所高生の自由と教育を考える委員会だより

発行:所沢高校PTA・所高生の自由と教育を考える委員会

発行日:1999年12月8日(水)

所高生の自由と教育を考える委員会だより

                    所沢高校PTA
   1999.12.8        所高生の自由と教育を考える委員会発行

     所高祭ミニ学習会報告  9月11日・12日所高祭の「PTAの部屋」においてミニ学習会が開催されまし た。2日間計100名もの方々に参加戴きました。以下、学習内容の報告を致します。    …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… ……  1日目は「生徒会役員の生徒とつきあって」と題して、87年度から96年度までの 10年間、所高で主に生徒会を担当していらした立野先生にお話しいただきました。生 徒会本部の生徒と実際に接してきた先生ならではの生徒の様子、教職員の様子、そして 先生が生徒会担当中にできた生徒会権利章典や協議会の意味など、興味深いお話を聞く ことができました。 生後会役員の生徒とつきあって                    立野隆一(飯能高校定時制教諭) 【所高の生徒たちは、、、、】  87年に所高に赴任してきた当時は、いじめや校内暴カが社会的に問題となってい た時代だった。しかし、所高では生徒たちは多様な個性を持ち、元気で輝いていると いう印象を持った。体育祭直前に授業をサボって応援練習のため中庭の水撤きをする 生徒がいたりしたが、授業中のマナーは良かった。ゴミがかなり散らかっていたが、 注意をするとすぐ片づけたりという行動力も持っていて、それなりの自冶意識や良識 を持とうという気持ちを持っていると思った。所高の教育の看板は生徒の自治かなと 考えていた。  とは言え、みんなが自治意識を持っていたわけではなく、生徒会本部の立候補も活 発でない時期もあった。本部の活動が楽しくあるようにと秩父での夏含宿を試みたり もした。「おたく」という言葉が流行った時代で、自然に上手く集団を組めない世代 という面があったが、一且歯車が動き出したら強烈なパワーをみせた。体育祭の応援 の練習など、盛り上がり過ぎて、航空公園で夜遅くまでやって苦情が来たりと、いき 過ぎてしまうこともあった。団長にきちんと話すと、理解して自制してくれたが。 【決議文・生徒会権利章典ができた頃、、、】  昭和天皇のご逝去の時、教育長から半旗を揚げるよう指示があった。マスコミ等で 話題になっていたので、生徒も興味を持っていた。教職員は反対したが、下校時刻後 校長が半旗を掲揚した。このことで、ホームルーム委員会が校長・教職員に対して質 問状を出した。これをきっかけに生徒はこの事に関して1年以上研究をした。そして、 ホームルーム委員会を通じて、臨時総会を開き、ここで「『日の丸・君が代』に関す る決議文」が可決された。この頃も生徒の間で自由とは何かということが問題となっ た。君が代を歌う自由もあるのではないかとか、多数決で決めてもよいのではという 意見もあった。これに対しては、自由とは無制限ではない、歌いたいからどこでも歌 ってよいというものではなく、歌いたくないという人の権利を侵してもよいのだろう か、ということで、強制反対ということになった。  この事から発展して「生徒会権利章典」もできた。学習指導要領の改訂ということ もあったが、生徒会本部としては、当時、生徒の生活態度の乱れとかわがままという 面がかなり出てきて危機感を持ち、自分たちが自分たちを律すること、そして自由を 守るためには自治がなくてはならないということを訴えたかったのだと思う。しかし、 それを前面に出してもなかなか理解が得られなかったので、無関心層には「あって困 るものかを考えてくれ、便利になるかもしれない可能性を考えてくれ」「いつかは役 に立つかもしれない」というように呼びかけて、大多致の生徒の理解を獲得した。こ れが実情だったという感想を持っている。  当時、所高の歴史、特に70年の学園紛争の頃のことなどをよく研究していた。川 越高校に権利章典があるということを知り、それも刺激になったようだ。教員に川越 高校出身の人がおり、権利章典を作ったときの状況を聞いた。作るのは容易なもので はなく、何十回と集会やクラス討議を経てやっとできたものだったそうだ。その事を 生徒に伝え、十分討議をした方がよいということで、次の生徒会長に引き継がれ、次 の代で作られた。 【生後会本部の生徒たちと、、、】  生徒会本部の生徒たちに言い練けていたのは、クラスから逃げるな、ということだ った。生徒会本部とかの中だけで話し合うだけでは本部が機能する糧にはならないだ ろうと話した。また、仕事がたくさんあるので、取捨選択をするよう声掛けをした。  権利を言うならば義務を果たせ、とよく言われる。これは封建社会の中で使われて きたもの。義務ではなく、責任または信頼、という言葉で置き換えるべきだろう。つ まり、いかに人間関係をうまく保っていくか、そこには対等な人権を持った人間がい るのだということを意識していくことが大切。教員と対等関係となると少し難しくな る。よく県教委が教員は指導するもの、生徒は指導されるもの、と言う。半分はあっ ていると思う。 しかし、常に上意下達でよいものではない。やり取りがどうあるかが大切であって、 それは信頼関係であると考えている。  生徒会の研究活動とか提案する権利とかをきちんと保障することは大切だ。だが、 教員が時には壁となることも大切。ダメと言うことを忘れがちのように思われる。そ れを乗り越えられるかがポイントとなることもある。 【学校の一構成員としての生徒、、、】  所沢高校に単位制が導入されようとしたときのこと。新聞報道で導入というニュー スが流れた。生徒たちにどうして知らせてくれなかったのかと咎められた。実は教員 の守秘義務ということで校長から知らせないようにと再三言われていたのだった。つ い学校は県教委・管理職・教員の関係で動かされでいると思い込まされていた自分に ふがいなさを感じた。この時、PTAも白紙撤回運動を展開した。学校の運営のあり 方については、この教職員・生徒・PTAという三者がどのような形で参加していけ るのかが大事な要因。それぞれが意見をきちんと言えるはず。教職員・管理職が独断 で何でもできてしまうという構造こそが民主的な教育を根付かせていない原因だろう と感じた。  協議会では生徒会担当として職員とのつなぎ役をすることになり、先生はどっちの 味方かなどと言われたこともある。時として教員が壁になることも必要。議論が白熱 することが大事だろう。教員のカ量が試されるところでもある。このように教員の懐 に生徒を飛び込ませて、何かをやっていくという制度は全国でもあまりない。この機 構はPTAとの連携によって、より活性化していくのではと思っている。 【根っこを大切に、、、】  第一回卒業記念祭に参加して大輪の花が咲いたと思った。けれど、今、所高はいろ いろな困難に直面しているようにも思える。しかし、花は一度散っても根っこが残っ ていればまた咲く。教員も生徒も入れ替わってゆくが、この根っこを大事にしていき たい。 --------------------------------------------------------------------------------  2日目は、「今、所高にとって何が大事なのか?」というテーマで、前PTA会長 の君島和彦さんと、現PTA会長の清水康幸さんに講演していただきました。君島さ んは、PTA会長を務めた1年間を振り返って強く感じたことを、清水さんは、学校 自治・生徒自治を中心に「所高問題」の今・これからについて話してくださいました。 ここでは、2つの講演のエッセンスをお届けします。 今、所沢高校にとって何が大事なのか?                        君島和彦(前P丁A会長) ■伝統を受け継ぐ意味          …所高100年の歴史の中で自由・自主・自立を考えてみる  所高の伝統・校風「自由・自主・自立」は、1970年代から形成されてきた。日 の丸・君が代決議文や生徒会権利章典、協議会のシステムは、70年ごろから作られ た伝統の結実である。90年頃2つの決議文が作られたが、日常的に発動していたわ けではなかった。しかし、問題が起きたとき、突然不死鳥のごとくすごい力を発揮し た。常にそのことが自覚されているかどうかということよりも、そういう文書や組織 を持ち続けていることの重要さを、この間の事で我々は感じることができたのではな いか。  伝統とは、「同じ集団・社会・民族の間で昔から受け継がれてきて、現在も生命を 保っているもの。また、それを受け継いでいくこと」という定義があるが、伝統の継 承者である生徒は短期で交代してしまう。また、自主・自立というテーマは、そのつ ど独自の判断が許されているところに意味がある。だから、昨年と異なる決定であっ ても、その時の主体となった生徒の独自の判断に自由・自主・自立が存在する。伝統 と「自由・自主・自立」という矛盾したものを同時に継承していくこと、思想信条に 関わるものをどう考えるか、これらが所沢高校の提起した大きな問題なのではないか。 ■「所高問題」の本質は何だったのか  「所高問題」とは、卒業・入学行事をめぐる一連の流れ全体と捉える。生徒が主張 したことは、「自主的決定の尊重」ということだけだった(PTAも同じ)。しかし、 校長・教育委員会は、「日の丸・君が代」問題と捉えていた。鍵は、「日の丸・君が 代決議文」の理解の問題だろう。生徒は、生徒会の基本方針としてそれを決定してい る。「生徒会権利章典」と「日の丸・君が代決議文」が尊重されれば、結果として 「日の丸・君が代」は実施できないということになる。それに対して校長は、「公の 教育現場では公の意見が尊重される。校長は実施する立場(職)にあるのだ。」と答 えている。このことの問題性をマスコミが再認識したのは、広島県世羅高校事件であ ろう。NHKで広島県の校長が「校長になれなかった校長」という発言をしていたが、 「教育者」としての良心と管理職という立場の矛盾が、象徴的に現れた。同じような 苦悩を神奈川県の校長も訴えていた。  そうみると、所高問題の本質は「公と教育」の関係になる。「教育者」を捨てた校 長が「最終決定」を行う高等学校とは何なのか。所高は、「個人の尊厳を重んじ、真 理と平和を希求する人間の育成」という教育基本法前文で言っているところを実践し ている学校。ここの違いが一番大きい。最近、憲法調査会ができて、教育基本法も議 論され始めた。ここで一番悪いと言われているところが「真理と平和を希求する人間 の育成」で、それをしてきたから愛国心が育たないのだと、首相が言っている。  外から、所高は日本の教育問題の解決のモデルだと言われたことがある。しかし生 徒はそういう意識で行動したのではない。所高の伝統を覆そうとすることへの怒りだ った。これを単純に一般化・モデル化するべきではない。それぞれの学校のやり方が あっていい。所高は周りがどう評価するかに関わりなく存在してきたし、これからも その伝統やルールは継続していくだろう。 ■所高問題のこれから  現在もこれからも継続していく現実というものを直視する必要がある。生徒の主体 が確立していれば、自ずと自由・自主・自立という伝統は継承されていく。所高で生 活する3年間の中で、一人一人の生徒がそれを内実化させていくことができるかとい うところにかかっている。  PTAは、3番目の主体なので、生徒、教職員とどう連携をとるかが重要。当事者 である現在の所高生の行動の自由をいかに確保するか、そこに何らかの制約が加わわ れぱ、自由・自主・自立の伝統はつぶされてしまう。PTAは出過ぎても出なくても ダメで、生徒・教職員との信頼関係が大事だと思う。 -------------------------------------------------------------------------------- 「所高問題」のこれまでとこれから                          清水康幸(PTA会長) ■いわゆる「所沢高校問題」とは何であったか?  基本的に学校における民主主義の問題である。特に生徒を中心とした学校運営を進 めてきた所沢高校のルールを一方的に壊されたことに、問題の焦点がある。そのこと が現代の日本の学校の在り方に対して、いろんな意味で問題提起になり得る要素をは らんでいた。  98年4月15日付毎日新聞「記者の目」にて日下部氏は、「文部省も口では生徒 の自主性とか個性とかを最近は盛んに言っている。ところが、ひとたび下からの自主 性みたいなものが目の前に現れたとき、たちまち旧態依然たる管理主義が頭をもたげ て押さえ込もうとする。結局、生徒の自主性とか個性を尊重するというのは、目先だ けに過ぎず、それを実質化させるだけのシステムというものが整っていない。所高生 のような行動が起こったときに、これはつぶす以外の方法はないという対応をしてい る。」と、指摘した。このことは、今後の学校のあり方についての方向性は見えてい るのに、しっかりと曲がりきれないでいる日本の教育の現実を象徴している。  所高には、「生徒が主人公」ということを保障する組織やシステムが存在している。 これは先生方の支えがあって継続して来れたと思うが、そのことの大切さが今、改め て浮かび上がってきている。 ■「所高問題」の現段階とこれから  「生徒が主人公」ということは、生徒の主体性を軸に教職員がそれをきちっと支え る、あるいは親がそれを支えていくということだろう。学校の中の問題は、その学校 できちっと意思決定をして決めていくことができる、それだけの力と仕組みを持って いるかどうかだと思う。所高でも、そのことが今ちょっと危うくなっているかなあと いう気がする、改めて「学校自治」の大切さを提起したいと思う。  生徒会権利章典に、「自由を持ち続けるため私たちは自治を確立する必要がある。 自治が崩れることはそれらの権利を失うことである。」という一文があり、生徒自治 の確立ということと、自分たち生徒の権利というものは一体のものとして謳われてい る。  今の時代は、僕は僕、自分は自分という「私」が肥大化した時代。そういう中で所 高をどうしようか、生徒会をどうしようか、学校をどうしようかといった問題と若者 の生活実感とは、距離が出てくるのは自然なこと。そんな中で自治意繊を育てる基盤 となるものは、「学校が楽しい」という現実と、何でも言える自由があるということ。 それがあってはじめて「自分たちの学校」という意識が持てる。 ■学校評議会に寄せて  最近の中教審答申では、中央から地方ヘ、地方から学校への権限委譲が謳われ、学 校評議会の設置も提言されている。しかし同時に「校長権限の強化」も強調されてお り、規制緩和が新たな中央集権化とセットになっている。ここには「学校自治」の理 念や権利としての「参加」の思想が欠落している。  欧米諸国では、この20年くらいの間に生徒や親の学校運営や教育行政への「参加」 が非常に進んでいる。校長の人事や教育予算、そういうところにも親や生徒が関わっ ている。あるいは、高校生が数育委員のメンバーになることも少なくない。  アメリカの場合、チャータースクールということが最近言われているが、有志が公 立学校を創れる。何ヶ年計画でこういう教育をしたいとプランを届け出て許可される と、きちっと予算が出る。  これは、自治の歴史の重みの違いというのか、日本ではこういう「学校自治」の経 験が私立学校を除くとほとんどない。今、公立学校にそういうシステムが導入できる かどうか問われている。  現代は、教育行政のあり方、学校のあり方、教育観、あるいは生徒をどう見るかと いう大事な論点1つ1つが、従来の常識では立ちゆかなくなって揺れている。文部省 もいろんなことを言うが、あちこちで自己矛盾を起こしているのが現状だろう。親と してもしっかり勉強して、「学校自治」や「参加」のあり方について、生徒や教職員 と共に考えていく必要があるだろう。
(Web管理者記)
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