jw.orgでは言及してませんが

エホバの証人が輸血をすると排斥になるのはなぜですか

よくある誤解  
                                                                
誤解:エホバの証人は血を避けるために輸血を拒否するのでしょうか                        血液成分

事実
エホバの証人は協会から教えられた聖書の教義を命がけで守ります。
だから血を避けますが少量なら許します。
また、自己血輸血を許しています。
赤血球・白血球は体の中に取り入れてはなりません。
その他の成分は少しだけなのでオールセーフです。   

 

誤解: なぜそれほどまでにエホバの証人は輸血を避けることにこだわるのですか

事実
エホバの証人の主張の根拠は信者の命を守るためです。
医学の知識をひけらかしながらも、血液製剤の危険性は隠します。
血液凝固第[(8)因子、第\(9)因子から造られる血液製剤の危険性を伝えていませんでした。
日本では痛ましい薬禍事件が起きましたが信者に警告を発してません。
なぜかというといったん血友病製剤を患者に許していたために取り消せなくなったのです。

誤解: なぜそれほどまでにエホバの証人は組織の命令に忠実になるのでしょうか

事実
カルト集団は自分たちの神権政府を創設します。オウム真理教を思い起こしてください。
エホバの証人の頂点には一ダースほどの数の成員から成る統治体があります。
その下にはニューヨークにある本部に属する編集部があります。
建前では本部で「油注がれた者」が執筆して出版物を発行しています。
それが立法機関に相当します。統治体の命令を守らせる行政官は日本支部やその下部の地域監督などです。
信者の非行を裁いている司法機関が審理委員会です。審理委員会は、 たとえ相手が元統治体成員であろうと
裁いた上で排斥にするほどの強大な権限を持っています。

誤解:輸血しても排斥されないのですね

事実
聖書は輸血しないようにと教えているのですから、忠実なエホバの証人は良心に基づいて個人的に輸血を拒否しました。
それが公式見解です。
被害者から訴えられた場合に備えて反論は用意しました。きちんと逃げ道を用意してあるのです。

誤解:血液は栄養物だから食物に当たるのですね

事実
赤血球は酸素を運搬する単細胞です。人格は持ちません。
栄養物ではありません。食物ではありません。いわば輸血は呼吸するためにするのです。
また犯罪者の血を輸血したからといって犯罪者の人格が注入されるはずはありません。遺伝子情報を持つ精子と比較しなさい。
それでも輸血されるとエホバの証人は「強姦された」と医師を訴えるように刷り込まれているので、裁判になるとエホバの証人は
教科書通り、「強姦された」と主張しました。

(注)上図は「目ざめよ!」誌1990/10/22号から

誤解:医療機関連絡委員は必ず無輸血手術を実施できる病院を紹介するのですね

事実
被害者集会の被害者報告によるとエホバの証人の妻が妊娠したときに外科手術が必要な病気に罹患したため連絡委員に
必要な病院を探してくれるように依頼しましたが該当の委員は探しませんでした。手術ができないうちに胎児は死亡しました。
出展:ものみの塔被害者全国集会第13回報告 http://www.jca.apc.org/jwhigai/13kai/yuketu .htm http://www.jca.apc.org/jwhigai/13kai/yuketu.htm

元医療機関連絡委員は組織を「信者を死に追いやった殺人組織」と呼んでいます。
ロゴスのJW倒壊ブログ  https://ameblo.jp/keita-minbe/entry-12770589382.htmlhttps://ameblo.jp/keita-minbe/entry-12770589382.html

ものみの塔協会 輸血解禁までのタッキング年表

年月日 引用元 内容 備考
1940.12.25 「慰め」誌
1940/12/25号
ニューヨーク市において一人の主婦が国境近くを移動していたとき、偶発的に連発ピストルで心臓を打たれるという事故が起こった。彼女は病院に担ぎ込まれ、左胸の手術を受けた。四本のあばら骨が切断され、心臓が取り出されて、三発の銃弾が摘出された。その緊急事態に居合わせた一人の医師は1クウォート(1.4リットル)の血液をその婦人の輸血のために与えた。今日、その婦人は生存し、彼女の生涯の中で最もあわただしかった23分間に起こったことを陽気に笑いながら話している。
原文は右のリンクをクリックしてご覧くださいconso.htm
「慰め」誌は先代の「目ざめよ!」
1944.12.1 "Watchtower"
1944/12/1号(英文)
ノアの子孫としてだけではなく、生命を支える血の神聖さに関わる永遠の契約 をイスラエルに与えた神の律法に縛られる者として、寄留者は、輸血であれ、口からであれ、血を食べたり、飲んだりすることを禁じられている。(創世記9:41、レビ記17:10-14) 輸血禁止の始まり
1958/8/1 "Watchtower"
1958/8/1号
(英文)
「読者からの質問」 「油注がれた人が自ら輸血を受けたが、主の記念式にあずかってもよいか」 「会衆は自ら輸血を受けた人、あるいは他の人が受けるのを認めた人について、排斥せよとの指示を受けていない。血の神聖さに関する神の法を破った人に対する裁きはエホバの至高な裁判にゆだねよう。……自らの意思で輸血を受けたから、あるいは愛する者が輸血することを認めたからということで排斥されるわけではないのだから、あなたはその人が主の記念式にあずかることを妨げる権利をもっていない」 輸血しても排斥しません
1958/9/15 "Watchtower"
1958/9/15(英文)
「読者からの質問」
「血を禁止している聖書の箇所はいつでも、食物として摂ることと関連している。したがって、栄養物となるものが禁止されているのである。……抗体を創造するために、血液の血清あるいは輸血によって血液の中に抗体を注入することは、体の活動力を生み出すための栄養物として血を食すること(それが口からであれ、輸血によってであれ)と同じではない。神は、ワクチン、血清、血液の凝固したものによって、人間の血液の流れを汚染しようなどと意図はお持ちではないが、そのようにすることは、食物として血を禁じた神のご意思の中には含まれていない」
血液成分の容認
1961/12/15 「ものみの塔」誌1961/12/15号 いまではこの研究はかなり進み、医者たちは全部の血と血漿―これはほとんど無色の液体で、血液細胞はそれで運ばれる―を使用するだけでなく、必要に応じて、血漿とは別の赤血球と、いろいろな血漿蛋白質を使用します。血をそのように医学的に使用するなら神の律法は破られますか。血あるいは血漿あるいは赤血球またはいろいろな血の成分を注入して生命を支えることは悪いことですか。そうです!  それが血の全部であろうと一部であろうと、その血が自分自身のからだから取られたものでも、他人のからだから取られたものであろうと、あるいは輸血として与えられようと、注射として与えられようと、神の律法は適用します。神は人間に血を与えました。しかし人間は他の物質を使用するのと同じように、その血を使用すべきではありません。神は血の神聖さに対する尊敬を要求します。 血液成分を全面禁止
1968/4/1 「ものみの塔」誌1968/4/1 病気あるいは欠陥の生じた器官が健康をとりもどすふつうの方法は、栄養分の摂取です。からだは食べた食物を使ってその器官を直し、あるいはいやし、徐々にからだの細胞を更新します。この自然の働きがもはや用をなしていないと判断され、器官を切除して他の人の器官を移植することを医師がすすめるのは、健康回復の近道をとっているにすぎません。この種の手術を受ける人は他の人の肉によって生きることになり、それは人食い的です。エホバは人間が動物の肉を食べることをゆるされましたが、人の肉の場合それを食べるにしても、あるいは他の人からとられた器官あるいはからだの一部を移植するにしても、人食い的に人の肉を体内に取り入れて命を保たせる行為を許されませんでした。 臓器移植の禁止
1978/9/15 「ものみの塔」誌1978/9/15号   それでは、ジフテリア・破傷風・ビールス性肝炎・狂犬病・血友病・Rh因子不適合などの病気に対応するため、血清注射を受けるのはどうですか。これは『灰色の領域』に入るものと思われます。クリスチャンの中には、そのような目的で血液の誘導体を少量取り入れることは、神の律法に対する不敬の念の表れではないと考えます。そうした人々の良心はそのような治療を受けることを許します(ルカ6:1-6と比較してください)。しかし、他のクリスチャンは、血清には少量であるとはいえ血液が含まれているので、良心的に拒否せざるを得ないと感じます。 血液製剤の使用を許可
1980/6/15 「ものみの塔」誌1980/6/15号   今日の誠実なクリスチャンの中には、医学的に人体の一部を移植することを聖書ははっきりと非としていない、と考えている人もいるでしょう。……また、食物を供するために“提供者”が殺されるわけではないので、臓器の移植は人食いとは異なる、との論議も出されるでしょう。……明らかに、移植というこの問題に対する個人の見解や良心的な感じ方は様々です。人間の用に供するために人体の一部を使うことは、ホルモンや角膜などの小さな物から、腎臓や心臓など主要な臓器に至るまで多岐にわたっていることは良く知られています。聖書は特に血を食べること禁じてはいますが、他の人間の組織を受け入れることをはっきり禁じている聖書の命令はありません。……ある人が臓器の移植を受けたとしても、会衆の審理委員会は懲戒処置を取らないでしょう。 臓器移植禁止の解除
1995/8/1 「ものみの塔」誌1995/8/1号   そうした危険が存在するため、無輸血手術センターは、輸血に代わる治療法を用いています。その一つは患者自身の輸血を再注入する方法ですが、この技術を受け入れることについて、特定の状況のもとでは問題はないと判断する証人たちもいます。 自己血輸血を解禁
2000/6/14 『タイムス』誌2000/6/14号 『タイムス』誌は2000/6/14号でエホバの証人による輸血についてのUターンと題する記事を掲載した。
教団の指導者たちによる突然のUターンに従い、輸血を受け入れることが許されることになりそうである。
以下、詳細はこちら
協会は全面解禁を否定した
2014.年4月
出典なし
※根拠を強いて上げれば
新世界訳聖書 しかし、義なる者たちの道筋は、日が堅く立てられるまでいよいよ明るさを増していく輝く光のようだ(箴言4:18)
輸血しても排斥しなくなったと判明してから一年経過

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