沖縄2000・5・15 平和行進
*******************MAY:11.Thu〜14.Sun*******************
コース地図
【情勢の特徴点】
1.20世紀も最後の1年となり、私たち人類は21世紀への扉を開きます。
20世紀は「戦争の世紀」ともいわれました。2度にわたる世界大戦は大量殺戮兵器と人類を滅亡させる核兵器を生み出しました。また無秩序な経済開発と市場競争によって大規模な環境汚染をもたらしました。その負の遺産は、なお核兵器と戦争の恐怖、南北間格差と貧困、人権抑圧、地球の生態系をも破壊しかねない環境破壊として世界の各地で続いています。
2.ベルリンの壁にみられるように、冷戦の構造は崩壊しましたが、米ソの対立の中で埋もれていた民族・宗教対立や地域紛争を顕在化させ、また米ソ大国は相変わらず核の優位を強調するため、「臨界前核実験」などを強行しています。このことがインドやパキスタンの核兵器開発を誘発させています。
3.しかし一方では、世界はようやく信頼と協調、平和と共生、人権確立への動きを強めてきました。人権確立と共生社会をめざす「人間の安全保障」を基調に、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効・批准、対人地雷禁止条約の調印、大量虐殺や集団レイプ・強制移住といった人道上許されない行為を世界正義の名において裁く国際刑事裁判所(ICC)の設立など多国間の協調と対話による信頼醸成を高めています。
4.また最近の南北朝鮮の対話による平和外交は、アジア・太平洋の緊張した軍事情勢を緩和させる喜ばしいニュースです。私たちはかねてより「南北朝鮮の平和的・自主的統一」を支持してきました。これからさらに実りある平和外交にしてほしいと願うものです。
5.このように世界が多国間の平和的信頼醸成を築く中、日米間は2国間軍事条約である日米安保条約をさらに深め、周辺事態法など新ガイドライン関連法により日本が戦争を拒否する国から再び戦争のできる国につくりかえようとしています。極東からアジア・太平洋までと日米安保の範囲を拡大させ、そのための在日、なかでも在沖米軍基地が固定化・強化されています。
6.私たち沖縄県民は、95年の県民大会、96年の県民投票において、あらためて基地被害の絶滅と基地の整理・縮小を政府に求めました。しかし政府は日米特別行動委員会(SACO)を設置し、基地の県内移設による「解決」を迫ってきています。まったく沖縄県民の50年余の苦しみを理解しない政府の沖縄施策を断じて認めることはできません。
7.普天間基地の返還に伴う名護市へのあらたな基地建設は、97年の12月の市民投票において大多数の市民が「建設反対」の意思を示したにもかかわらず、稲嶺知事そして岸本名護市長は建設を受け入れました。住民本位の自治の責任者として住民が危険にさらされる軍事基地を受け入れることは到底許されるものではありません。私たちは、知事・名護市長に民意を遵守させ、白紙撤回するまでねばり強く運動を進める決意です。あわせて日米両政府をして言わしめた「世界でもっとも危険な普天間基地」の1日も早い無条件・全面返還を勝ち取っていかなければなりません。普天間基地移設反対を中止にしながらも、「東洋のガラパゴス」と言われる亜熱帯の自然の宝庫・やんばるへのヘリパット建設などすべての基地の県内移設に反対していきます。
8.いま、先述のように平和憲法が危機的状況にあります。戦争放棄と非武装の国際平和主義、基本的人権の尊重、主権在民を柱とする平和憲法をこの20世紀で終らせるのか、誇りをもって21世紀に引き継ぐのか、正念場に立たされています。
この憲法月間をとおして、平和憲法の理念を世界に広げ、「基地も核も戦争もない21世紀」を実現させていきましょう。
平和行進参加の私鉄の仲間たち |
宜野湾海浜公園のステージ前に結集した参加者
喜納昌吉さんも出演
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【 全国へ、全世界へ、21世紀への沖縄からの平和メッセージ(大会アピール)
】
2000年5月14日 5・15平和とくらしを守る県民総決起大会
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祖国復帰闘争碑文(辺戸岬)
全国そして全世界の友人へ贈る
吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 怒濤の響きを聞け
戦争を拒み平和と人間解放を戦う大衆の雄叫びだ
″鉄の暴風″やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は
米国占領に引き続き 1952年4月28日
サンフランシスコ「平和」条約第三条により、
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた
米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した
祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた
我々の戦いは蟷螂の斧に擬された
しかし独立と平和を戦う世界の人々との連帯であることを信じ
全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた
見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
二十七度線を断つ小舟は船出し
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ
今踏まえている土こそ
辺土区民の真心によって成る冲天の大焚火なのだ
一九七二年五月十五日 沖縄の祖国復帰は実現した
しかし県民の平和の願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された
しかるが故に この碑は
喜びを表明するためにあるのでもなく
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
戦いをふり返り 大衆が信じ合い
自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うためにこそあり
人類が 永遠に生存し
生きとし 生けるものが 自然の摂理の下に
生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある
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辺土の岬に立つ「祖国復帰闘争碑文」は、今もつねに警鐘を鳴らし続けている。そこには「1972年5月15日 沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず 日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された」と記されている。
1978年、復帰5年目のこの年、平和行進は歩き出した。復帰後も変わらぬ「基地の島」沖縄の内実を問うために。
1996年12月、日米両政府は、「沖縄基地の整理・縮小のため」としてSACO合意をした。しかしそれは普天間基地の移設にともなう名護市へのあらたなヘリポート基地の建設をはじめとした県内移設であり、またもや県民の願いを踏みにじるものであった。
悲惨で汚辱にまみれた沖縄戦。人権を蹂躙されつづけた米軍支配の27年。平和憲法下におかれながらも沖縄だけに適用する「特別立法」で軍事基地を押しつけつづけられた復帰後。これらの歴史的体験を日米両政府は踏みにじりつづけるというのか。
私たちは問う。沖縄戦で軍隊は何をしたか。米軍統治下で軍隊は何をしたか。平和憲法下の沖縄で軍隊は何をしたか。復帰から28年、平和は訪れたであろうか。県民の人権は保障されているだろうか。県民の意思は聞き入れられているだろうか。
私たちが復帰に求めたものは平和憲法そのものである。戦争放棄と非武装の国際平和主義、基本的人権の尊重、主権在民を高らかに謳う平和憲法を20世紀で終わりにしてはいけない。私たち自らの力で21世紀の指針として守りとおさなければならない。
2000年7月20日、私たちは、みたび「人間の鎖」で、アジア・太平洋の米軍事拠点“嘉手納基地”を包囲する。
●結実させよう。県民と世界の平和を愛する人々の意思と情熱とエネルギーのすべてを。●
●実現させよう。基地も核も戦争もない21世紀の世界を。●
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