1.1999年7月8日、狭山事件第2次再審請求に不当な棄却決定
1999年7月8日、東京高等裁判所刑事第4部高木裁判長は、狭山事件の再審請求に対して「棄却決定」を出しました。再審請求に対する審理としては異例とも言える13年間もの時間を費やしながら、弁護団が提出してきた数々の新証拠について「いずれも確定判決をくつがえすほどの有力な証拠とはいえない」として、結局「再審は行なわない」という結論を出したのです。
しかし、東京高裁は13年間、結局一度も証拠調べを行ないませんでした。弁護団の提出した新証拠のなかには、「重要物証を警察がねつ造したことを示唆する元捜査官の暴露証言」や、「確定判決が殺害現場と認定する場所では犯行が行なわれていないことを決定的にする目撃者の証言」など、決定的な事実が多数ありましたが、狭山事件の歴代の担当裁判官たちはこれら証人から話しを聞こうともしませんでした。
まともに調べもせずに「有力な証拠とはいえない」というのは、あまりにも横暴な理屈です。これではいかなる事件においても再審・無罪の獲得は不可能です。えん罪者の裁判をうける権利を全く認めないというに等しく、断じて容認できません。
また、今回の決定が、司法・政治の反動化の大きな流れの中で出された事実も見ておかなくてはなりません。「ガイジライン関連法」「国旗・国歌」「盗聴法」「住民基本台帳法改正案」の成立、有事法制や靖国問題の検討、憲法改悪論議など最近の政治反動の流れと、「再審を認めない」「白鳥・財田川決定を死文化する」司法の動きとは同一線上にあるものです。この動きに反撃していくことなくしては狭山の最終勝利は勝ち取れません。
1999年7月12日、石川さんと狭山弁護団はこの「高木決定」を許さず、東京高裁に「異議申し立て」を行ないました。東京高裁では刑事第5部(高橋省吾裁判長)がこの「異議申し立て」の審理を担当します。私たち狭山東京実行委員会も全力をあげてこの闘いの勝利を目指します。
2.再審請求の手続きと狭山事件の異議審の現在
再審請求の闘いは、石川さんの異議申し立てに対する審理「異議審」へと舞台を移しています。
ところで、異議審というのはあまり聞きなれない言葉です。このほかにも再審審理の過程では一般の裁判ではあまり聞かない用語や手続きがあります。これは刑事訴訟法の定める再審請求手続きが、一般の裁判のそれと多少異なっているためです。刑事訴訟法の規定によって、再審請求はその事件の確定判決を出した裁判所に対して申し立てることになっています。狭山事件では第一審浦和地裁の「死刑判決」が東京高裁で破棄され、新たに「無期懲役判決」が出され、これが確定判決となっています。したがって再審請求を東京高裁に対して行なっているわけです。やはり刑事訴訟法によれば、再審請求に対する裁判所の「決定」に不服がある場合、異議を申し立てることができます。これを「即時抗告」といいますが、地裁に対して再審請求をしている場合は、上級審である高裁に対して「即時抗告」をすることができます。
一方、高裁の決定に対してさらに不服がある場合は、今度はいきなり最高裁に不服を申し立てることはできません。そのかわり同じ高裁に対して「異議申し立て」をすることになっています。もしもその「異議申し立てに対する決定」がさらに不服である場合はどうなるか、今度は「特別抗告」といって最高裁に対して不服申し立てをすることになります。
しかし、このときには不服申し立ての中身は「憲法判断」か「判例違反」あるいは「重大事実誤認」に限定されることになっています。内容が限定され、特別にできる「抗告」なので「特別抗告」といわれているわけです。「『決定』に事実誤認がある」というだけでは一般的には「特別抗告」はできないしくみになっています。
こういった刑事訴訟法の規定に従って、高裁に対して再審を申し立てている狭山事件では、同じ東京高裁に異議を申し立てたわけです。東京高裁では、異議申し立てを受けている「決定」(「高木決定」)を出した部(刑事第4部)とは違う別の部(刑事第5部)がこの異議申し立ての審理を担当します。今後狭山事件の異議審では、石川さんの異議申し立てに理由があるかどうか、が争われることになります。石川さんは「『高木決定』は誤りである」という異議を申し立てをしていますから、当然異議審では「『高木決定』が正しいかどうか」ということが争点になるわけです。弁護団は「高木決定」に対する批判をこの異議審で徹底的に展開することになります。
そしてこの9月、狭山弁護団は「高木決定」の誤りを立証する有力な証拠を裁判所に提出し、この異議審での「事実調べ」(証拠調べ)の実施を迫ったわけです。
3.私たちのこの間の闘いの成果と課題
私たち狭山東京実行委員会は昨年の第5回総会において、結成以来の取り組みをふりかえって次のような総括をしました。
@狭山東京実行委員会の結成により、幅広い共同闘争を進展させることができた。
1993年から95年までの3年間、毎年2月7日に「狭山事件の再審を求める東京集会」が、部落解放同盟東京都連合会、平和・民主主義東京労働組合、東京平和運動センターの3者の呼びかけで、幅広い集会実行委員会によって取り組まれてきました。この間の集会実行委員会では、集会だけではなく、毎回ビラまき街頭宣伝行動を行なったほか、再審を求める団体署名の活動、そして集会決議と団体署名を提出する高裁への要請行動なども取り組んできました。こうした活動のなかで、集会参加者も毎回増加し、署名も2,000を超える数を集めることができました。
実行委員会への参加も、最初の年の19団体から、2年目には29団体、そして3年目となった95年は39団体に増え、その内実も部落解放同盟、労働組合などだけではなく、多くの宗教団体、民主団体、解放運動体までに広がってきました。またこの実行委員会への参加をきっかけに、「同和問題」に取り組む宗教教団東京地区連帯会議(東京同宗連)も結成されました。95年2月7日の「狭山事件の再審を求める東京集会」の総括会議のなかで、こうした3年間の活動の積み上げをあらためて確認しました。また、石川さんが仮出獄して棄却策動も一定後退させることができたこと、しかし一方で新証拠の「事実調べ」が行なわれておらず、依然裁判の情況は緊張を要することなども合せて確認しました。そして、こうした新しい段階に入った闘いに対応して、東京でも恒常的な取り組みの体制を作って行くことが了承されました。こうして集会実行委員会を解散せずに、狭山東京実行委員会として発展継承することになったのです。
狭山東京実行委員会は当初労働組合・民主団体・宗教団体・都連など30団体でスタートしましたが、毎年2・7東京集会を開催することなどの具体的な活動の積み上げのなか加盟組織の数を着実に増やしてきました。1999年11月現在48団体が加盟しています。
A4万人署名の達成と、延べ1万団体を越える団体署名の獲得など、具体的な目標を立ててそれを実現する着実な運動ができた。
「事実調べを求める新100万人署名」は、当初部落解放中央共闘会議から東京に割り当てのあった2万人をはるかに越える4万6千人分集めることに成功しました。
また、毎年2・7東京集会に向けて取り組んできた「再審開始を求める団体署名」「全証拠開示を求める団体署名」も、7年間で延べ1万団体をこえる数となっています。これらの署名はいずれも狭山東京実行委員会として取り組んできたものです。狭山東京実行委員会の繰り広げてきた幅広い共同闘争がこうした成果をあげてきたことをここでも再確認できます。
B全国・関東のなかまと連携した闘いの前進
部落解放中央共闘会議や部落解放同盟中央本部が主催する全国的な取り組みにも狭山東京実行委員会として積極的に取り組んできました。また石川さんの仮出獄以降は、特に関東のなかまたちと共闘して活動を行なってきました。
1998年まで毎年部落解放同盟関東甲信越地方協議会(解放同盟関東ブロック)が主催してきた8・9集会に実行委員会として参加してきました。また、解放同盟関東ブロックの呼びかけをうけて結成された部落解放共闘関東ブロック連絡会議(解放共闘関東ブロック)にもオブザーバーとして参加しています。こうした活動によって、関東ブロックの仲間との連携が強化されてきました。
さて、こうした大きな成果をあげてきた反面、第2次再審闘争が13年の長きにわたる中、@各種集会・取り組みのマンネリ化や、A裁判の現状が見えにくい現実を克服できないという課題、などが生まれてきたことも確認しました。
昨年私たちは、こうした成果と課題を今後異議審の闘いを始めるに当たって、実行委委員会として発展差せ、あるいは克服することが必要だという認識を確認しました。そして、次のような中・長期的な活動の柱を立てました。
@中・長期的な展望をもって、地道に闘う体制をつくろう。
異議審闘争は、過去の例からみても数か月で終わる短期決戦ではありません。少なくとも数年の期間を要する闘いになるものと考えられます。また、過去に著名な再審開始決定が「異議審」で出たことでも分かるように、「異議審闘争」で「高木決定」を破棄させることが不可能であると考える根拠はありません。以上の点を確認し、中期的な展望をもって計画的かつ段階的に闘いを作っていきます。
A成果の見える、達成感の共有できる取り組みを積み上げよう。
再審請求の闘いでは、どうしても法廷内の動きが私たちの目に見えないという問題がついてまわります。つまり、私たちの日常活動が裁判にどのような影響を与えているかが分からないと言うことです。再審闘争という闘いの性格上、この問題の克服は容易ではありません。しかし、私たちが達成可能な運動上の目標を設定し、着実にそれを達成していくことによって成果とその達成感を共有することはできます。こうした成果や達成感を共有できる取り組みを創意工夫して進めていきます。
B新しい取り組み、東京の特色ある狭山の闘いを作りだそう。
従来の取り組みの形態にこだわらず、柔軟な発想で新しいことにチャレンジしていきます。高裁・高検・マスコミなどへの「ハガキ」「てがみ」活動を参加団体によびかけて取り組んだり、集会の中身についてもこれまでやってこなかったような工夫をこらして取り組んでいきます。東京の特色ある狭山闘争を展開できるように創意工夫します。
いま、一年の活動を終えて上記3点の総括に立ち返ってみると、今年の2・7狭山東京集会の成功など、一定の成果をあげた点と、まだまだ実行委員会としてできていない事もあると言えます。異議審闘争3年目に入る2001年に向けて、狭山東京実行委員会は、中・長期的な総括に立脚しながら、次のような具体的な活動を展開していきます。
4.今後一年間の実行委員会の活動
3で述べた中、長期的な総括に立脚しながら、私たちは2001年の闘いを次にように行なっていきます。
@2001年2月9日の東京集会に全力で取組みます。
A東京高裁・高検への働きかけ、マスコミなどへの働きかけなどを実行委員会として取り組みます。特に証拠開示を実現するための取り組みを創意工夫して取り組みます。
B石川さんが逮捕された日に毎年中央闘争として取り組まれる「5・23中央集会」最高裁が上告を棄却して「有罪判決」が確定した日に解放同盟関東ブロックが主催して取り組まれる「8・9関東ブロック集会」、東京高裁で「確定判決」がだされた日に行なわれている「10・31中央集会」など中央・関東レベルの取り組みに、実行委員会の各団体から積極的に参加してもらえるよう呼びかけます。
お忙しいなか狭山東京実行委員会第6回総会に参加いただきましてありがとうございます。第6回総会ということですが、私自身も仮出獄して6年目になります。
総会の第二部で解放同盟中央本部・安田さんの講演で詳しく説明と提起があろうかと思いますが、狭山弁護団は犯行現場に残された地下足袋の「足跡」の鑑定を東京高裁刑事第五部の高橋裁判長に提出し、11月8日に高裁内で東京大学山口助教授、鈴木助教授ら鑑定人から説明を聞きました。
この鑑定人からの説明はパソコンを使い立体的に「足跡」を再現し自宅から警察が押収した地下足袋で無いことを具体的に証明する非常に重要な証拠となると思います。私はこの鑑定がすばらしいので再審開始に向けて展望を開いてくれると確信しています。その気持ちを短歌で表現します。
今後京都の大学だとか大阪の自治労本部などで狭山事件の報告と連帯して闘い呼びかけに行くなど全国をまわっています。私も完全無罪を獲得するまで不退転の決意で闘います。こんごもよろしくご協力をお願いしてあいさつとします。
《総会決議案》
狭山事件の再審開始と全証拠の開示を求めます!
東京高等裁判所・刑事第4部(高木俊夫裁判長)は、1999年7月8日に狭山事件の再審請求に対して不等な棄却決定を出しました。私たちは、この決定を決して許すことができません。現在同裁判所刑事第5部(高橋省吾裁判長)に石川さんの異議申し立てが提出されていますが、裁判所がこの申し立てを真剣に受けとめ、この間提出されている新証拠の事実調べを行なうとともに、再審を開始するよう強く求めます。
高木裁判長は決定において、一度の事実調べを実施することもなく石川さんの訴えをしりぞけました。十分な時間があったにもかかわらず証拠調べすらせずに請求を棄却した東京高等裁判所の行為は、司法の責務はもちろん、民主社会の原則である市民的良識にも反するものです。証拠認定にあたって最高裁が過去に判例として示した「白鳥・財田川決定」に違反する論理をもちいている点とあわせて、高木裁判長の決定は裁判所に対する信頼と期待を裏切る重大な背信行為と言わざるを得ません。
また東京高等検察庁は、事件発生から36年たった今もなお、数々の証拠を隠し持ったまま開示していません。日本の検察が証拠を独占していることについては、1999年11月、国際人権〈自由権〉規約委員会も、「重大な人権問題である」として、改善を勧告しました。これは、委員会の討議の中で具体的に「狭山事件で証拠が充分開示されていない」事実が問題となったうえでの結論です。わたしたちはこのような検察官の証拠隠しを絶対に許すことはできません。東京高等検察庁は速やかに全ての証拠を開示すべきです。
石川一雄さんは再審棄却決定を受けた記者会見で、「裁判所を信じていたのに無念だ。しかし私は真実が認められるまで何十年でも闘い続ける」と声明を発表しました。私たちの気持ちも同じです。狭山事件の真実が認められない限り、基本的人権の確立もありえません。私たちも石川さんとともに、この異議審で事実調べと再審を勝ち取るために全力で闘います。
右決議する。
2000年12月4日
狭山東京実行委員会第6回総会
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