一年学年部だより
― 1998年度 No1 ―
発行:一年学年部会
発行日:1998年6月22日(月)
一年学年部だより
1998.6.22 所沢高校PTA一年学年部会
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6月5日体育祭の後、一年学年部会が開かれました。その報告をします。
今年は入学前からいろいろマスコミからの情報が飛び交ったり、校長先生から手紙
が届いたりと、不安を感じながら入学式を迎えた方が多いと思います。部会では、ど
のような経過から2つの入学式になったかを含めて、できるだけきちんと実際の所高
のことを知ることが大切なのではという意見が多く出ました。そこで、これまでの経
過の簡単な説明と、生徒達の発言・作文・手記などをお配りすることになりました。
みなさんの理解が深まればと思います。
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従来から所沢高校では、3年担任団と3年生による卒業準備委員会が卒業式の原案
を作っていました。つまり、生徒の意向が卒業式に反映されるシステムになっていま
した。また、式に日の丸・君が代はありませんでした。
一昨年(96年度)の卒業式に関しても卒業準備委員会がアンケートやクラス討議
を経るなどしてみんなの意向を把握するよう努めました。その結果例年通り日の丸・
君が代を強制しないで欲しいという結論になったのです。しかし、当時の栗田校長は
3学期の始業式で日の丸・君が代をすると話しました。これは、生徒の出した結論と
ちがうので、校長先生と話し合ったり、学習指導要領を勉強したり、反対署名を集め
たりして、自分たちの意志を尊重して欲しいと訴えました。その結果、卒業式は例年
通りとなりました。生徒達は自分たちの総意が受け入れられ、充実感を持って卒業で
きたことと思います。
ところが97年度の入学式では、生徒会が新しく赴任された内田校長に例年とちが
う式にする場合は前もって話し合いたいと申し入れていたにもかかわらず、充分な話
し合いのないまま、日の丸・君が代が持ち込まれました。生徒会の生徒達は、いまま
で先輩達が懸命に守ってきた所高のシステムが壊されてしまうのを黙って見ているわ
けにはいかなかったのでしょう、すぐ校長先生に抗議をしました。しかし、校長先生
達はそれを無視して強引に式を進めたため、新入生・保護者からも抗議の声が上がっ
たりして式は混乱しました。先生方により入学式はやり直されましたが、とても残念
な結果となりました。
その後生徒達は、入学式のことについて説明を求めるなど、校長先生と何回か話し
合いました。校長先生は「生徒は指導されるもの」(生徒の、なぜいままでの所高の
スタイルを無視したのか、の質問に対して)「今まで間違っていたことは私が正す」
「最終的には私が判断する」などと発言し、それを聞いた生徒達は、今まで話し合い
を大切にしてきた所高のシステムが無視されるのではとの危機感を持ちました。卒業
準備委員会が三年生を対象に実施したアンケートにより内田校長の主張する卒業式に
約93%の生徒が反対だということがわかりました。準備委員会は生徒の意見と校長
先生の意見が一致しないまま校長先生のやり方で式が推し進められると、卒業生を気
持ちよく送り出すことは難しいと考えました。
そこで、式だと学習指導要領に捕らわれるから意見が対立する、新しく卒業記念祭・
入学を祝う会という式に替わるものを自分たちの手で作れば卒業生(新入生)を気持
ちよく送り出す(迎える)ことができるのではとの案が議論の末、準備委員会によっ
て提案されました。式を必ず執り行わなければならないということは指導要領にも法
規にもありません。この案はクラス討議を経て生徒総会で承認されました。そして職
員会議でも承認されました。これを受けて卒業準備委員会・門出式準備委員会・生徒
総会・ホームルーム委員会で構成される四者会議により準備が着々と進められました。
ところが内田校長は2学期の終業式で「厳粛で清新な卒業式を行う」と一方的に宣
言したのです。三学期の始業式には、「校長先生の納得しがたい発言や行動に対し抗
議します」との抗議文が全校生徒により採択されました。また、3年生は「校長先生
の独断で卒業式を強制されることに反対します」との決議文を採択して、記念祭が校
長先生の協力のもとで行われるよう要請しました。しかし、校長先生は全く方針を変
えませんでした。その結果、本来卒業記念祭と入学を祝う会だけのはずが、2つの
『式』になってしまったのです。
この様な経過ですので、生徒達は校長の主張する式に出席することは所高の民主的
なシステムを否定することにつながると考えたようです。もともとあったのは記念祭
であって、報道されたように卒業式をボイコットしたのでは決してないのです。
入学を祝う会の時は、2つの「式」になってしまうと新入生に不安を与えてしまう、
果たしてどれだけ状況を理解してもらえるだろうかなど、生徒達はいろいろ心配しな
がらも、100名ものボランティアも準備に加わり、素晴らしい「祝う会」を成功さ
せました。「祝う会」のあと、アンケートをとったら、90%以上の新入生が「とて
も良かった」と答えたそうです。本当に心温まる会でしたね。
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所沢高校のことや今の状況を理解するには、生徒達の発言や書いた物が一番わかり
やすいのではと思いまして、それを同封しました。是非お読み下さい。
3月18日の入学説明会で私達に生徒の取り組んでいる「入学を祝う会」などにつ
いて説明してくださった竹永先生がそのことだけを理由に戒告処分を受けました。
とても残念です。その場に出席していた一年生保護者としてどうお考えでしょうか。
5月30日のPTA総会では処分撤回支援が決議されました。
6月26日(金)夜7時より所高会議室で「所高生の自由と教育を考える委員会」
の第一回会合があります。この会には理事でなくてもどなたでも参加できます。積極
的にこの様な会に参加して、保護者同士や先生方と話し合い、所高を理解し、所高の
教育について考えることも大切ではないでしょうか。
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5月23日 シンポジュウム(子どもの人権と体罰研究会)
での卒業生の発言から
『町村文部大臣は自由と野放図をはき違えていると発言したが、私達は民主的な手
続きを踏んでやってきた。どちらが民主的なのか。
私達は自由は?とか権利とは?とかから入っているわけではない。とにかく楽しい。
なぜ楽しいの?と考えると、自由だから。それではこの自由を守らなくてはならない、
となった。
教育を考えると、環境が大事。自分が何かをしている、させられる、押しつけられ
るのではない。そして自分の価値観を見つけていける。それが大切な事。管理は学校
にいる時だけの秩序、自分の中にまで身になるものではない。自分で思って、自分で
行動する。そういう環境が所高にあるかと考えるとある。それから先生との信頼関係
があると思った。先生はこう考えろではなく、考え方を教えてくれる。見守る姿勢を
取ってくれている。人間と人間との信頼関係。
縛られるものがないから自分で自分をコントロールするだけ。した事の責任は自分
に返ってくる。誰のせいにもできない。そんな環境があるから生徒が代々替わっても、
この校風が変わらないのだと思う。環境が人間を作っていく。
学校は何をするところか。人間としてどう生きるかを学んでいくところ。今の学校
は根本を教えないから、大蔵官僚なんかの問題が起きると思う。』
『記念祭を経験して、卒業にふさわしいものだったと思っている。ただの形式では
なくみんなで祝う、卒業生が主役という2点で。みんな記念祭を考えながら、自由っ
てなんだろうと考えられた。
3年間なにも考えて来なかったなと感じている。一般の高校生よりは生徒会とか身
近にあったけれど。卒業してそれに気づいた。
校長先生との話し合いを通して学んだことがある。校長先生は生徒は話し合う対象
ではないと言っている。でも校長先生や先生が情報を与えてそれを私達がどう思うか
ということで、人間としては対等だと思う。校長先生は生徒を人間として見ていない
と思う。校長先生にとっては、学校がまずあって、生徒・先生は付属品としてしか見
ていない。
校長先生は学習指導要領があるからとしか言わないけれど、学習指導要領は子ども
を育てるもののはず、学習指導要領を実施するために、生徒をその枠組みに入れるた
めではない。
所高は人間関係が豊かだった。楽しいというレベルが冗談を言っている楽しさとは
ちがう。所高は自分の言いたい事が言えて、相手の言いたい事を聞けて、ぶつかって
いく、きちんとした人間関係ができていた。つまらないのではなく、楽しいからこれ
を守っていこうと思っていくのだと思う。』
(メモをもとにしていますので、文章に不自然なところがありますが、ご理解下さい。)
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生徒の発言から
生徒会長のインタビュー記事から
(週刊金曜日 1998.6.5)
「生徒会主催ということは、自分たちで考え決めた事をやり遂げるわけですから、
生徒の自主・自立につながります。そして何よりも、お世話になった三年生を温かく
送り出したいという気持ちが一番の理由でした。」
「新入生に不安を与えないよう、なんとか祝う会で一本化できるように行動してき
ました。でも無理でした。卒業生とちがって新入生はこれまでの経緯を知らない分、
不安も大きかったと思います。とても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。」
「何割の生徒が『入学式』に出たとか、そういうことはあまり関係ないことです。
一人ひとりの新入生が自分で考えてくれたことがとても意味のあることだと思ってい
ます。最初は不安もあったけど、祝う会についてのアンケートで新入生の90%近く
の人がとても良かったと答えてくれたのは、これからの活動の自信につながっていま
す。校長先生とは話し合いを続けることで、わかりあえればと思う。まだ根本的な解
決にいたってませんからね。」
4月28日
「所高生の自由と教育を考える委員会」での発言から
新入生:もっと妥協する事はできなかったのか。会場には(日の丸を)入れないけど
外に出すとかして。
卒業生:こんな風に言い合っているより妥協した方がよいという意見もあった。でも
これは妥協してよい問題ではない。日の丸を揚げたいとか、揚げたくないと
かいう問題ではなく、そういうところもあったけれど、校長先生が私達の決
めたことを無視したということが問題だった。
卒業生:報道の中には日の丸反対にすり替えているのがあるが、私達は先輩が勝ち取っ
てきた自由を、校風を、守りたいという気持ちで動いてきた。日の丸を揚げ
たい人もいるが、公立高校では問題があると私は思う。
新入生:なんで日の丸がいけないのか。
卒業生:日の丸そのものではなく強制されるのがダメと言った。例えば、制服にしよ
うとしたら反対していくように。
卒業生:一つに強制されることに妥協したために、次から次にそのような状況が作り
出されていく可能性がある。この事は、小さなことだけど、一つ許したら、
ドンドン通さなくてはいけなくなるこもしれない。
新入生:それはわかるが、妥協しないと問題が解決されない。
卒業生:校長先生がもうちょっと私達と話し合ってくれたら、変わったと思う。
卒業生:もし日の丸を揚げたいのなら、校長先生が私達を納得させてくれたら変わっ
たと思うが、ただ指導要領にあるからやるとしか言わなかった。
卒業生:自由を守っていって下さいという声が多い。話し合うことは大事、でも私は
3年間良い生徒だったわけではない。何がすごいかというと、中学で縛られ
ていたことからほどかれて、それで感動した。体育祭を経験して周りから見
ればすごく盛り上がっていたと思う。そういうことがあったから、こんな事
があった時頑張れた。本当に楽しいこと保障するから、まず楽しんで欲しい。
(Web管理者記)
この「一年学年部だより(1998年度 No1)」の掲載が遅れてしまいました。m(__)m
遅くはなりましたが、中味が濃いので、読み応えがあったのではないかと思います。
「校長先生は生徒を人間として見ていないと思う。校長先生にとっては、学校がまず
あって、生徒・先生は付属品としてしか見ていない。」とは強烈ですが、皆様はどのよ
うに思われますか?
「報道の中には日の丸反対にすり替えているのがあるが」など自ら体験しただけに、
今後はマスコミ情報も注意が必要だということが分かったのではないでしょうか。
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