「日の丸・君が代」法制化の

学校現場への影響について


発行者:所高生の自由と教育を考える委員会

発行日:1999年10月2日(土)


(Web管理者記)
 本資料は、1999年10月2日(土)に行われた学習会の資料です。

「日の丸・君が代」法制化の学校現場への影響について            「所高生の自由と教育を考える委員会」学習会 1999.10.2 1.「国旗・国歌」問題とは何か  (1) 2つの機能……他国との「識別」+自国民の「統合」    国旗:識別機能が主、統合機能は従 →戦時中には、統合機能を大いに発揮。    国歌:統合機能が主、識別機能は従 →統合理念が問題:天皇制  (2) 日本の「国旗・国歌」問題の特殊性    ・「国旗」そのものが不確定……「日章旗」と「旭日旗」、規格の不統一    ・「国旗」の序列の低さ…………連隊軍旗・軍艦旗・国旗の順。    ・1931年「大日本帝国国旗法案」審議未了・廃案の背景                            ……国家と天皇との関係。     国体論(西欧的意味での国民国家とは異質)に従えば日本国家を象徴するも     のは天皇以外にあり得ない。「忠君愛国」のジレンマ(cf.天皇機関説事件)。     cf.古関彰一「国家の表象」(P28)                   ……国璽・国章の存在(明治憲法理念の経承)      「なぜ慣行でしかありえなかったか」:あえて結論を出さないという知恵。  (3) 「法制化」の意味    ・浮上のきっかけ……広島世羅高校長自殺    ・従来、学習指導要領にのみ「日の丸・君が代」指導の根拠を求めていたが、     「法的根拠がない」という反対論に対し成文法の根拠を与え、これを封じる     ねらい。     cf.古関論文……国民との直接の権利義務関係を持たないはずの象徴天皇制      (非攻治的・精神的関係)を変質させ(政治的関係へ)、拒否するものを      あぶり出し拒否しにくくさせる秩序意識の形成。     cf.「法」とは、もともと強制カを持つもの。「法制化するが強制しない」      は論理矛盾。あえて尊重義務規定をはずしたのは、憲法の思想信条の自由      との矛盾を自覚しつつこれを隠蔽するため。建て前と本音。強制規定を主      張する勢力の存在。      →国民生活への影響は必至。p38,41,50,51    ・なぜ、「教育」の場でとりわけ問題になるか。      日本では明治以来、国民統合の手段として「教育」が最大限に利用されて      きた。      欧米のキリスト教のような宗教的土壌がないため、人為的に創作した天皇      制教育をテコにしてきた。そうした“伝統”の上に、現在は憲法や教育基      本法という戦後日本屋台骨を変えようとするところまで来た。「(教育基      本法には)愛国心教育、日本の歴史・伝統の尊重や道徳教育の規定がない」     →教育基本法第1条に「国家・社会に有為な人材あ育成」を加味? p50 2.学校現場への影響と論点  (1) 掲揚・斉唱実施率調査、四点指導(p36)による教員処分    ・儀式的行事の形式化・形骸化……「形」優先、質を問わない形式主義。    ・官僚統制の手段としての威力……「教育」の論理ではなく、役人の業績手段。                                     p47     ちょうど偏差値が「何のためにどう学ぶか」に関わりなく一人歩きしたよう     に、とにかく「実施率を上げたい」衝動を生む(業績をテコとした企業の労     務管理と同じ)。    ・このような規定の詳細化や数値の一人歩きは、それからの逸脱をチェックす     るのに有効。同時に「教育」を無内容化していく。“業績”を挙げたものに     はご褒美を(出世)、抵抗するものには処分を。  (2) 国旗・国歌の「指導」とは何か    ・日の丸掲揚、君が代斉唱の完全実施    ・卒業式、入学式に限らず、始業式、終業式、運勤会、学芸会、国語・音楽・     歴史等の教科教育や総合的学習などにも具体化。p13、37、38    ・野中官房長官「入学式や卒業式で掲揚、斉唱するだけでなく、国旗をめぐる     歴史上の問題、君が代の由来などを正確に教育の場で教えていくことが大事     だ」p12、38    ※「教育」の論理からすれば、野中氏の言うようにきちんと「理解・納得」さ     せた上で実施するのが筋。しかしどのような「理解」を想定しているのか。     しっかりと歴史的経過を教えれぱ“逆効果”もありえる。それを許容するか。     「理解」内容まで統一するのか。それとも説明抜きで押し切るのか。     「指導」の内実が問われる。  (3) 「強制」をめぐる問題   (児童生徒に対して)    ・前提として、学習指導要領は校長・教員は拘束しても生徒を拘束するもので     はないという文部省解釈がある。P34朝日新聞「Q&A」    ・強制に当たるものとして、「長時間にわたって指導を繰り返すなど心理的苦     痛を与えるもの」「口をこじ開けてまで教える」などを例示。p10、38    ・生徒の内心の自由は侵さない。「一定の限度を超えて無埋強いし、判断や考     え方まで踏み込むと(内心の自由の問題に)かかわるが、ていねいに教師が     指導するのは許される」。それにより内申書に反映させたりするような不利     益を受けることはない(辻村初中局長)。p10、42          ↓     a.こうは言っているが、高松市教育長の「君が代を歌わない自由はない」      (p45)。和歌山県教委の「ある程度の強制を伴わない指導はない」発      言(p40)に見られるように、文部省の言葉通りに事が運ぶ保障はない。      高松市教育長は「初めから、歌わない自由もあるというのでは、君が代斉      唱の指導を定めた学習指導要領の実現を目指せない」と本音を言明。つま      り、文部省が本当に生徒の内心の自由を侵さないというのであれば、指導      に際しては「起立斉唱しない自由がある」ことをはっきりと明示すべきで      あり、そうしないかぎり高松市教育長の論理は生き続ける。             →p38「天声人語」・・・・起立斉唱をめぐるしんどさ     b.他方で、教師に対しては事実上の強制を言明している。教師に内心の自      由が保障されずに、どうして生徒に保障されるのか。指導に従わない生徒      が現れた場合、教師は「指導責任」を問われるわけで、それを避けようと      すれば教師は生徒に強制せざるを得ない。教師に評価権を握られた生徒に      とっても、教師の指導を拒否することは難しい。「教師と生徒は扱いが別      の論埋は成り立たない。p25,39     c.文部省の前提として、国旗・国歌の指導は教育の基礎・基本だという学      習指導要領の論理がある。「国民に定着」論もある。群馬県教委の「子供      が歌いたくないというのは、掛算覚えるのが嫌だというようなもの」(p      40)という論理も同じ。果たしてそうか? この問題が思想・信条の問      題であると認識するか、しないかの違いが決定的。     d.もう一つの前提が「国際化社会にふさわしい教育」論。日の丸・君が代      の指導がなぜ「国際化」なのか。言われていることは、国際的な場での国      旗・国家へのマナーの必要ぐらいで、説得カに欠ける。端的には「愛国心      の養成」「日本人としての自覚」がねらいであろう。ナショナリズムの新      たな台頭といってもいい。しかし、強制的指導によってそれらが果たされ      ることはありえない。   (教員に対して)    ・「国旗・国歌の指導に矛盾を感じ、思想・良心の自由を珪由に指導を拒否す     ることまでは保障されない。公務員の身分を持つ以上、適切に職務を執行す     る必要がある」(矢野文部省教育助成局長、p10、38)、「従わない場     合は、地方公務員法に基づき懲戒処分を行うことができる」(同、p10、     21)、「教員は内心の自由以前に教育公務員としての行動が求められる」     (滋賀県教委、p40)    ・「思想・良心の自由は内面にとどまる限りは保障されるが、外部行為として     表れる場合には一定の制約を受ける」(有馬文相、p13、38)    ・「法律に従って教育活動を行い、あるいは学習指導要領に基づいて授業を行     うことが、内心の自由を侵すことにはならないと考える。また、教師が卒業     式や入学式の式場で、国歌を歌わなかったからといって、それだけで処分の     対象になるとは考えられないが、国歌斉唱時に起立しなかった場合などは、     式場全体の調和を教師として乱すことになり、職務上の義務違反を問われて     も仕方ない」(御手洗文部省初中局長、p42)     a.憲法上の規定である思想・良心の自由と、その下位法である地方公務員      法その他の法令とを同列(ないしは逆転)においた議論。前者は無条件に      保障されるべきものであり、後者においてそれに反する規定や運用を行う      ことはできない。       それを可能だとする法理論として、かつては特別権カ関係論が援用され      たが、今日では全く通用しないもの(国内外においても、学界において      も)。しかし現実には官僚の世界においてはこれが生き続けており、日本      社会の順応主義・権威主義・物神主義といった精神風土と共鳴しあってい      る(p18、朝日新間社説)。     b.有馬文相の論理は奇怪きわまりないもの。思想・良心・内心の自由とは、      単に「心の中で思う」だけでなく、それを外部行為として表現したり、し      なかったりする自由を含むもの。例えば、斉唱や起立を強制することによ      り、「する」人と「しない」人が明瞭に判別されるような状況に追い込む      ことは、内心の自由をあえて外的行為として表明しない自由(沈黙の自由)      を奪うことになる。異質なものを摘発しあぶり出そうとする同調脅迫・異      端摘発的な空間においては、「沈黙の自由」は内心の自由を守る上で不可      欠である。法制化のポイントは、掲揚・斉唱を拒否する抵抗者の摘発・処      分にあると指摘される所以(「踏み絵」効果。p30)。       御手洗初中局長の議論は、これらの論点が混在している。斉唱しなくて      もいいが、起立しないのは処分対象になるというのは、混乱の極み。     c.法案審議過程で、野中官房長官は、反対する教員に対して「考えを変え      ていただかなくてはならない」と発言し、議員の追求によってこれを撤回      するという一幕があった(p12)。おもわず本音がでてしまったか。
(Web管理者記)
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