本の紹介

「帝国を壊すために」・・戦争と正義をめぐるエッセイ

アルンダティ・ロイ著 本橋哲也訳
岩波新書  2003年9月発行


 この本は、インド人女性作家 アルンダティ・ロイによるポリティカルエッセイで、9.11 以後の米国の所業を、徹底的に批判し、アフガニスタンとイラクに対する戦争が帝国主義の侵略戦争であり、その「帝国」と闘う、貧しく政治的、経済的権力を持たない世界の民衆への熱いメッセージに満ちた書である。
 

 アルンダティ・ロイ

 始めにアルンダティ・ロイの紹介をしておきたい。1961年11月24日、インド南部のケーララ州に生まれたロイは、デリーで建築学を学んだ後、シナリオライターなどを経て、最初に書いた小説「小さきものたちの神」で1997年のブッカーを受賞する。「ナマルダ救済運動」として知られるダム建設に伴う先住民の強制排除反対運動をはじめ、インド政府の核兵器開発、インド国内の新自由主義や宗教的・階級的・民族的排他性の興隆、ヒンドゥー・ナショナリズムやファッシズムの台頭に警笛を鳴らす。現在、ニューデリー在住である。

 この本を読んでまず感じることは、冒頭に示すように、9.11以降の米国とそれに追随する諸国政府への鋭い批判とともに、それに抵抗する政治的経済的権力を持たない世界の民衆の連帯運動への強いメッセージである。彼女には、世界の民衆(米国の市民も含めて!)の連帯を信じる心があり、「もう一つの別の社会」を創造しようとする人々を励ます暖かい心があるように感じられる。自分の内面に向かう内向きの視点ではなく、外、すなわち貧しく政治的、経済的権力を持たない世界の民衆に向かう視点に溢れているのであった。そのことは、イラク戦争の「勝利と終了」がアメリカ軍によって宣言された後、2003年5月13日にニューヨーク、ハーレムのリヴァーサイド教会での講演にはっきり出ているのである。

・・・アメリカ合州国政府より、もっと強力な組織があるとすれば、それはアメリカの市民社会しかない。
・ ・・何万という数のあなたたち、皆さんは日々加えられるプロパガンダの攻勢にここまで耐えてきて、そして自らの政府と闘っている。アメリカ合州国の凄まじい愛国心強要の雰囲気の中でそうした行動こそは、自分達の祖国を求めて闘うイラクやアフガニスタンやパレスチナの民衆と同じくらい勇敢なことではないだろうか。



 彼女のもうひとつの特徴は、軽やかに蝶のように舞いながら、アメリカの「空虚な民主主義」を徹底して叩き続ける語り口である。

・・・世界で最強の軍隊をもつ「民主主義」を率いる 法的に正当な手段で選ばれたのではない男ブッシュ。アメリカの最高裁が、その男に仕事をプレゼントしてやってなんとか大統領になれた。
・・・民主主義の名を騙ってあらゆる種類の暴虐が犯されている国、米国
・・・単なるお飾りになってしまった民主主義は見た目はきれいな貝殻のように、中身も意味もない。指導者がそれが民主主義といえばなんでもそうなってしまう。民主主義という「自由世界」の娼婦、着飾るのも、裸にされるのも言われるがまま、どんなお好みにも応じます。どうぞお好きなように使ってください、いじめてください。


 彼女の言い方を真似るならば、今の日本の状況はこんな風になる。
・ ・・日本政府は、とうとう、イラクへの自衛隊派兵をやってしまった。抵抗する民衆を虐殺する占領米軍を助けに、虐殺軍隊の仲間入り。無反動砲を担いで、米軍の尻を追いかけ、オランダ軍に護ってもらうんだと頭をさげつつ、安全な地帯に逃げ込んで「人道支援」やってますと銃を構えて、米英軍が破壊した街の復興事業のおこぼれ頂戴ってわけ。・・・

 彼女の声をもう少し聞いてみよう。
2001年9月11日のアメリカ本土への「自爆攻撃」を受け、「アフガン報復戦争」の危険が迫るなかでドイツの日刊紙に発表された文章。

まるで、わたしたちは、麻酔にかかったように、世界中のテレビの前で「不朽の自由作戦」の展開を見つめている。・・・アフガニスタンでいまだに取り立て可能な財産は、市民の命くらいだろう。(そのうち、五十万人が身体に障害を負わされた孤児たち。交通の不便な遠隔の村に空から義手や義足が投下されると、人々が不自由な足をひきずって殺到するという。)・・・ブッシュ大統領が世界に突きつけた最後通牒  「われわれ側につくのか、それともテロリストの味方をするのか」これほど不遜で傲慢な言葉があるだろうか。

 2001年10月7日に開始されたアフガニスタン空爆直後の10月23日、イギリスの全国紙「ガーディアン」に発表された文章。タイトル「戦争とは平和のことである」は、ジョージ・オーエルが1949年に書いた近未来小説「1984年」に出てくる、絶対支配権を握る「党」の三つのスローガンのひとつ。

ブッシュ大統領は(アフガニスタン)空爆開始を通告する際、こうおっしゃいましたね。「われわれは平和を愛する国だ」。アメリカお気に入りの特命大使、トニー・ブレア(ちなみにこの人にはイギリス連合王国の総理大臣という肩書きもあるそうです)も、オウムのように、繰り返す、「われわれは平和を愛する国民だ」と。 というわけで分かりました。豚とは馬のこと、女の子は男の子、戦争とは平和のことである。
 「テロと戦う国際同盟」とは、結局、世界のもっとも富裕な国々が徒党を組んでいるにすぎない。―――――ほとんどの戦争はこれらの国々が起こし、近代の歴史において、住民虐殺、奴隷支配、民族浄化、人権侵害を繰り返してきたのも、数え切れない独裁者や専制君主を支持し、兵器や資金を与えてきたのも、こうした国々。彼らだけが暴力と戦争と言う宗教を信仰し、神のように崇めてきたのだ。タリバンだってたしかに罪深いかもしれないけれど、どう見たってこれらの国々の残虐さにはかなわないでしょう?


 この本の最後は、冒頭にしめしたように、あのニューヨークのハーレムの教会で、米国民主主義に対する厳しい批判の言葉であった。

「民主主義――(帝国)の婉曲語法、」実は新自由主義的資本主義の事。自由市場によって、いちばん高い値を付けた者に売られる商品に貶められたとき、自由選挙、自由な報道、独立した司法こうしたものは本来の意味をほとんど失ってしまった。・・・・。

だからこそ、「闘うなら、今」と言って、反戦を叫ぶアメリカ市民を鼓舞する熱烈なメッセージを発しているのであった。

・・・歴史はあなたたちにその機会を提供しているのだから。
やるなら、今。



アルンダティ・ロイ

 私はこの本を読みながら、現在の日本における最も鋭い批評精神の持ち主の一人である作家、辺見庸のことを思い起こしていた。彼もまた、最近の著作「永遠の不服従のために」や「いま、抗暴のときに」において、ロイと同じように厳しい米国批判を述べている。

・ ・・・米国を中心とする巨大な国家暴力は、アフガンに対する攻撃を行ったが、これは、戦争ではない、米英の絶対暴力による一方的な虐殺であること、世界でもっとも多く大量破壊兵器を保有し開発している国家が、他国の兵器開発に難癖をつけ、その政権と民衆を大量破壊兵器をもって殺すことがなぜ許されるのかを問い詰める必要がある。・・・・・

 私は、街頭で戦争反対の署名活動や、デモ行進を繰りかえしながら、劣化ウラン弾によって苦しむ人々の写真を見たり、人間の楯となってイラクに行った人の話を身近に聞いたりしながら、そんな米国に追随して顕在化しつつある日本社会の体制翼賛的ムードに精神的な恐れを抱いていた。辺見庸はかつて、「ペン部隊」と称して、喜んで従軍記者となって南方へ行った作家たちの事を述べ、鋭く日本社会の現実を活写している。この状況に対抗する為、彼は、徹底的に「個」の立場に立って「俺だけは・・・・」の覚悟をもつべきだと自分を追い込むことによって、現実に対抗しようとしているが、内に向いたその先の展望は、暗く、重たい現実だけが残った読後感であった。

 徹底的に「個」にこだわろうとする辺見庸の鋭い批判精神に共感しつつも、私は、アルンダティ・ロイの本を読み終えた今、彼女の実に明るくて爽やかな言葉に大きな力を得たような思いになった。この明るさ、力強さは、いったい何処からきているのであろうか。

 ダム建設に伴う先住民の強制排除反対運動の、すばらしいルポルタージュ「わたしの愛したインド」でも、彼女は、貧しく力を持たないインド民衆の悲惨と抵抗を感動的に描き、インドの「力あるもの」への烈しい徹底した批判を述べている。暴力や愚かさそして大きな社会変化のうねりの中にある巨大なインドの作家なのである。この本をぜひ一度読んで、明るく、華麗な言葉で権力に対する徹底した批判を続ける彼女の精神を味わっていただきたい。


H.H