〜インクルーシブを深める〜
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性暴力救援センター・大阪SACHICOで支援員として尽力されている生魚さんから、SACHICOの活動の内容や自身の看護師としての歩み、なぜSACHICOの活動にかかわったのかなど話していただいた。身近なお話に参加者はみな引き込まれていった。
その中で、インクルーシブの観点から重要だと思った点を中心に報告したい。
対等な立場で支援にかかわる支援員の存在と、徹底した自己決定
性加害は、加害者と被害者の関係性において、力関係が存在することが多い。断れない、いやといえない関係。そして、近しい人から受けることが多く、誰にも相談できないという、表に出にくい問題でより深刻だ。
しかし、力関係という点においては、被害者が相談したいと思ったとき、相談できる救援においても存在するという。それは、医師・看護師など白衣を着た医療者と被害者間においても、見えない力関係があるからだ。医療者は「指導する」立場で被害者と接することが多い。だから、普通の服を着た支援員の存在が不可欠なのだと力説された。 支援員は対等な立場で話を聞いて、本人が言えないことをサポートする。支援員として最も大事にしていることは、「○○してください」と指示するのではなく、「あなたはどう しますか」と「自己決定」にゆだねることだと話された。警察に知らせるかどうかも、本人の意思を尊重すると。警察官からの「あなたにも悪いところがある。そんな格好しているから」等の発言から、二次被害も発生することが多くあるからだという。
支援者という立場について今回あらためてその存在の大きさを知ることができた。 大阪SACHICOは、設立当初から、支援員の存在を重視してきた。だからこそ、救済するのではなく、救援する、という言葉にも重みがある。 |
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大阪SACHICOの活動を全国基準に!
救援センター=ワンストップセンターは、全国都道府県に設立されている。県の職員が担当しているところが多く、センターは相談のみで、医療はそこから離れた連携病院・医療機関に委ねられるのが大半だ。しかも病院の中で、医療者だけではなく支援員を中心において活動しているところは、阪南中央病院をおいて他にはない。非常に稀有な存在なのだ。被害は24時間いつ起こるかわからないから、24時間の体制が必要である。電話相談、被害者に病院に来院してもらい、問診、診察、検査、検体保管、投薬等ができる、その後の身体的精神的ケアなど一連の体制が必要だ。病院で診療の一部として活動していると、病院の負担が大きく、財政難に直面しているのが現実だ。 大阪SACHICOは、重要な活動を担っているにもかかわらず、財政難を理由に、2025年3月阪南中央病院から去らなければならなくなった。 大阪SACHICO存続のための請願署名が、大阪府あて、国に対して等取り組まれている。参加者からも、署名に取り組んでおられる方、SACHICOにお世話になり裁判で勝訴した、学校で被害が起こったときお世話になった、SACHICOがなくなっては困る、と力強い発言が相次いだ。 診療機能があり、支援員が常駐する阪南中央病院SACHICOの体制が全国基準になることが大切だと、確認できた。 性加害の問題においても、いろいろな場面で力関係が存在すること、常に被害者が弱い立場に置かれてしまうことをあらためて知った。そんな中で、被害者に対等な立場で寄り添い、医療者につなげてくれる、こんな活動が、インクルーシブへの道につながるのではないだろうか。困ったときはSACHICOに相談しよう。SACHICOがあるよ、と広めていくことが大切ではないだろうか。 |
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(2024.9.1)「ともに生きる社会」を実現するために何ができるか? |
利益か生命か、どちらが大切なのかを問う討論会
私たち、やめて〜の会は7月15日、インクルーシブ社会を実現するために何ができるのかというテーマで小さな討論会を呼びかけました。暑い中でしたが、25名が参加し、一人一人自分の思いを話しながら議論し、今の新自由主義の社会の中で、利益優先か、それともひとりひとりの生命が大切なのかを問う討論会となりました。今年に入って、障害のあるなしに関わらず地域の学校で一緒に学ぶことができるように取り組んでおられる、佐野さんご家族に出会い、2月に集会をもつことができました。そしてインクルーシブを目指す活動の重要性を痛感しました。集会参加者から共感に満ちた感想や意見が多く寄せられ、今回の討論会の開催への原動力となりました。
7月は相模原事件から8年目です。思い出したくない悲惨な事件でしたが、私たちは、この事件の対極にあるのが、インクルーシブだと考え「インクルーシブ社会を実現する」という側面から事件を取り上げました。
まず、「障害者権利条約は「権利」として明記された!」会の代表冠木弁護士が挨拶し、国連の障害者権利宣言と権利条約について次のように語りました。
「条約は、インクルーシブを配慮ではなく権利として明記した」「インクルーシブは生活のあらゆる面で問題になる。ぜひ皆さんで活発な議論をお願いしたい」。
代表の挨拶、別掲の問題提起の後の討論会で、参加者それぞれの立場から意見を出し合いました。
主催者からの問題提起相模原事件は、2016年7月16日相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員の植松死刑囚が、重度の障碍者を「心失者」と呼び、「生きている価値はない」として刃物で45人を殺傷(うち19人殺害)した、ヘイトクライム(憎悪犯罪)です。事件はあまりにも深刻で、被害者や家族、遺族の方に癒えることのないトラウマを残し、さらには障害をもっていたり高齢で支援がないと動けなかったりという人々にも大きな恐怖を与え、社会全体に絶望的な気分を生み出しました。しかし8年がたって、 私たちが前向きに考えていくための足がかりも見えてきたように感じています。
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活発な意見を交わした討論会新自由主義の中では、人は差別に向かう「動く歩道」に乗っている3年前に相模原事件の追悼集会に参加したことがある方が、現代社会では、障害があるなしに関わらず生きる価値があるのか、役に立っているのか、烙印を押されている感じがすると思ったと。新自由主義の社会では、人を踏みつけて生きているし、自分も踏みつけているのではないか、と思う。そして、差別に向かって動いている歩道にみんな乗っている。中立だと思っていてもその人は差別の方に進んでいると。鋭い問題提起がなされ、参加者の心を揺さぶりました。他の方からも、「自分の中に差別者がいる」「優生思想は意識的に抗わないと流されてしまう」、と自分自身の中の優生思想を自覚し見つめる発言が続きました。 佐野さんのお話し〜クラスメートと一緒に行動した修学旅行〜
佐野さんからは、6年生に進級したすずまさくんが日光への修学旅行を無事終えた報告がありました。
5年生から6年生への進級時には友だちも先生も変わり不安もあったが、1年生からの自主登校の積み重ねでみんな顔みしりだったのでスムーズなスタートができたと。 |
インクルーシブ社会に向けて、具体的な一歩を踏み出していこう
新自由主義の社会のなかでは効率化や社会に役立っているのかが優先され、医療的ケアが必要な人々の思いや、生きるために必要なことが全く重要視されていない現実があります。参加者から具体的なお話が次々と出されました。
父親がレスピレーターをつけて自宅で介護をしている方は医療ケアが必要な人は若い人も高齢者もまだまだ外に出ることができない。ショートステイなど広く利用できるような社会になってほしいと話されました。
バクバクの会の方からは、呼吸器をつける時点でも、「つけますか?つけませんか?」と命の選択を迫られる。呼吸器をつけても生活していけるように地道に発信していきたい。 呼吸器をつけていても「生きていていいんだよ」と言える社会にしたい、と。
私たちやめての会は、今回の討論会での議論をしっかり受け止め、インクルーシブ社会への実現に向けて、参加者のみなさまと一緒に具体的な歩をすすめていきたいと考えます。
(2024.3.25)2月25日の集会は50名の参加で大成功でした
人工呼吸器をつけた僕が地域の学校でともに学ぶこと〜 ともに学び、ともに生きる社会をつくるために 〜
出席者は大阪の会場に37名、WEB13名で、ジャスト50名。参加者はみな集中し、質問や発言も続き、アンケートもほとんどの人が心を込めて書いてくれました。
集会にいたるまで
日本のインクルーシブ教育は極端に遅れています。そればかりか、さらに分離教育を推進しているのです。だから国連「障害者権利委員会」は、2022年9月、異例に厳しい批判勧告を出しました。日本の教育は「インクルーシブ教育に反している」、「特別支援教育をただちにやめるように」と。日本の教育は「条約締結国として恥ずべき行為」だとまで指摘しています。やめての会は、これを機会に検討と学習を開始しました。まずは運動の実態について、当事者から学びたいと考えました。その時、これまでから親密に一体となって活動してきたバクバクの会(バクバクの会〜人工呼吸器とともに生きる〜)から、相模原市の佐野さんを紹介されました。現在進行形でインクルーシブへの道を進んでいる佐野さんのお話をぜひ聞きたい、佐野さんから学びたい、そこから次への一歩を踏み出したい、と思い、今回の企画にたどりついたのです。
佐野さんのお話
佐野すずまさくんは、人工呼吸器をつけて、地域の小学校に入学を目指していましたが認められず、自主登校を経て、やっと5年生から地域の小学校に入学できました。事前の打ち合わせで、集会で話したい内容、聞きたい内容のポイントについて相談しました。すずまさくんにも了解を得てスライドや手紙を出してもらい、この過程でもすずまさくんの意思を尊重しながら取り組んでおられることを実感しました。以下に、いくつか心に残るポイントについて報告します。
1 佐野さん家族から学んだ家庭内のインクルーシブの大切さ
すずまさくんがどう考えるかを中心にして、お母さん、お父さんがよく相談して、いろいろなことを決めているということ。大事な時にはきょうだいの意見も聞いて尊重していること。当事者の権利や子どもの人権の尊重が実生活でごく自然に実践されていることが素晴らしいと思いました。2 初めから地域の小学校に行こうと決めていたわけではないが、きょうだいの言葉で地域の小学校を決断できた
佐野さんは、バクバクの会のつながりで子どもが地域の小学校に行っていた例があり行ってもいいんだ、選択肢に入れていいんだ、と思えたと話されました。先駆者の存在や支えがあったことは大きかったのでしょう。そして何よりも、本人の意思ときょうだいの言葉「子どもは子ども同士が楽しいに決まっている。地域がいいに決まっている」で決断できたということでした。このことは、子どもの主体性が、インクルーシブへの原動力になることを教えてくれました。3 地域の小学校に在籍していなかったが、自主登校で過ごした2〜4年生のかけがえのない日々はインクルーシブを実現した5年生の学校生活へとつながっていった
すずまさくんは、1年生では特別支援学校に在籍しながら地域交流で週に2日地域の小学校に通い、2年生で地域の小学校に転籍することになっていました。が、結局実現できずに、2〜4年生は自主登校することになったのです。この「自主登校」は聞いただけではイメージが湧かなかったのですが、お話を聞きながら写真を見てびっくりしました。毎朝、お母さんがバギーを押しながら小学校の昇降口まで自主登校、教室には入れないために、そのあとは隣の公園でフェンス越しに毎日を過ごしたのです。なんとつらかっただろうと胸が締め付けられる思いになりました。
それでもなぜ、通い続けることができたのでしょうか。そこに、佐野さんの「地域の小学校に行くという権利はあるはず、当たり前のことのはず」という強い思いがありました。小学校に貼られている「あなたが大事」という横断幕を信じて、インクルーシブに向けて進んでいったのだと思います。
辛くくじけそうな毎日でも子どもの成長や地域との交流を通して周りも変わっていく様子がわかりました。すずまさくんはフェンス越しに友だちと遊んで交流をしました。すずまさくんの友だちが書いてくれた手紙から、子ども同士が助け合っているということ、励まし励まされているということが伝わってきました。同級生と一緒にいるということが大切だとあらためて思いました。
また、すずまさくんと一緒にすごした経験のある子と、ない子の違いがはっきりとわかりました。子どもは一緒にいることですずまさくんを理解していくこと、初めは辛いことばをかけた子どもも、他のこどものことばがけで理解し合っていくところに子ども同士の成長を見ることができました。
学校で理解してくれる先生、しんどい時力になってくれる人の存在を知ることができ、励みになったこともありました。また、公園で過ごしている中で、地域の方とも親しくなり理解が広がっていくきっかけになったことは本当に良かったです。家族全員での支え合いは大きかったと思いました。そして、この2〜4年生の日々があったから、地道ですが着実に前に進むことができたのだと思えました。
4 地域の小学校に転籍できた5年生
1年生での交流、2〜4年に自主登校で毎日子ども同士が交流していたから違和感なくスムーズに5年生がスタートでき、自主登校は無駄ではなかったと確信できました。継続が力となったのです。学校生活で友だちと一緒に楽しく過ごし、行事を通しての子どもたちの成長や、先生たちの成長と変化がすばらしかったです。5 医療ケア児の看護ケアのまだまだ多い課題
小学校に看護師が配置されていますが、十分な連携がとれていないため、親の付き添いが必須。お母さんの負担は大きく、何とか看護師さんへ引き継げることが課題になっています。今は、6年生の修学旅行に向けての取り組みを始める時期になっていて、少しずつ話し合って進めていきたいと前向きな姿勢が印象に残りました。
佐野さんは集会の最後に、この集会で話をするにあたって、はじめてすずまさくんの誕生から今までの取り組みを振り返ったと話されました。たくさん辛いことがありましたが前を向いて進んでいこう、と力強く締めくくられました。
集会の模様
参加者はみなパワポとお話に釘付けになり、会場もWeb参加も非常に集中していました。誰もが、すずまさくんの誕生から現在に至る毎日を、胸に熱く刻み込んだに違いありません。すずまさくんと一緒に生きるたくさんのお友だちとそしてごきょうだいの、ひとりの人間としての成長に、目を見張り、強い力を受け止めたに違いありません。すずまさくんの生き方そのものが、インクルーシブへの一歩だと強く思いました。しかも、まだまだ現在進行形であり、まだどんな困難が待ち受けているかわからないのです。それでも、今までの彼の取り組みが、インクルーシブの大切さを証明しています。障害のあるなしにかかわらず分け隔てなく学びともに生きることがどれほど大切かということを、すずまさくんが証明しているのです。私たちの会も、現実の取り組みと生活から本当にたくさんのことを学ばせていただき、これからも今の現場での活動を何よりも大事にしながら一歩前にすすみたいと考えています。
(2024.2.1)2月25日集会「人工呼吸器をつけた僕が地域の学校でともに学ぶこと」、「やめての会」総会のご案内
2月25日(日)、午後2時から「人工呼吸器をつけた僕が地域の学校でともに学ぶこと」をテーマに集会を開催します。集会では、息子さん(涼将君)を地域の学校に通わせている体験談をご両親(バクバクの会 佐野さん)から聞かせていただきます。
私たちは、障害のあるなしにかかわらず、「ともに学び、ともに生きる」インクルーシブ教育、さらには社会の実現を目指したいと考え、学習会などを行ってきました。そこで佐野さんの取り組みと出会い、体験をぜひお話いただき、ありのままを共有したいと考えています。ご参加ください。
今回は佐野さんに大阪に来ていただき、皆さんと共にお話を聞くチャンスです。ぜひ会場にご参加いただきたいと思います。リアルでご参加いただけない場合はWEB同時開催ですのでお申込みください。WEB希望は、下記アドレスに氏名・所属団体(あれば)を記載のうえお申込み下さい。
締め切りは2月23日です。
同日午後1時30分から「やめての会」の総会を予定しています。すでに会員の皆様には案内をお送りしています。集会前のあわただしい時間で恐縮ですが、時間厳守でお集まり下さい。よろしくお願いいたします。
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