<2016年の記事を表示しています。最新の記事はこちら。>
相模原事件からみえるもの 安倍政権の下で進む生命の選別
日時:11月23日(水・祝)13時30分〜16時30分(開場13時15分)場所:エルおおさか南館 734号室
(資料代500円)
7.26相模原市の障がい者施設での虐殺事件は、私たちに多くの問題を投げかけています。容疑者に対する措置入院の問題、あるいは薬物依存症からくる妄想のせいだったとも言われていますが、本当にそうなのでしょうか?
根底にあるのは「障がい者は生きていても仕方がない」「障がい者は税金をたくさん使っている」等の考えです。このような考えは容疑者だけではありません。安倍政権が戦争準備と大企業のための成長戦略を推進し、医療・社会保障や介護の切り捨て政策を進めていく中で、発生した象徴的事件ではないかと考えます。障がいを持っている人に対してだけでなく、高齢者や生活保護受給者、その他マイノリティーなど弱い立場にある人に対しての偏見や差別・憎悪の感情を流布し排除したり、攻撃するヒトラー的な思想が広がっています。それらは、今まで、私たちの会が取り組んできた「脳死」・臓器移植、終末期医療・「尊厳死」の法制化、出生前診断などの分野で弱い人を切り捨てる考え方と連動しています。医療・介護・福祉の分野で、この事件の背景について様々な方向から掘り下げ全体像をとらえなおしたいと思います。弱いところに向かって攻撃するのではなく、政府や行政に向かって公的な保障を求めていきたいのです。何よりも誰もが平等に生きることができるインクルーシブ社会の実現を求めていきましょう。相模原事件をいろいろな角度からとらえ、議論を深めたいと思っています。ぜひご参加ください。
結成5周年 シンポジウムの報告 2016年2月20日開催
医療費削減と「尊厳死」−変質する現場の今を問う−
「やめて!!家族同意だけの臓器摘出!市民の会」結成5周年ということで、雨にもかかわらず、77名もの参加者で会場は熱気に包まれました。今回は、運営委員を中心に医療現場や福祉現場で働いている看護師や保健師、病院や老人施設で家族の治療や介護を受けた立場からの報告でシンポジウムはすすみました。
テーマは、「医療費削減と『尊厳死』−変質する現場の今を問う−」。医療・福祉の現場で、ここ最近何かおかしい、何か前と変わってきていると感じることに焦点を当てた報告がありました。
急性期病院で働く看護師からは、目が飛び出そうなほど高額な抗がん剤や肝炎の新薬の話、患者の状態ではなく診療報酬の関係で、早々に転院を余儀なくされることや、高齢者の肺炎では一生懸命な治療をしない方向に変わってきているのではないかと疑ってしまうようなことがある等の報告がありました。
シンポジウム全体を通してのキーワードとして、「DNR(蘇生拒否の意思=蘇生するな)」の要望書を本人や家族に書いてもらっていることでさらに治療の差し控えと思われる状況も生まれているのではないかとの指摘がありました。この要望書を書いたがゆえに、ひとりで食事ができるくらいの状態で、突然の危険な不整脈を起こしても救命の処置がなされなかったという事例もありました。
そして、このような「DNRの要望書」は厚労省のガイドラインにそって大病院だけではなく中規模病院や老人介護施設でも広く浸透していることがわかりました。
さらに急性期病院の外来では、多くのがん患者さんが診察にこられていますが、印象に残ったのは金の切れ目が命の切れ目という多くの実態でした。抗がん剤が月何万円も自己負担しないといけない高額であり、仕事ができずに収入がほとんどない人にとっては、支払えなければ=「死」を意味するということ。非正規雇用が4割の社会では、病院を受診し、治療することそのものが、仕事をやめなければならない切羽詰まった人たちが急増していること、病状がすすんでしまってから救急車で病院に運ばれる人が増えていることなど、毎日無力さを感じながら看護師が働いていることを知りました。
厚労省の医療政策の一環である地域包括ケア病棟を導入した中規模病院では、急性期病棟を地域包括ケア病棟へ移行したことによって、60日という入院の縛りが、患者さんを不安のまま在宅で看取る方向に推し進めているのではないかとの報告がありました。この地域包括ケア病棟は、病院が生き残るために選択せざるを得ない状況に追いやられていること、診療報酬の点数によって在宅に誘導せざるを得ないこと等、患者さんのため・・というよりも病院の収益を優先したシステムではないかという指摘がありました。現場の医師や看護師たちは、今は患者の状態に合わせて病棟の移動を考えていますが、このシステムで職員たちがお金のことを考えないといけなくなると、患者のためという気持ちが薄れていく危険があるとの問題が指摘されました。
公的な市民病院が経営難で閉鎖になったり、儲ける病院が残っていくという現実が医療や社会保障の本来あるべき姿をゆがめているのではないか。それが、政府の推し進める社会保障費の削減計画や、急性期病床の削減計画であり、それによって現場が大きく変わっていっていることが資料を交えて報告されました。
患者家族の立場での経験談では、弟が救急車で搬送された病院で、DNRの同意書を書くよう促され、家族がくるまではなんとか救命をとお願いしたが、手が足りないから心臓マッサージはできないかもしれないと説明され、結局弟の最期には立ちあうことができなかった。医師からは「最善を尽くす・・・」という言葉や姿勢を感じることができなかった、という話。
義兄の介護施設での経験で、肺炎になってもすぐに病院に搬送してもられなかったことが悔やまれるという話。そこでも、DNRの同意書を書くことを促され、家族が救命を望むと書くと、医師が救命を望まない方が患者のためだと一生懸命説得にきたという話。
全体を通して、DNRの要望書が、現場では当然のように書かされていたり、それによって治療をあきらめる方向にすすめられる原動力になっていることが浮き彫りになりました。
福祉の現場では、年金生活の人、日給月給の人、家族が病気になったり介護が必要になれば共倒れ。生活保護の申請やサービス付高齢者住宅に住まざるを得なくなる人の事例が報告されました。安倍首相のいう「介護離職ゼロ」とは程遠い現実です。
数々の現場からの報告は、一部に過ぎないことやまだまだ多くの見えていない実態があることを感じました。 そして、現場の医師や看護師が助けたいと思っても、制度や予算、ガイドラインによって縛られた医療機関のシステムでは助けられない、否むしろ助けてはいけない、ケアをしてはいけない状況も生まれているのだということがわかりました。
救急医学会等の終末期のガイドラインに対しての批判が弁護士から報告されました。 救命処置をしても回復されない状態になれば、延命措置を中止する、そのために家族の同意が必要。という中味で、@医師が「終末期」と判断することA救命処置と延命「措置」と区別することで、患者を物あつかいし、延命は治療ではないとしようといていることB治療が尊厳を損なうから、治療を中止=「死」が患者にとって最善という論理であり、「尊厳死」の危険性が厳しく批判されました。
まとめのスライドでは、現場の色々な悩みながら治療を選択していることとは別に、法制化されると、制度も予算も現場のガイドラインもすべてが強制されることとなり、助けたいと思っても助けられない状況が生まれてくる、それが医療の現場を荒廃させていくのではないか、だから「尊厳死」の法制化に反対しているという内容でシンポジウムは締めくくられました。
そのあとは、会場からも色々な経験談が話され、「終末期」について参加者も自分の問題として考えることができました。これからの運動についてもどう進めていくかなどの意見もだされ、最後に、法制化、治療打ち切りの強制に反対するアピールを参加者で確認し終了しました。
- やめて5周年シンポジウムプログラム
PDF形式 テキスト形式 - 医療の変質
PDF形式 テキスト形式 - 脳死200例検証
PDF形式 テキスト形式 - アンケート
PDF形式 テキスト形式 - アピール
PDF形式 テキスト形式
<過去記事からホームに戻る>