「利益合理性」へ変質したのではないでしょうか?これらが、この事件を生み出す基礎になっているように感じられます。

  2. 植松に対する職場での教育、人間関係にも問題があったようです
     雨宮処凛氏の取材による記事では、事件の1年前くらいに発生した入浴時の出来事が、植松の変質の大きな誘因となっている可能性を指摘しています。入浴介助時にてんかん発作を起こしておぼれかけた利用者を、植松が必死で助けたという出来事について、彼が報告書をあげています。この内容に対して上司は、「溺れたなんて大げさに書くな」と言いがかりのようなコメントをつけ、利用者を助けた植松を見下すような対応をしています。またそのころ、背中の入れ墨が他の職員に見つかったことで、職場で阻害されていく状況になったことも記事の中に出て来ます。上司からの評価や職場での孤立などが彼の思考をさらに歪めていった可能性はあるかもしれない?とも考えられます。
     福祉職場の教育体制、職員間の連携と信頼関係がある職場では、また違った人格形成につながったのではないのか…とも考えたいと思います。

  3. 「優生思想」が社会全体に浸透していっていることの危険性
     植松は「特別な異常者」という見方もありますが、それは、世の中に「優生思想」がかなり浸透しているということの現れでもあります。日本障害者協議会代表の藤井克徳さんは「小さな植松」と呼んでいます。
     ヘイトクライムは社会に流布されている思想=社会意識の問題です。この社会意識に無自覚であれば、自分自身も、加害者にも被害者にもなる可能性があります。この社会の誰もがこの事件の当事者であり、誰にとっても自分事なのです。

  4. 企業や国の役に立つかどうかだけで判断する非人間性
     経営優先・利益最優先の社会で、何が一番大切なのかをしっかり考えないままでは、精神の退廃につながっていきます。軍事費2倍増をかかげる日本では、福祉や社会保障や生活関連予算が削減されていきかねません。次の植松を生み出すかもしれないのです。
     「利益優先」「戦争準備優先」は「優生思想」の生みの親です。私たちはその正反対を大切にしてきたし、さらに大切にしていきたいと考えています。

  5. あらためて「同じ人間」ということを基礎に考える
     人種差別・民族差別によって生み出される虐殺も、この「優生思想」問題と根を同じくする思想が絡んでいます。
     今まさにパレスチナでおこっている虐殺は、アラブ人を同じ人間とみなさない白人によるヘイトクライムに他なりません。日本もかつて、中国や朝鮮半島で侵略、虐殺してきた歴史があります。軍国主義日本の国粋主義により他国の人々を、同じ人間だと考えることが出来ず、残虐の限りを尽くしたのです。
     私たち「やめての会」が取り組んできた「安楽死」や「尊厳死」の問題も最近新しい危険な展開を見せています。「安楽死」や「尊厳死」も、「死んでもいい生命」という生命の選別であり、「優生思想」と同じ思想に立つ問題です。

活発な意見を交わした討論会

新自由主義の中では、人は差別に向かう「動く歩道」に乗っている

 3年前に相模原事件の追悼集会に参加したことがある方が、現代社会では、障害があるなしに関わらず生きる価値があるのか、役に立っているのか、烙印を押されている感じがすると思ったと。新自由主義の社会では、人を踏みつけて生きているし、自分も踏みつけているのではないか、と思う。そして、差別に向かって動いている歩道にみんな乗っている。中立だと思っていてもその人は差別の方に進んでいると。鋭い問題提起がなされ、参加者の心を揺さぶりました。
 他の方からも、「自分の中に差別者がいる」「優生思想は意識的に抗わないと流されてしまう」、と自分自身の中の優生思想を自覚し見つめる発言が続きました。

佐野さんのお話し〜クラスメートと一緒に行動した修学旅行〜
インクルーシブで育まれる子どもたちの心身の成長

 佐野さんからは、6年生に進級したすずまさくんが日光への修学旅行を無事終えた報告がありました。  5年生から6年生への進級時には友だちも先生も変わり不安もあったが、1年生からの自主登校の積み重ねでみんな顔みしりだったのでスムーズなスタートができたと。
 修学旅行に向けて、学校側も積極的に取り組み、行動一覧表をみんなで作り上げていったことや、当日すずまさくんが、チームの一員として班の子どもたちと一緒に行動できたことなどアルバムを見せていただきながら報告を受けました。お話から、やはり「インクルーシブは、子どもたちの心と身体を大きく成長させている」ことがよくわかりました。


会場の様子

インクルーシブ社会にむけて、はゼロ歳からお互いを尊重できる関係作りを

 子どもたちの生きる権利として「同和」保育所に設立当初から携わってきた保育士さんは「子どもの権利」を強調されました。
 被差別部落の中で、両親が朝早くから夜遅くまで仕事をしている家庭の子どもたちは命すら脅かされる状況。就労保障だけではなく、「保育にかけるゼロ歳からの全ての子どもの保育を!」を合言葉にして地域全体で子どもを見守っていくという理念のもと保育所を設立し保育に取り組んでこられたということでした。保育に対する並々ならぬ情熱を感じました。そして子どもたちはゼロ歳から障がい児や色々な人と出会っていくことで、互いに尊重し合える関係性をはぐくみ、小学校に行くときも当たり前という感覚が養われていくという。ゼロ歳からのインクルーシブ保育の必要性を感じました。

性暴力の被害者は障害のある方も多い 徹底して被害者の側に立つ支援者の存在とインクルーシブの観点が重要

性暴力救援センター(SACHICO)で活動している方からのお話もまたインクルーシブの観点から貴重な内容でした。
 性暴力被害の実態はまだまだ把握されていない。加害者の大多数が家族や知り合いで、誰にも言えない、逃げられない環境に置かれていることが多いからだという。
 被害者には障害のある人も多い。自分の考えをはっきり言えない、時系列で話せないので、他人からは被害者の側にスキがあるからとみられやすく、被害者が二次被害を受けることも少なくないという。救済するためには、被害者の側に立って、「あなたは悪くない」とはっきりと伝えることが重要。そして、早期発見、早期対応につなげていくためには、被害者や障害者を守る立場の家族や先生などの支援者の必要性を語られ、暴力のない社会を目指したいと締めくくられました。

「旧優生保護法の立法行為そのものが違憲だ!」
優生思想を問ううえで画期的な最高裁判決

 会の運営委員で旧優生保護法の下で行われた強制不妊手術に対して中心的に闘ってきた利光さんからはすばらしい報告がありました。最高裁判決の完全勝利だ。法廷では拍手が沸き起こり、隣同士で思わずハグしてしまうほど興奮に満ちた、と。
 判決では、旧優生保護法は憲法第13条、法の下に平等であるという第14条にも違憲だ、立法行為そのものが違憲だとはっきり断定。20年たつと損害賠償請求が消滅するという除斥期間を適応してはならない、国の加害者責任を逃れることはできないとした。
 この判決によって、今まで声を上げられなかった全ての被害者を救済することができるようになると、判決の大きな意義を話されました。
 利光さんは、今まで被害者の話を聞いて思うこととして、「若い時に行われた不妊手術は、その人の人生にとって、産み育てることを?奪されるだけではない。『不良な子だ』と名指しされて、烙印を押されて、『悔しい』と。身体の大事なところを侵されて自尊感情を傷つけられ、その被害は生涯続いていると、その被害の重さを感じたと」話されました。
 利光さんはまた、現在急速に進んでいる出生前診断についても語られました。
 出生前診断は、強制不妊手術のように暴力的に進んでいるのではなく、妊婦やパートナーの自己決定を大切にするといいながら、スマートに進んでいます。障害があっても安心して産める環境がない社会に、うけいれられる条件がない中で子どもを産むか産まないかを迫られていると問題提起されました。
 障害のあるなしにかかわらず生きやすい社会こそ必要なのです。

会場の様子

インクルーシブ社会に向けて、具体的な一歩を踏み出していこう

 新自由主義の社会のなかでは効率化や社会に役立っているのかが優先され、医療的ケアが必要な人々の思いや、生きるために必要なことが全く重要視されていない現実があります。
 参加者から具体的なお話が次々と出されました。
 父親がレスピレーターをつけて自宅で介護をしている方は医療ケアが必要な人は若い人も高齢者もまだまだ外に出ることができない。ショートステイなど広く利用できるような社会になってほしいと話されました。
 バクバクの会の方からは、呼吸器をつける時点でも、「つけますか?つけませんか?」と命の選択を迫られる。呼吸器をつけても生活していけるように地道に発信していきたい。 呼吸器をつけていても「生きていていいんだよ」と言える社会にしたい、と。

 私たちやめての会は、今回の討論会での議論をしっかり受け止め、インクルーシブ社会への実現に向けて、参加者のみなさまと一緒に具体的な歩をすすめていきたいと考えます。


(2024.3.25)2月25日の集会は50名の参加で大成功でした

  人工呼吸器をつけた僕が地域の学校でともに学ぶこと
  〜 ともに学び、ともに生きる社会をつくるために 〜

会場の様子

 出席者は大阪の会場に37名、WEB13名で、ジャスト50名。参加者はみな集中し、質問や発言も続き、アンケートもほとんどの人が心を込めて書いてくれました。

集会にいたるまで

 日本のインクルーシブ教育は極端に遅れています。そればかりか、さらに分離教育を推進しているのです。だから国連「障害者権利委員会」は、2022年9月、異例に厳しい批判勧告を出しました。日本の教育は「インクルーシブ教育に反している」、「特別支援教育をただちにやめるように」と。日本の教育は「条約締結国として恥ずべき行為」だとまで指摘しています。
 やめての会は、これを機会に検討と学習を開始しました。まずは運動の実態について、当事者から学びたいと考えました。その時、これまでから親密に一体となって活動してきたバクバクの会(バクバクの会〜人工呼吸器とともに生きる〜)から、相模原市の佐野さんを紹介されました。現在進行形でインクルーシブへの道を進んでいる佐野さんのお話をぜひ聞きたい、佐野さんから学びたい、そこから次への一歩を踏み出したい、と思い、今回の企画にたどりついたのです。

佐野さんのお話

 佐野すずまさくんは、人工呼吸器をつけて、地域の小学校に入学を目指していましたが認められず、自主登校を経て、やっと5年生から地域の小学校に入学できました。事前の打ち合わせで、集会で話したい内容、聞きたい内容のポイントについて相談しました。すずまさくんにも了解を得てスライドや手紙を出してもらい、この過程でもすずまさくんの意思を尊重しながら取り組んでおられることを実感しました。

 以下に、いくつか心に残るポイントについて報告します。
1 佐野さん家族から学んだ家庭内のインクルーシブの大切さ
 すずまさくんがどう考えるかを中心にして、お母さん、お父さんがよく相談して、いろいろなことを決めているということ。大事な時にはきょうだいの意見も聞いて尊重していること。当事者の権利や子どもの人権の尊重が実生活でごく自然に実践されていることが素晴らしいと思いました。

2 初めから地域の小学校に行こうと決めていたわけではないが、きょうだいの言葉で地域の小学校を決断できた
 佐野さんは、バクバクの会のつながりで子どもが地域の小学校に行っていた例があり行ってもいいんだ、選択肢に入れていいんだ、と思えたと話されました。先駆者の存在や支えがあったことは大きかったのでしょう。そして何よりも、本人の意思ときょうだいの言葉「子どもは子ども同士が楽しいに決まっている。地域がいいに決まっている」で決断できたということでした。このことは、子どもの主体性が、インクルーシブへの原動力になることを教えてくれました。

3 地域の小学校に在籍していなかったが、自主登校で過ごした2〜4年生のかけがえのない日々はインクルーシブを実現した5年生の学校生活へとつながっていった
 すずまさくんは、1年生では特別支援学校に在籍しながら地域交流で週に2日地域の小学校に通い、2年生で地域の小学校に転籍することになっていました。が、結局実現できずに、2〜4年生は自主登校することになったのです。この「自主登校」は聞いただけではイメージが湧かなかったのですが、お話を聞きながら写真を見てびっくりしました。毎朝、お母さんがバギーを押しながら小学校の昇降口まで自主登校、教室には入れないために、そのあとは隣の公園でフェンス越しに毎日を過ごしたのです。
 なんとつらかっただろうと胸が締め付けられる思いになりました。
 それでもなぜ、通い続けることができたのでしょうか。そこに、佐野さんの「地域の小学校に行くという権利はあるはず、当たり前のことのはず」という強い思いがありました。小学校に貼られている「あなたが大事」という横断幕を信じて、インクルーシブに向けて進んでいったのだと思います。
 辛くくじけそうな毎日でも子どもの成長や地域との交流を通して周りも変わっていく様子がわかりました。すずまさくんはフェンス越しに友だちと遊んで交流をしました。すずまさくんの友だちが書いてくれた手紙から、子ども同士が助け合っているということ、励まし励まされているということが伝わってきました。同級生と一緒にいるということが大切だとあらためて思いました。
 また、すずまさくんと一緒にすごした経験のある子と、ない子の違いがはっきりとわかりました。子どもは一緒にいることですずまさくんを理解していくこと、初めは辛いことばをかけた子どもも、他のこどものことばがけで理解し合っていくところに子ども同士の成長を見ることができました。
 学校で理解してくれる先生、しんどい時力になってくれる人の存在を知ることができ、励みになったこともありました。また、公園で過ごしている中で、地域の方とも親しくなり理解が広がっていくきっかけになったことは本当に良かったです。家族全員での支え合いは大きかったと思いました。そして、この2〜4年生の日々があったから、地道ですが着実に前に進むことができたのだと思えました。

4 地域の小学校に転籍できた5年生
 1年生での交流、2〜4年に自主登校で毎日子ども同士が交流していたから違和感なくスムーズに5年生がスタートでき、自主登校は無駄ではなかったと確信できました。継続が力となったのです。学校生活で友だちと一緒に楽しく過ごし、行事を通しての子どもたちの成長や、先生たちの成長と変化がすばらしかったです。

5 医療ケア児の看護ケアのまだまだ多い課題
 小学校に看護師が配置されていますが、十分な連携がとれていないため、親の付き添いが必須。お母さんの負担は大きく、何とか看護師さんへ引き継げることが課題になっています。
 今は、6年生の修学旅行に向けての取り組みを始める時期になっていて、少しずつ話し合って進めていきたいと前向きな姿勢が印象に残りました。
 佐野さんは集会の最後に、この集会で話をするにあたって、はじめてすずまさくんの誕生から今までの取り組みを振り返ったと話されました。たくさん辛いことがありましたが前を向いて進んでいこう、と力強く締めくくられました。

集会の模様

 参加者はみなパワポとお話に釘付けになり、会場もWeb参加も非常に集中していました。誰もが、すずまさくんの誕生から現在に至る毎日を、胸に熱く刻み込んだに違いありません。すずまさくんと一緒に生きるたくさんのお友だちとそしてごきょうだいの、ひとりの人間としての成長に、目を見張り、強い力を受け止めたに違いありません。すずまさくんの生き方そのものが、インクルーシブへの一歩だと強く思いました。しかも、まだまだ現在進行形であり、まだどんな困難が待ち受けているかわからないのです。それでも、今までの彼の取り組みが、インクルーシブの大切さを証明しています。障害のあるなしにかかわらず分け隔てなく学びともに生きることがどれほど大切かということを、すずまさくんが証明しているのです。

 私たちの会も、現実の取り組みと生活から本当にたくさんのことを学ばせていただき、これからも今の現場での活動を何よりも大事にしながら一歩前にすすみたいと考えています。


(2024.2.1)2月25日集会「人工呼吸器をつけた僕が地域の学校でともに学ぶこと」、「やめての会」総会のご案内


 2月25日(日)、午後2時から「人工呼吸器をつけた僕が地域の学校でともに学ぶこと」をテーマに集会を開催します。集会では、息子さん(涼将君)を地域の学校に通わせている体験談をご両親(バクバクの会 佐野さん)から聞かせていただきます。

 私たちは、障害のあるなしにかかわらず、「ともに学び、ともに生きる」インクルーシブ教育、さらには社会の実現を目指したいと考え、学習会などを行ってきました。そこで佐野さんの取り組みと出会い、体験をぜひお話いただき、ありのままを共有したいと考えています。ご参加ください。
 今回は佐野さんに大阪に来ていただき、皆さんと共にお話を聞くチャンスです。ぜひ会場にご参加いただきたいと思います。リアルでご参加いただけない場合はWEB同時開催ですのでお申込みください。WEB希望は、下記アドレスに氏名・所属団体(あれば)を記載のうえお申込み下さい。
申し込み先
締め切りは2月23日です。

 同日午後1時30分から「やめての会」の総会を予定しています。すでに会員の皆様には案内をお送りしています。集会前のあわただしい時間で恐縮ですが、時間厳守でお集まり下さい。よろしくお願いいたします。


<過去の記事はこちら → 2011年分2012年分2013年分2014年分2015年分2016年分2017年分2018年分2019年分2020年分2021年分2022年分2023年分