TKOPEACENEWS
 1面 NO.40/03.10.1発行


 特 集 反原発の闘い

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原子力資料情報室西 尾  漠

 

東京電力のトラブル隠し
 2002年8月29日、経済産業省の原子力安全・保安院は、東京電力が行った自主点検の報告に不正の疑いがあると発表しました。同日、東京電力も記者会見で事実を認めました。3つの原子力発電所の計13基で、炉心シュラウドのひび割れやジェットポンプの摩耗などを隠蔽していました。さらに再循環系配管など、より重要な機器のひび割れ隠しが暴露され、法に定められた定期検査の際の格納容器気密試験の不正も発覚しました。原発の安全性をうんぬんする前提が完全に崩れていたのです。このことの意味は限りなく大きなものです。背景には、原発の機器の老朽化の進行と、他方、電力自由化に伴うコスト削減の圧力があります。
 機器のひび割れを隠していたのは、東京電力だけではありません。不正は東北電力、中部電力、中国電力、日本原子力発電でも見つかりました。四国電力では、タービン架台のひび割れが未報告だったという、東京電力とは別の内部告発があり、関西電力では水力発電所での事故などが隠されていたことがわかりました。これらが氷山の一角であるとは、指摘するまでもないでしょう。
 東京電力の福島第一原発一号炉では9月25日、前述のように、定期検査の際の格納容器気密試験のデータが「社内用」と「立ち会い用」に仕分けされている恒常的な偽装までが発覚しました。立ち会いとは、原子力安全・保安院の電気工作物検査官が試験に立ち会うことをいいます。定期検査はほんらい検査官が行うべきものですが、現実には立ち会いないし記録の確認をすることが「検査」の中身となっているのです。(シュラウドなどの検査は電力会社の自主検査で、定期検査と並行して実施されてきました。)
 この偽装に対し経済産業省は、11月22日に聴聞会を開いた上で、29日に同炉を一年間の運転停止処分にしました。ただし、偽装が確認された10月25日の翌26日に自主的な点検停止に入り、11月20日からは「定期検査」に移行していますから、処分は有名無実といえます。
 東京電力では歴代社長らが役職を総辞職しましたが、その決定を発表した記者会見の際、南社長は「技術基準が実態にあっていない」ことが虚偽報告の背景にあると言いわけをし、原子力安全・保安院は、実態に基準を合わせる規制緩和(「維持基準」の導入)を急ぎました。経済性を優先し原子力発電の危険性をいっそう大きくするものと言わざるをえません。維持基準の導入は、自主検査の法定化や罰則の強化といった「不正防止」策を目玉とした法案に含めて11月5日に国会に提出され、十分な審議もなく12月11日に成立してしまいました。

全原発停止が3週間
 トラブル隠しが発覚した結果、2003年4月15日には、ついに東京電力の3原発の17基の原子炉すべてが停止する事態となりました。5月7日には1基の運転が再開されたとはいえ、全原発停止が3週間続いたというのは画期的なことです。そして、東京電力の原発17基のうち12〜13基が止まったまま、夏の電力需要のピーク期が終わりました。当然ながら、大停電は起こっていません。運転再開を強行せず17基すべてが止まった状態だったとしても、供給には支障はありませんでした。
 この実績では東電も、「原発を再開したために電力危機を回避できた」とは、さすがに言えません。そこでもっぱら「冷夏と皆さまの節電のお陰」としています。過大な需要予測を意図的に垂れ流したのを棚に上げてです。冷夏でなくとも、もともと原発なしで供給は可能だったのです。
 事故隠しの発覚から1年。原発こそが電力供給の安定さを脅かすものである、と明らかになり、原発が止まっても停電にならないことが実証されました。日常的な停電への備えやエネルギー消費のあり方の見直しの大切さに、多くの人が気づかされました。教訓を学んでいないのは、当の東電と経済産業省だけではないでしょうか。

安全神話の崩壊
 原発をすすめる人たちは「日本の原発では大事故は起きない」と言います。しかし、そうした根拠のない思い込みこそが大事故を準備していると言えます。
 1995年1月に発生した兵庫県南部地震は、兵庫県と大阪府の広い範囲にわたって、「阪神・淡路大震災」の名で呼ばれる甚大な犠牲・被害をもたらしました。この地震で、壊れるはずがないとされてきた高速道路や新幹線の高架橋、高層建築などがもろくも損壊し、工学万能の神話は音をたてて崩れ落ちました。それは同時に、原発の安全神話をも物の見事に打ち倒しました。
 「何重もの安全装置」があったところで、大地震は、それらを一気に共倒れさせてしまうに違いありません。これまでそうしたことが起きなかったのは、たまたま地震活動の静穏期がつづいていた幸運のお陰でしかないのです。 それでも政府や電力会社は、「原発は安全」と強弁しました。86年4月のチェルノブイリ原発事故の後でも、「日本では放射能災害を伴う事故は起らない」と言っていたのです。
 確かに幸いにして放射能災害は免れましたが、89年1月には福島第二原発3号炉での再循環ポンプ破損事故、91年2月には美浜原発2号炉での蒸気発生器細管ギロチン破断事故と、「起らないはず」だった事故が相次ぎました。95年12月には「もんじゅ」ナトリウム漏洩火災事故、97年3月には東海再処理工場アスハァルト個化施設火災爆発事故、そして99年9月のJCO臨界事故へとエスカレートし、とうとう2人の労働者の死亡をふくむ大量の放射線(中性子線)被曝をもたらすに至りました。
 JCO事故が起きてなお、政府や電力会社は「原発は多重防衛になっているので安全」と主張しています。原子力発電は、原発さえあればできるというものではありません。燃料をつくり、あと始末をするさまざまな施設のすべてが安全でなくてはならないことをこそ、JCO事故は教えたと言うのに。事故前はJCOとて「多重防衛」をうたっていたはずなのに。そして、右のような主張こそが原発の大事故を招き寄せるものだと、JCOの事故をふくむこれまでの事故が教えているというのに。

大事故を準備する原発の運転管理
 このままでは事故はまだまだ起ると言うのは、決して反原発派の脅しではありません。最大の問題は、原発の安全神話が崩壊し、過酷事故の発生が懸念されているにもかかわらず、事故を予防する措置がとれなくなっている現実でしょう。第一の理由は、経済性です。コスト削減の圧力は定期検査の簡略化を推しすすめ、ただでさえ検出の難しい機器の損傷をいっそう見つかりにくくしています。
 もちろん、検査期間の短縮のためには、さまざまに合理的な方策がとられています。しかし、それだけでなく、毎回検査をしていたものを2年に1回にしたり3年に1回にしたりといった危険性の増大につながることが採用されています。従来は夜に運転を止め、寿命の短い放射能が減った翌朝から作業に入っていたのを、朝に止めてすぐ作業に入るようにするとか、3交代制による24時間連続作業とか、労働者の負担も大きくなっています。
 そんななかで、国の検査官をだましてウソのデータを捏造することまで行われている実態が、2002年8月の東京電力による検査データ不正の発覚を契機に明らかになっています。定期検査そのものが信頼のおけないものだったのです。
 原発の比率が高くなり過ぎたことも、原発を止めにくくしています。かっては、1979年3月に、制御棒駆動装置のボルト損傷について加圧水型の原発の総点検をおこなったりしましたが、いまでは同じ型の原発だけを止めるといっても20基以上を止めなくてはなりません。経済性を考えればもとより、電力供給上も止めにくい状況になっているわけです。
 そこで、ある原子炉でトラブルが見つかったときに、他の原子炉をすべて止めて点検、とはなりません。おっかなびっくり定期検査を待って、順ぐりに調べるしかなくなっているのです。つまり、いまでは、何かマズイことがあるとわかっていても、予防することすらできなくなっているということです。
 加えて、老朽化の問題がでてきています。老朽化がすすみ、予防措置がとりにくくなったなかで、経済性優先の乱暴な運転管理が行われています。それは、まさに大事故を準備しているのに等しいというべきでしょう。

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