主催:埼玉・高校入試を考える会
高校の夢とロマンを語る
―所沢高校卒業記念祭をめぐって―
1998年5月10日
場所:埼玉教育会館/時刻:13:30〜16:30/参加者:約50名
レポート:入江輝之
プログラム
1.開会
2.「所沢高校卒業記念祭」関係
1)ビデオ視聴
2)所沢高校生の生徒の声
3)所沢高校教職員の声
4)質疑応答
5)高校在り方くぉめぐって意見交換
3.高校生へのアンケートのまとめと白書発表
4.「高校入学希望者の定員を確保する書名」
「内申書の事前公開を求める署名」への取り組み
5.各委員会の傍聴をめぐって
6.今年度の入試を振り返って
7.閉会
主催者より、高校の入試制度変更(推薦制度導入)に伴う問題点などを、高校のあ
るべき姿を確認しながら考えていきたいと、開会の挨拶があった。
引き続き、所沢高校の「卒業記念祭」のビデオ放映があり、各テレビ局の放映、及
び所高関係者が撮影したものを30分間視聴し、部分的ではあったが混乱とはちがっ
た所高の自由で自主的な生徒たちの動きがわかる内容だった。
所沢高校生としてパネラーをつとめてくれたのは、現役の3年生・97年度卒業生
及び96年度卒業生であった。それぞれ違った年齢であり、卒業記念祭の送る側・送
られる側、また96年度卒業生は「単位制導入白紙撤回」のときの生徒ということで、
組み合わせとしてもよかった。尚、3人とも生徒会の役員は経験していない。
現役の3年生の話から始まったが、彼女を含めた大多数の所高生はこのようにマス
コミ報道されるとは思ってもいなかったので、新聞を見てビックリしたと言っていた。
彼女の話は、97年度の入学式から始まったが、日の丸・君が代を実施されるとは
思ってもいなかったので、非常に驚き、自分たちの「権利・自由」がなくなってしま
うのではと思ったということだ。その後、校長とはHR、生徒総会で話し合ったが接
点がみつからなかったということで、それでも校長と歩み寄れたら一つの卒業式にし
たかったと言っている。結果的に歩み寄れず2つの式が行われたが、98年度の卒業
式は一つにしたいと話し合っているそうで、今度はチャンとした卒業式にしたいと頑
張っているということだった。
彼女が所高に来て感じたことは、生徒会の生徒だけではなく他の人も自分の意見を
持っていて、一人ひとりが自分の意見を言う場所があるということだったそうだ。中
学では、しめつけとかあり、自分の意見が言えなかったが、所高は一人ひとりを認め
合う高校だと話している。「校長の話もヤジとかはしないで、皆がチャンと聞いた」
と言っている。
彼女としては、98年度の入学式に新入生には出席して欲しくはなかったが、「入
学式に出ないで」とは一度も言っていないと発言していたが、このことは生徒会のビ
ラをみてもよく分かる。彼ら/彼女らはこのことに非常に神経をつかっている。何と
いっても、この日は県から20名もの人が来ており、逆に彼らは積極的に入学式場に
誘導していたとのことだ。(PTA会長の話では県職員は23名来ていたとのこと。)
続いて97年度卒業生の話だが、「校長は厳粛で清新な式でなければと言っている
が、私にとって卒業記念祭が厳粛で清新な式だった」と言っている。今までの卒業式
では、在校生の中には期末試験の勉強をしている人もいたようだが、今年は在校生も
温かく送ろうということで、式場の体育館に入ったとたんに感動してしまい、昨年ま
でとは全く違う卒業式になったと喜んでいた。
クラス毎に全員が壇上に上がり呼名されたわけだが、第1回なので各クラス別に話
し合ったので、それぞれの独自性がでたものになった。この各クラスで話し合うとい
う機会を通して、彼女はこのとき初めて所高の自由とかを考え直すことができたと言っ
ている。自由とかを考えて卒業を迎えることができ、本当に良かったと思っているそ
うだ。
ビデオ視聴の時、主催者の教諭がこんなに大きな声で校歌を歌う高校を知らないと
話したが、彼女は体育祭の応援合戦とかで大きな声で歌っているので、特別とは思っ
ていなかったと、また所高の校歌には自由という言葉が入っているので好きだと言っ
ている。それに卒業記念祭では、体育祭の想いとかがあって大きな声で歌ったという
ことだ。
自分たちで考え選択した卒業記念祭を経験してみて、校長は教育者にはむいていな
いのではと、また入学を祝う会のことを聞いて、新入生もしっかりした考えを持って
いるので、これからドンドン所高は良くなるなぁと思っているとのことだ。
最後に、96年度卒業生の話である。単位制のとき栗田前校長は県の方を向いてい
たのかも知れないが、それでも内田校長とは違って応接室で対応してくれたと評価し
ている。ただ、何かをする時は順番が大切で、今回もそうだが単位制のときも順番を
間違えたのが問題だったという指摘については、私もこの点が単位制導入問題では重
要だったと思っている。
単位制問題は94年11月頃から職員会議で問題化したそうだが、職員会議で導入
は困難だという結論がでたにもかかわらず、県に断りに行ったところが、引き受けて
帰ってきてしまったということから問題となったと話していた。
彼は、所高生としてはこ単位制の問題も日の丸・君が代の問題も同じで、強制する
というところが良くないと語った。また、1年のときHR委員で2年の時に引き続き
HR委員になったということだが、委員長を引き受ける人がいなくて結局HR委員長
になってしまった。そして、所高生として最初かと思うが、生徒会本部と提携して単
位制の署名に取り組み、校長を通じて県に提出するも、受け取り拒否という扱いをさ
れる。県教委の受け取り拒否であるが、前例が無いということで、それなら単位制だっ
て前例があるわけではなく同じだろうと憤慨したそうだ。95年の8月までに回答し
て欲しいという公開質問状をだしたが、学校内のことは校長が責任をもってやってい
るからと受け取ってもらえなかったということだ。そうのうち9月20日に単位制導
入中止の報道があり、私たちの意見表明権をどうしてくれるのかと、また生徒が出来
ることには限界があるのかと署名の受け取り拒否を含めて今でも残念に思っていて、
このときの署名は今でも生徒会室にあると言っている。
私も発言を求められたので、単位制のときの署名受け取り拒否で「生徒は修行中の
身である」というこの時の県教育局の発言と、今回の内田校長の「生徒は指導される
者」という発言を取り上げて、この考え方は変わっていないとの指摘した。この「生
徒は修行中の身である」という発言をした教育局の人は、現在は熊谷高校の校長だと
のことである。
新1年生の保護者の発言では、中学3年生のときに学校見学をして廻った子どもか
ら進学先を所高に決めたと報告を受けたそうで、理由を尋ねたところ「先輩がイキイ
キしている」ということだったとのことである。卒業記念祭についてはマスコミ報道
のボイコットという表現に疑問を持たなかったが、3月18日の入学説明会で生徒会
役員が説明した「卒業式は学校の正式な手続きを経た式ではないので、もともと存在
しないものです。だから出席しなかっただけで、それはボイコットとは違うと思いま
す」という発言により認識を新たにしたと話していた。また、この時の入学説明会で
新1学年団代表として説明した竹永教諭に戒告処分にも触れ、「『教職員、生徒は入
学を祝う会のみを行いたいと思っていますが、校長は入学式を行うと言っています。
現時点では校長とは考えが違っていますが、まだ時間がありますから、学年としては
混乱がないよう努力していきますので安心して下さい。』という発言があり、これで
事情がのみこめた。新入生保護者にとってこの発言は必要な情報だった。これがどう
して処分の理由になるのかわからない」と言っていた。
また、会場からの質問で、所高は自由かも知れないがダラシがないキタないと一部
マスコミで報道しているが本当はどうなのかという質問があった。また政党・組合の
支配などという報道もあるが、これについてはどうかという質問もでた。
これに対して所高生より、確かにキタないのは事実だが単に埃っぽいキタなさであ
り、無意味な落書きなどはないと答えていた。所高では掃除に関しても各自の自主的
な取り組みであり、普段でも気がついた人がゴミなどは片付けているそうだ。ゴミの
分別に関しても、ものすごくこだわって分別している人もいるということであり、普
段はこのようだが、大掃除の時は徹底してやるようで、卒業生からもカン潰し機など
が贈り物となっているとのことである。
「政党・組合の支配」といった質問に対しては、組合を感じさせない学校だとの回
答があった。(『毎日新聞』1998年4月15日[記者の目]を参照して下さい。)
戒告処分を受けた教諭が弁護団との打ち合わせの合間に出席し、生徒たちが1つ1
つ決めたことを、どのように大事にしていくかという、このことを大切にしているし、
今後も大切にしていくと発言された。
また、会場の藤田立教大学教授から「所高の問題は、2つの意味がある。その一つ
は日の丸・君が代の強制であり、もう一つは教職員・生徒・保護者の学校づくりに不
当な圧力をかけていることである」との指摘があった。また、日の丸・君が代につい
て、生徒自身はどのように議論しているのか知りたいという質問があった。
これに対しては、生徒会のオリエンテーションで「『日の丸・君が代』に関する決
議文」を取り上げていること、またLHRで日の丸・君が代について学習するが、こ
の学習は日の丸・君が代はどういうものかという内容で、国旗・国歌として認めるか
どうかは自分たちで判断するということであったと答えていた。実際に決議文を見た
のも覚えていないし、何もないと考えなかったかもしれないと96年の卒業生は答え
ている。また、憲法についても、一回も目にしていない人もいるだろうし、決議文に
ついても全員が考えていたかというとそうではないと思うと回答があった。
また、97年卒業生からは、日の丸・君が代に賛成か反対について決定するような
議論はしていないし、自分はこう思うという話はするがどちらが正しいかという議論
はしていないとも答えていた。但し、多数決で決める問題ではないので、一人でも反
対であれば決議は継続されるので、全員が日の丸・君が代に賛成になるまで継続され
るということも言っている。確かに、日の丸・君が代くらいやってもいいじゃないと
いう人もいるが、強制されるのがイヤという人もいるとのことだ。
この発言の後、藤田教授より「1989年に学習指導要領が出来た時、日本ペンク
ラブが表現の自由から日の丸・君が代の強制には反対という声明を出している」と、
所高の決議だけではないので頑張るようにとの所高への応援があった。
また、9年前に所沢高校から転勤し、今は同じ所沢市内の別の高校に勤務されてい
る教諭より、所高に勤務していたころの話があった。当時は生徒会もいいかげんな感
じがしたが生徒と教職員との協議会があり、生徒と教職員とが対等に話ができるとい
う楽しくて忘れられない学校だとの発言があった。また、委員会活動など当日に連絡
しても集まり、大掃除の時はピチッとやるというように、何かのときにはキチッとし
ていたと評価は高い。また、担任からのメッセージを生徒に渡していたが、ゴミ箱に
捨ててあるというようなことはなく、だからこそ書き続けたこととか、確かに浪人は
多いが、卒業してから伸びており、こういう学校は大事だと思いながら転勤したとい
うことも言われた。
川口の中学校の教諭からは、最近は自由とか自治ということに対して白い目でみる
風潮があり、なかなか取り組みができないとか、子どもを指導する対象としかみてい
ない教師が増えているとの発言があった。また、一部のマスコミの記事は本当じゃぁ
ないだろうとは思いながら読んでいるが、神戸事件から子どもに対する対応が変化し、
すぐ警察に連絡するようになり、今、警察に拘留されている子どもがいるということ
も話された。
同じ高校生からの発言として、川越高校の生徒会の生徒3名が参加していた。川越
高校と所沢高校とは交流があり、お互いに刺激を受けている状況にある。所沢高校の
「生徒会権利章典」より以前の1970年に川越高校には生徒憲章ができている。
川越高校では日の丸が実施されているという報告があったが、これについては式場
での実施ではなく校庭のポールとのこと、但し君が代に関しては開式の後に直ぐ起立
した状態で流しているということであった。
生徒会活動に関して、無関心な層がいるということについては川越高校も所沢高校
も同じで、どうせ生徒会活動なんてというシラケている人はいるという報告があった。
ただ、これについては、今関心を持っている人を大切にして取り組まないと、自分た
ちが疲れてしまったらおしまいだと所高の96年卒業生からの指摘があった。また、
97年卒業生からは、自分も無関心だったが3年になってから考えはじめたので、あ
きらめないで取り組んで欲しいとの発言があった。
埼玉・高校入試を考える会
設立趣意書
1992年の10月に、当時の竹内教育長の「偏差値を公立高校入試に使わせない」
という発言以来、埼玉では高校入試をめぐって様々な問題がおこり、受験生や親、中
学校や高校の教師の間で、混乱と疑心暗鬼が生まれ、教育的には様々な苦難を引き起
こしています。こうした問題の背景には、埼玉県教育委員会が父母や県民、現場の教
職員の声を全く無視して、一方的に制度を変えてしまうという姿勢があります。
いくつかの地域ではこの3年間地道な努力を重ね、それぞれの地域で父母や生徒、
教職員を対象とした学習会や懇談会が組織されてきました。また、埼玉県の教育委員
会に対しても直接要望書を提出したり、県の教育委員会に対して公開を求めたりして
きました。とりわけ入選協(埼玉県公立高等学校入学者選抜方法改善協議会)につい
ては92年度から3年10回にわたって傍聴要請を繰り返し、要望書も提出してきま
した。しかし、地域がバラバラで取り組んでいたのでは組織的な行動もできないし効
果もありません。
私たちは埼玉県の入試制度が、受験生や父母、県民の期待に応えるものになってい
くことを願い、ここに「埼玉・高校入試を考える会」(以下「入試を考える会」)を
設立するものです。
「入試を考える会」では埼玉県の高校入試をめぐって、情報の収集と提供及び交流、
県をはじめとした自治体への要請行動や政策提言、県内各地域の組織づくりを主な課
題として取り組んでいきます。受験生を抱えている父母や教職員のみならず、子ども
の豊かな発達を願う多くの人々がこの会に参加することを望みます。
1995年2月25日
「埼玉・高校入試を考える会」設立総会
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