TKOPEACENEWS
  2面 NO.15/01.2.1発行

普天間飛行場基地・沖縄県内移設に対するマスコミの報道について

 沖縄県民は基地があるがために、1972年5月本土復帰後から今日まで宮森小学校へ戦闘機の墜落、少女暴行・殺人事件など、米軍による事件・事故が多発している現状に変わりはありません。また、銃剣とブルドーザーにより土地と住宅を取り上げられるなど、時には島ぐるみの大闘争、数度の普天間基地、嘉手納基地包囲行動や95年の少女暴行事件抗議集会には、8万5千人が結集するなど日米地位協定の見直し、基地の整理・縮小・撤去をもとめた意思表示は県民投票、名護市民投票に現れています。
 こうした県民の強い意思があるがために、基地の「整理・縮小」の声をうけて作られた「沖縄に関する特別行動委員会(SACO・サコ)」は普天間基地など県内移設をするという、とうてい沖縄県民が受入れがたい報告をまとめ、名護市など本島北部地域100億円の地域振興策で以て押しつけようとしています。
 当然、沖縄県内のマスコミなどは一斉に住民合意を無視した県内移設に対してSACO合意の見直し、撤回を求めるなどの報道をしています。
 1999年11月23日の沖縄タイムスの社説を以下紹介します。

●沖縄タイムス社 社説

『普天間飛行場移設/住民合意を無視した決定ベターとは思えない選択』

 稲嶺知事はきのう、米軍普天間飛行場の移設先を「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」に決定した。県民の将来を左右する歴史的な政策決定である。県内を賛否両派に二分し、対立を根深くする第一歩にになりそうだ。
 稲嶺知事は、移設候補地としてキャンプ・シュワブ水域内を決めた経緯、背景、基地の整理縮小への基本的考え方、移設に当たっての条件などについている説明、県民の理解と協力を求めた。
 だが、世論の反応は真二つに割れ、知事の決定が思惑通り進かどうか極めて不透明打。場合によっては1950年代半ばの土地闘争や復帰前の反基地闘争の再現にもなりかねず、骨肉の争いをひきおす可能性さえある。知事の移設先表明は、戦後史の中で最も注目すべきものである。

 本県の米軍基地問題は、かって米軍が銃とブルドーザーで強制接収した点出他府県と異質なものとされた。公私を問わず強権で奪われた土地だけに、反基地感情を高め、島ぐるみ闘争へと発展した歴史的事実がある。
 ところが、今回、県自ら県内移設を容認し、新たな米軍基地建設に力を貸そうとしている。稲嶺知事は「基地の整理・縮小に向けた現実的対応」としベストではないにしてもよりベターな選択だというが、主体的に基地建設を認めた点で県政史上初の方針転換であり責任は重い。
 それが歴史の批判に堪えうるかどうかは後世の判断に任せるとして、米軍基地の過重な負担を強いられている現状から見る限り、果たしてベターといえるかどうか疑問だ。
 我々は、96年12月に日米特別行動委員会(SACO)の最終報告で県内移設が打ち出されて以来「県内移設はがんの移転に等しい」と主張してきた。
 米軍基地は開発の阻害要因であり、どこに移そうとも、軍民共用であったにしても被害は減らないと考えるからだ。
 むろん市街地に位置する普天間飛行場の危険性は高く、早期撤去が大事だ。だからといって同じ危険性が名護市からなくなる保証は何もない。危険性が移転するだけで、同じ県民として忍びない思いがする。事件・事故、自然や生活環境の破壊だって北部へ分散するはずで、基地の整理・縮小の根本的な解決には縁遠い意といわざるを得ない。これまでの米軍の行為をみればその懸念が一層強まる。

◆説得力に欠ける県の説明
 稲嶺知事は、キャンプ・シュワブ水域内を選定した理由として@基地の整理・縮小が可能になる。A騒音が軽減できる。B県民共用空港の設置で地域経済発展の拠点となるーなどを挙げている。
 
 だが、どういうわけか現実味が伝わってこない。説得力にも欠ける。

 第一新たな空港がどの程度の規模で、どんな工法で造られるのか皆目検討がつかないし、県も説明し得ない。選定に至までの情報開示もない。軍事行動が最優先となる空港だけに、民間機の利用があるかどうかも不明だ。基地の機能についての情報もない。雲をつかむ話しだから共感を呼ばないのは当然だろう。

 きのうの知事発表で、強く印象に残ったのは北部振興に対する熱意である。

 離島同様開発が遅れた北部に光をあてようとする稲嶺知事の熱い思いは評価したい。しかし、北部の振興は国や県に課せられた本来の責務であり、基地の移転と絡ませるのは筋違いだ。
 もし今後も北部振興を基地とリンクさせるなら、北部全体が基地の街と化し、地域住民の求める安らぎのある生活は望むべきもない。
 確かに、稲嶺知事は昨年の知事選で普天間飛行場の解決策として北部の陸上への軍民共用空港の建設と使用期限を15年とする公約を掲げ多くの県民の支持をえた。だが、移設先は陸上ではなく、キャンプ・シュワブ水域内へと軌道修正した。そのほか多くの疑問点をさらけだした。県民の理解と協力が大事というなら、なっとくいく説明があるべきだ。

◆拙速は県益を損ねるだけ
 移設先決定までの情報を公開しなかったのも気になる。県は初めから「キャンプ・シュワブ沖ありき」だったのではないかとの疑問をもたれても仕方のない対応ぶりである。

 中でも最大の問題は、地域住民のコンセサスを得ずに決定したことだ。

 沖縄の将来を左右する最も大きな問題(稲嶺知事)であればこそ地元住民の合意を最優先すべきである。これでは97年11月の市民投票は一体何だったのかと糾弾されても答えようがあるまい。
 それに移設候補地の水域は、国の天然記念物ジュゴンの生息地であり、十分な環境アセスメントが必要だが、それもない。ないないずくしで政府のシナリオ通り進めば理解と協力を得るのは困難だ。
 見切り発車ともいえる県の態度決定は逆に問題をこじらせる要因にもなりかねない。沖縄サミットへの影響も懸念される。拙速は県益を損ねるだけである。

『危うい「したたかな論理」あいまいさを帯びた決断』

 普天間飛行場の移設候補地を名護市辺野古沿岸域とした県の決定は、あいまいな選定理由と条件に基づいている。
 県民に支援と理解を訴えた記者会見での稲嶺恵一知事の説明も十分ではなく、説得力を欠いた。
 名護市への移設は、基地の整理・縮小を着実に進め、政府が約束している、あるいは約束させる振興策が県経済、地域の振興発展のためであるというなら、もっと具体的に説明すべきであった。
 そうではなかったために、知事の決断には多くの疑問を抱かざるを得移設候補地に挙げられた辺野古一帯の住民はもちん、名護市民、県民の多くもそう思っているのではないだろうか。
 知事は「県内移設に際しては、種々の条件をつけ、この問題をむしろ沖縄の振興開発につなげることが、県民生活に対して責任を負う県知事の責務だと位置づけてきた」と強調した。
 それは、「したたかな論理」と自負しているように、知事の政策運営の基本的スタンスと見ていいだろう。
 移設条件に@移設先と周辺地域の振興、跡地利用のために、実施体制の整備や行財政上の措置を立法者等を含めた特別な対策、A代替施設は軍民共用とし、将来にわたって地域と県民の財産になり得るものーなどをあげたのも、そうした考えに沿うものだ。
 だが、知事の決断にもかかわらず、その通り実現できることなのか、判断のしょうがない。沖縄政策協議会などを通して、国の支援が得られる感触を得ていたにしても、県民にはその具体的内容は示されていないからだ。
 県はまた、代替施設の建設について調査を求めているが、どんな調査が実施されるのか、住民生活や自然環境にどんな影響を及ぼすのか、建設後はもちろん、建設中はどうなのか、まるで雲をつかむ状態だ。
 軍民共用空港の設置が「地域振興の促進に寄与する」ことは、辺野古沿岸域を選定した理由の一つとされている。
 つまり、新たな航空路の開設や空港機能を活用した産業の誘致ができ、また、高規格道路の延伸など、空港を中心とした交通ネットワークが形成されるというものだ。
 しかし、軍民共用空港がどういうもので、どのように運用されるのか、皆目見当がつかない。しかも、日米両政府は15年後の期限設定を困難視している。

◆負の遺産を抱える恐れも
 国の支援についての感触や、先行き不透明な部分についての判断材料は依然、知事や県首脳の胸の内にしまわれているようなものだ。移設先の名護市民や県民を蚊帳の外においたまま決断したと言わざるを得まい。

 したがって、例えば軍民共用空港が地域振興の促進に寄与するという判断にも疑問は尽きない。

 果たして民間機が乗り入れするだろうか。どんな成算があるのだろうか。どいう臨空港型産業の立地を想定してるのだろうか。
 知事の説明は「民の空港を造った場合の産業振興についていろいろ見当しているところ。今後、地元との産業振興の話しの中から浮かび上がってくる」ということにとどまっている。
 もし、民間需要が出てこないと、地域経済発展の拠点を形成、移設先部地域の自立的発展につながるとする構想は絵に書いたもとになる可能性がある。
 民間機の航路が開設されなければ、知事が恐れる単なる軍事基地だ。将来県民の財産になることはなく、負の遺産を抱えることになりかねない。
 そうなると、北部振興構想はつまずき、沖縄経済振興21世紀プランなどほかの振興策にもマイナスの影響を及ぼす恐れがある。基地新設による自然への影響が農漁業、観光などほかの産業に波及する可能性さえ否定できないだろう。

◆解決には合意形成が必要
 そうした事態は避けなければならない。問題は、知事の決断に至る過程や代替施設、さらには振興策に関する情報が開示されず、また、振興策があまりにも不透明な要素を前提にしている点にあるのではないか。
 不透明に覆われていては疑心暗鬼をもたらすたけだ。そんなことで県民同志がいがみ合う事態に至っては、それ以上の不幸なことはないだろう。
 基地建設やその代償として引き出される振興策に期待をよせる人々もいる。交付金も増えるだろう。また、普天間基地の移設に伴う軍人・軍属の移転による活気への期待もあるかもしれない。
 一方、北部の地域振興、自立化を目指す振興策、内発的な発展はそんなことでは達成できないと考える人々もいる。
 それだけに、多くの疑問を残したままの決断は拙速だった。時間はかかってもあらゆるレベルでの合意形成が優先されるべきだ。そのことが結局は普天間問題解決の近道ではないだろうか。

『「移す」から「無くす」運動へ地権者のいない公有水面』

 普天間飛行場の返還を最初に米側に打診したのは、西銘順治元知事だった。
 1985年6月、基地問題を直訴するため米国防省を訪れた西銘元知事に、当時のポール・X・ケリー米海兵隊総司令官は次のように答えている。
 「人口密集地にある普天間飛行場は、我々としてもどこかへ移したい。しかし、普天間飛行場の建設には数十億ドルも投資されている。米軍の戦力を低下させずにどこに移設するか。適当な場所があったら示してもらいたい。そして、だれがその費用を負担するのか」

 返還を訴えた西銘元知事は、逆に移設先の提示を求められ返事に困った。

「沖縄には嘉手納、普天間、伊江島の三つの米軍飛行場がある。これを整理・統合できないか。同じように軍港も那覇、ホワイトビーチ、天源桟橋の三つ保有しており、那覇軍港の返還が直ちに米軍の機能低下をもたらすものではない」

 西銘元知事はこう切り返した。しかし、要求は通らなかった。

 三つある施設を一つ、あるいは二つに統合して縮小をはかることは、過密基地・沖縄からすれば当然の要求だった。
 日米間には「在日米軍施設・区域の統合に一層努力」し、「迅速に実施する」との日米安全保障協議委員会(2プラス2)の合意がある。当時の県政の要求は、その合意に根差すものだった。
 日米安保協は、陸上の施設を海上に移すことも含めて合意している。だが、これまでの統合とは、陸上同士、または海域同士が通念であった。
 その通念を打ち破ったのが、日米特別行動委員会(SACO)が提唱した「海上ヘリ基地」であり、今回、稲嶺知事が表明した普天間飛行場のキャンプ・シュワブ水域への移設である。
 陸上の施設が海域へ統合されるのは、県内では普天間飛行場が初めてであり、施設と区域の初の統合といえる。
 この統合は、基地の新設を意味するだけにとどまらない。陸上の施設同士の統合とは異なり、移設先が公有水面であるため、「地権者が存在しない」という新たな事象を生む。
 政府は現在、普天間飛行場の2,441人の地主に計51億300万円の年間賃借料(98年度)を支払っている。キャンプ・シュワブ水域に代替施設が完成すると、その必要性がなくなるのだ。
 漁業補償は残るが、地権者との契約更新や、改定米軍特措法による強制使用問題なども発生しない。政府にとって、そのことのもつ意味は大きい。

◆反古同然の東富士の期限
 富士山のすそ野に広がる東富士(静岡県)、北富士(山梨県)の両演習場は、北海道・矢臼別演習場に次ぐ全国でも二番目に広い演習場である。
 米軍がマックネア演習場と称し、ここでも沖縄の海兵隊が「県道104号越え」の代替演習など実弾射撃訓練を実施している。
 その中の東富士演習場は、59年6月に防衛庁と地元住民の間で「演習場使用協定」が締結され、10年の使用期限で自衛隊と米軍に使われるようになった。
 地権者は、富士山ろくに入会権をもつ個人、法人、自治体(御殿場市、小山町)など出、「返還」を前提に閣議了解され、協定書が交わされた。
 だが、演習場使用協定は十年後に防衛庁から継続を求められ、第二次協定で「発効の日から5年」を有効期限とすることに改訂された。
 以来、返還の約束は反古(ほご)同然隣、軍用地料(民公有地の賃貸借料)や入会補償などをめぐる条件闘争に移行。東富士演習場地域農民再建連盟(約4,700世帯)と防衛庁との間で、5年ごとに綱引きを演じている。
 演習場使用協定は、来年3月、第8次の更新を迎える。

◆海兵隊を住み分け拠点化
 普点間飛行場の移設に向けて日米両政府が描く沖縄基地の将来像は、米空軍を中部(嘉手納基地)にとどめ、海兵隊を北部(キャンプ・シュワブ、ハンセン、北部訓練場)に展開しょうというものである。
 空軍は中部、海兵隊は北部、海軍はホワイトビーチ、陸軍はトリイステーションと住み分けさせることによって、沖縄基地の整理・統合をはかる構想と言える。その代償として、北部地域の海兵隊の拠点化はさけられなくなる。
 同時に、那覇軍港の浦添市・牧港補給地区への統合をはかり、本当南部地区から米軍基地を一掃し、SACOの合意事項を完結しようとの狙いが読み取れる。
 狭い沖縄に米軍飛行場や軍港が複数も在り続け、その上、普天間代替の広大な海上基地が造られることに対する国民論議はなお乏しい。三つある施設を一つ、または二つに減らすことは決して無理な要求ではない。

▲9月20日、北海道の矢臼別演習場で実弾砲撃演習をする在沖縄海兵隊部隊、これらの部隊は自衛隊の輸送機によって運ばれた=共同

●タイトル頁に戻る ●目次頁に戻る ●1頁に戻る