付録J オリゲネースの『ヘキサプラ』
オリゲネースの『ヘキサプラ』(ヘブライ語聖書の70人訳の研究)は、それ自体クリスチャン・ギリシア語聖書のおけるテトラグラマトンの研究に用いられるテキスト文献には含まれない。にもかかわらず、ものみの塔がクリスチャン・ギリシア語聖書におけるテトラグラマトンの根拠として用いているのだから、彼の著作の評価をこの付録に含ませた。
『ヘキサプラ』の広範囲な性格の故に、オリゲネースの著作は、セプトゥアギンタの地位と一世紀と二世紀における関連したテキストの疑問に関する有意義な情報を与えてくれる。それを研究すると、クリスチャン聖書でのテトラグラマトンの使用について多くのことを学ぶことができる。
その人となりと『ヘキサプラ』
オリゲネースは卓越した古代の教父たちの一人であった。おそらく、182年頃にアレキサンドリアに生まれ、251年以前にカエザリアで亡くなった。
若い頃、父の努力で彼はできる限りの最善の博学な教育を授けられた。202年、父親は、クリスチャン信仰の故に殉教した。理想的に言えば、彼自身、ついには父の後を追うことを望んだ。しかし母親が干渉したために一命をとりとめた。オリゲネースは、若い頃、アレキサンドリアで貧者でありながら、尊敬を受けた聖書の教師として過ごした。それから後、パレスチナに移住し、大量の書物を著わし、それを教える生活に余命を費やした(六千以上の版を書いたといわれ、それぞれが完結したスクロールから成る)
その生涯を通して、オリゲネースは同種の研究にいくつかの修正を加えて セプトゥアギンタについて広範囲な著作を著わした。しかし、もっとも完璧だったのは、ヘブライ語聖書の平行する三つの訳文を含んでいるセプトゥアギンタを比較している『ヘキサプラ』である。その著作は、六つの欄から成る(『ヘキサプラ』の名は、六を意味するhex に因む)。欄は次のものから成る。第一欄で(ヘブライの見出しがある)オリゲネースは、ヘブライ語聖書に現れるヘブライ文字で聖句を書いた。この欄は右から左に書かれた。第二欄(ギリシア文字のヘブライ語と訳される見出しの略、”Εβρ”の見出しがある)では、ヘブライ語がギリシア語に逐語訳された。第二欄はギリシア語の書き言葉としては、何の意味もないが、その文字はヘブライ語ことばの発音を再現するために読まれたのだろう(オリゲネースの時代には、ヘブライ語の書きことばには、母音記号がなかったから、ヘブライ語を流暢に話す者だけが適切な発音で文字を読めた。そしてギリシア語逐語訳の欄は、ヘブライ文字を読む異邦人のために母音の発音を加えた)。この欄は、ギリシア語が普通、そうであるように左から右に読む。残りの四つの欄で、オリゲネースはヘブライ語聖書の四つのギリシア語訳を再現した。アキュアが訳した一番目の訳は、”A”の見出しの欄にある。シムナシウスが訳した二番目の訳は、”Σ”の見出しの欄にある。三番目の欄はセプトゥアギンタで、”Ο”の見出しの欄にある。四番目の欄はテオドシウスの訳であり、”Θ”の見出しの欄にある。最後の欄は、正確な欄としては数えられないが、それは結局、訳文の一つに関する異文、あるいは注記として用いられた。表11は、活字体による『ヘキサプラ』原文の実際に組まれたものの複製である。各列は、ヘブライ語聖書テキスト全体の逐語訳を表現していることに注意せよ。『ヘキサプラ』の原文は、各々が福音書や使徒行伝の紙幅に相当する長さのスクロール形式であり、五十巻近くから構成されていたと考えられる。
表11 オリゲネースの『ヘキサプラ』 詩篇25:6と7の各欄の構成
三つの補足的な訳文は、それぞれ、唯一の翻訳形式を示していた。アキュアの翻訳(二世紀の前半に書かれた)は、極めて字義的である。シムマカスの翻訳(二世紀の後半に書かれた)は、よりいっそう自由な形式である。テオドシウスの作品(これも二世紀に書かれた)は、セプトゥアギンタの自由な形式の校訂版であった。
『ヘキサプラ』は、オリゲネースの生涯を飾る著作であったが、その滅失については何も知られていない。原本は、かつて作られたたった一つの完全な写しだけだったらしい。エウセビオスらの書物によると、原文は永年、カエザリアの図書館に保存されていたが、653年、カエザリアがサラセン帝国(アラブ)によって焼かれたとき、それが消失させられたらしいことが知られている。
『ヘキサプラ』が滅失を免れたら、ヘブライ語聖書の正文批判の分野における価値は絶大であったであろう。オリゲネースは厳しい研究者であり、広くヘブライ語文の伝搬を研究した。しかし、彼の注意の的は、ヘブライ語テキスト自体ではなかったことを忘れてはならない。彼の主要な関心事は、セプトゥアギンタのテキストの正確な再構築であった。その目的は、当時のギリシア語圏内にもっとも忠実なヘブライ語聖書訳文を伝えることであった。
再構築された『ヘキサプラ』
『ヘキサプラ』原文は、ことごとく消滅している。加えて、それがカエザリアの図書館にまだ存在していたとき、全体を複製されることはまったくなかったらしい。全部の写しは現存しない。しかし『ヘキサプラ』は、滅失する前、他人がたいそう広い範囲にわたって引用したから、重要な部分(断片的だが)は、古代の教父の書物を通して散見される。幸いにも、エウセビオスやパンフィラスが作った修正されたセプトゥアギンタ欄の写しは滅失を免れた。
『ヘキサプラ』は、セプトゥアギンタやヘブライ語とギリシア語の双方によるその他のヘブライ語聖書文献に重要な洞察を差し出すのであるから、『ヘキサプラ』を引用している古代教父の書物の研究によって著作を再構築する試みがなされてきた。
今日、入手可能な『ヘキサプラ』のもっとも完全な再構築は、フレデリカス・フィールドによるラテン語の歴史的注釈とテキストの注釈を添えて出版された『オリゲネースの「ヘキサプラ」』と題する書物に含まれている。初め、フィールドが1867年から74年にかけて出版した。私たちが入手できる版は、1964年、ドイツのヒルデスハイムでゲオルグ・オルムス・ベルラグスベクハンドランによって再出版された。再構築された資料は、膨大であったから、この特別な版は、二欄に分けられ、各巻、8.5インチから11インチの大きさの頁、二巻に綴じられている。テキストそのものと批判的な道具立て(編集者が書いた紹介の注釈と歴史学的な注記を別にして)は、一巻目が806頁、二巻目が1095頁である。
オリゲネースの用いた本来の六欄とは対照的に、フィールドは、オリゲネースの原書の欄の見出しによって識別される項目ごとに、一つの段落の中に書かれていた語や句についての記述をすべて括った。オリゲネースの『ヘキサプラ』に示されたマラキ書2:13の記述全体は、図12に再現されている。ヘブライ語とギリシア語の記述は、すべてオリゲネース自身の著作の複製である。主要な記述や注記にあるラテン語の説明は、この巻を編集した近代の編集者の手による。ギリシア語やシリア語の注記は、おそらく編集者のテキストの情報であると区別するテキストの道具立てだろう。
表12オリゲネースの『ヘキサプラ』の再構築によって再現されたマラキ2:13の記述の全体。オリゲネースの記述したπιπιは円で囲ってある。見出しは六角の箱で囲ってある。
注釈は、『ヘキサプラ』の不完全な性質に関係しているはずであり、それがテトラグラマトンの研究に影響する。図12を注意して見ると、13節は完全にあるけれども、14節の記述がないことに気がつくだろう。14節はまったく失われており、15節の記述は一部の節があるだけだ。マラキの最後の二つの節(16節と17節)も失われている。4章は、1、3、5節のヘブライ語の記述があるだけだ。2節について二つの語の記述は残っている。8節は完璧さを保っているが6節、7節は全て失われた。しかし、ある節が完璧に残されていても、すべての資料が現存しているのではない。たとえば第3章第1節の一つの語の記述に対しては、アキュア、シムマカス、テオドシウスの訳文のほかに、セプトゥアギンタのデータも書かれている。しかし第3節の一つの語の記述には、セプトゥアギンタの資料があるだけだ(オリゲネース自身が書いた批判的な注記があるけれども)。
入手可能な『ヘキサプラ』資料
初め、『ヘキサプラ』テキストの研究については、初めはフィールドの『オリゲネースの「ヘキサプラ」』を使って行なわれた。しかし、それは『ヘキサプラ』での神の名の研究にとっては批判的になる欠点を有している。見かけ上、フィールドは、第二欄から第六欄でKyrios (κυριοσ)だけを用いていた古代写本を扱っていた(『ヘキサプラ』から写した記述は第13章で発見したものと同じ影響を受けていたようだ)。『オリゲネースの「ヘキサプラ」』においては、へブライ語欄を除けば、いずれの欄においてもテトラグラマトンを使ってはいない。手始めの研究において、オリゲネースは、第一欄以外ではを使わなかったとする間違った印象を持たされた。
しかし、もっと詳しい研究によると、最近、オリゲネースの元来の『ヘキサプラ』にテトラグラマトンが書かれているとする現存している写本へ言及しているものが見つかっている。アンブロシアナ重ね書き用羊皮紙(ギオバンニ・メルカッティが識別した写本)は、『ヘキサプラ』の原形に新しい洞察を加えており、それは1958年に出版された。
1894年、メルカッティはミラノのアンブロシア図書館に保存されていた13世紀、14世紀のギリシア正教会の奉仕の書を研究していた。それは重ね書き用羊皮紙(消去された以前の古い書を意味する)であり、典礼のテキストは、ぼんやり見える古い写本の上に書かれていた。メルカッティによって、オリゲネースの『ヘキサプラ』のもっとも古い標本が聖書の研究に付け加えられた。写本自体は、9世紀、10世紀以降のものだが、それよりも古い時代の様式の忠実な写しであった。写本には、詩篇から約150の聖句が含まれていたが、オリゲネースの本来の逐語編集に系統立てられ、テトラグラマトンが六つの欄のすべてに使われていたことは注目に値する(表11に詩篇27(28):6−7の複製の一部を示す)。
この文書から、オリゲネースが『ヘキサプラ』のすべての欄においてテトラグラマトンを用いたことが完全に立証される。さらに、それは古ヘブライ文字よりもむしろ四角いヘブライ語文字が使われたことが分かる。重ね書きされた文章であるから、マルカッチの原文の頁の写真版の複写は、たいてい判読が難しい。しかし、空白が配置されるから(そこには何も書かれていない)、『ヘキサプラ』の五つの欄は二つの頁に渡り、はっきりと識別可能である(原文の一つの頁にある五つの欄は、後になって作られたテキストの見開きの頁二頁分を占めた)。第6節は、頁の最上部にあり、いくつかの欄の見出しには、はっきりとが写っている。それらの適切な空白には、第7節の の見出しが二度現れる(第7節は不注意から二度、写されたの見出しは両方の箇所に出現する)。このプレート(図11が選ばれた元)は、原来の記述だから、ヘブライ語文字の綿密な情報を示している。ヘブライ語文字を写している写字生は、ヘブライ語文字に慣れていたことがはっきりしている。文字は適切に形作られ、ΠΙΠΙ(PIPI)が書いてある粗雑な写筆で発見されるような粗末な表現ではない。
『ギリシア語聖書の写本』の108頁でメツガーはこう、言っている。
元々は横約15と3/8インチ、縦約11インチの長さであり、9世紀または10世紀に手で書かれ、上書きされた『ヘキサプラ』の約150の詩篇の聖句を書いていた重ね書き用羊皮紙を(この写真版の複写が示していた)。13世紀または14世紀に冊子本はばらばらにされ、羊皮紙は、ほかの用途に使われた。断片は(部分的に)削除され、半分に切り取られ、各々の半分は新しい冊子本、4頁の大きさにされた。プレート(この本に再現されている)は、そうした断片(正式には二頁の冊子本の上半分)であり、五つの欄には、詩篇27(28):6−7のヘブライ語文の逐語訳とアキュアとシムマカスの訳文、70人訳(セプトゥアギンタ)とクィンタ(テオドシウスを予想していた代わりに)の翻訳が書かかてある重ね書きされた下書きが示されている。ヘブライ語テキストが書かれている『ヘキサプラ』の第一欄は、‥‥‥欠落している。
第7節は、誤って反復されている。後に書くイオータが(二つの別の行に)出現する。アクセントと息つきの印がヘブライ語文の逐語訳にさえも書かれている。セプトゥアギンタの欄にはテトラグラマトンが四角いヘブライ語で書かれ、Kyriosの短縮形が続いている(次の頁の第8節でははΠΙΠΙに続いている)。
ものみの塔による『ヘキサプラ』の表現
これを背景として、その文献の中でクリスチャン・ギリシア聖書におけるテトラグラマトンについて、ものみの塔が『ヘキサプラ』をどう扱っているか振り返って見ることができる。『聖書全体は神の霊感を受けたもので、有益です』の310頁で筆記者はこう述べている。
西暦245年ごろに完成した、オリゲネース編さんによる6欄の「ヘキサプラ」のセプトゥアギンタ訳の箇所にも神の名がテトラグラマトンの形で出ているのは興味深い事柄です。詩篇2編2節に関する注解の中でオリゲネスは、セプトゥアギンタ訳についてこう書きました。「最も正確な写本には、み名がヘブライ語文字で書かれている。しかし、それは現代のヘブライ語(文字)ではなく、最も古いヘブライ語文字によってである」。証拠によれば、セプトゥアギンタ訳には四文字語の代わりにキュリオス(主)やセオス(神)という語が用いられて、早い時期に不正な変更が加えられたことは疑問の余地がないようです。
『ヘキサプラ』についての最新の写本の情報を評価する際、オリゲネースがを用いたことは、十分、立証されるとものみの塔は主張する。今日では、私たちは注意深く、重ね書き羊皮紙の写本を研究できるし、オリゲネースが神の名を用いた詩篇の箇所をどのように扱ったかを正確に確定できる。
私たちは、保管の行き届いた神学の図書館でメルカッチの『Psalterii Hexapli Reliquiae 』の写しを突き止められた。この大判の書は、重ね書き用羊皮紙写本の全巻を写真撮影して複製している。本来の写本の頁は、左側の頁に二つ、あるいは四つの束にグループ分けされている。これら古代写本の頁にあるヘキサプラの完全なテキストは、表から見て右側に活字組みされている(写真だけでも40頁以上ある)。活字組みされたテキストから、ヘブライ語欄にが占められている各例において、オリゲネースの完全な六つの記述を再現した。その結果は、表10に上げている情報となる。今日確定できる限りにおいて、これはそれら聖句に対するオリゲネースの本来の記述の正確な複製である。
表11:重ね書き用羊皮紙O 39 Sup写本の詩篇の部における神の名についてのオリゲネースの記述
参照 | (1) | (2) | (3) | (4) | (5) | (6) |
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詩篇 17: |
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6 | ||||||
7a | ||||||
7b | ||||||
8 | πιπι | |||||
29 | Φ | Φ | Φ | Φ | Φ | |
31 | Φ | |||||
32 | Φ | |||||
42 | <> | |||||
47 | ||||||
詩篇28 | ||||||
:1 | ||||||
1 | ||||||
2 | <> | |||||
2 | ||||||
3 | ||||||
3 | ||||||
詩篇29 | ||||||
:2 | ||||||
3 | ||||||
5 | λ | |||||
8 | ||||||
9 | ||||||
11 | ||||||
11 | ||||||
13 | ||||||
詩篇30 | ||||||
2 | ||||||
6 | ||||||
7 | ||||||
10 | ||||||
22 | ||||||
24 | εθ | |||||
24 | ||||||
25 | ||||||
詩篇31 | ||||||
11 | ||||||
詩篇34 | ||||||
1 | ||||||
22 | ||||||
24 | ||||||
27 | ||||||
詩篇35: | ||||||
1 | ||||||
詩篇45 | ||||||
:8 | ||||||
12 | ||||||
詩篇 88 |
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50 | <><> |
Φ | ||||
52 | ||||||
53 |
今ではオリゲネースが各欄でどのように記述したかを正確に理解できる。詩篇からの聖句に基づいて次のような意見を下せる。
1.期待したように、神の名が出現する例において、ヘブライ語欄にテトラグラマトンが四角いヘブライ文字で書かれていた。
2.さらに詩篇17:29の不完全なテキストを唯一の例外にすれば、オリゲネースはギリシア語逐語欄でテトラグラマトンを用いた(第二欄がギリシア文字で書かれたことが一層はっきりしている表11を参照せよ。ヘブライ文字のテトラグラマトンは例外であった)。
3.オリゲネースが第三欄(アキアの翻訳)、第四欄(シムマカスの翻訳)、第六欄(テオドシウス(またはクインタ)の翻訳)のギリシア語テキストの中でを表記していたことを発見する。オリゲネースがテトラグラマトンを含ませていた特別な場合のギリシア語の綴りが見つかるけれども、それらは単なるthe や、前置詞や、詩篇45と88の記述にあるような神の名の苦労の末の作であることが分かる。
4.しかしながら、セプトゥアギンタの欄に向かうと、予期していなかった発見をする。詩篇17:29に限っては、オリゲネースは、神の名をと記した。しかし、加えて、彼は代用語、,,,をも用いた。それらはKyrios()の短縮形である。オリゲネースは、セプトゥアギンタにおける神の名に対する交代する読み方として"Lord"を区別していた(シムマカスの28:1も、アキアの詩篇29:13も、テオドシウスの詩篇30:6も、同じ記載をしている)。
5.しかし、もっと驚くことは、詩篇17:8のセプトゥアギンタ欄のオリゲネースの記載である。この聖句で彼はテトラグラマトンをや、ギリシア語形やπιπιを用いて記録した。
6.最後に詩篇28:1において、オリゲネースがセプトゥアギンタについて記した期待はずれの別な変化形があるのに気がつく。彼は、初め、私たちが期待するように、 と記した("The Jehovah" を意味する記述を含ませた)。そして、"God" を意味する代替えの様式(Theos に因む)を用いている変更している語、υιοι ενεγκατεを記した。それは私たちを驚かせるに足るこの聖句についての最後の変更された読み方である。彼は短縮形、やを用いた。初めの文字の組み合わせは、 に対するギリシア語による代用語である。二番目の記載は、Kyrios()に対するギリシア語による代用語である。そしてオリゲネースは、この聖句でのセプトゥアギンタのための最後の読み代えのことばのように、"Lord God"に対するギリシア語の代用語を使用した。
詩篇17:8でのややπιπι、あるいは詩篇28:1でのや、υιοι ενεγκατεや、、と複数の記載がされているが、どんな意味があるのだろうか。オリゲネースは厳格な分析家であった。従って、彼はセプトゥアギンタやほかの多数のヘブライ語聖書のギリシア語訳の写しを見ていた。彼が用いていた翻訳の写しの間に一致が見られたとき、ただ一つの記載をした。同じ箇所の翻訳の写しの間に違いがあれば、複数の記載をした。そして詩篇17:8では、オリゲネースがヘブライ語文字でと書かれたテトラグラマトンを用いたセプトゥアギンタの写しを参照していたと推定できる。しかし、同一の聖句に対し、彼はを用いていた最低、一冊のセプトゥアギンタの写しのほかに、πιπιを用いた別なセプトゥアギンタの写しも所有していた。めったにないことだが、詩篇29:13のアキュアの訳や、詩篇17:42と30:6のテオドシウスの訳にも同じ様式がうかがえる。
付録の終わりには、この発見の重要性に戻るつもりだ。しかし、これだけははっきりしている。オリゲネースは、異形Kyrios を修正しようとはしなかった。ヘブライ語聖書の中で書き込まれたであろうの唯一の適切な神の名の形式として を認めなかった。彼はテトラグラマトンについて参照していただろう(詩篇29:13におけるアキュアの欄のや の順序には興味がわくけれども)。しかし、彼はKyrios を使うことや、その短縮形の使用を妨げなかった。それを用いることは不適切だと、注釈を加えてはいない(オリゲネースがテキスト上の間違いを見つけたとする批判的な注記を使ったことを忘れてはならない。その目的のために『ヘキサプラ』全文の中では※の印を目立てて使った。しかし、ここではそれを用いていない)。
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