バークレーの友人からの手紙

− 政治風刺漫画家 Khalil Bendib 氏 −

■ここにあげるのは、バークレー在住の政治風刺漫画家Khalil Bendib氏からピース・ニュース宛に届いた手紙と、彼がイギリスの雑誌「New Humanist」紙のウエブサイト「The 5th Colomn」に掲載されたインタビュー記事の翻訳です。

■バークレー在住の政治風刺漫画家、Khalil Bendib氏の風刺漫画の本質を究めた鋭さと、一方での人間味あふれるユーモアはピース・ニュースも注目し、何回かのメールのやりとりのあと、氏の風刺漫画のピース・ニュースへの掲載の了解を得ました。

■最初のKhalil Bendib氏からのメールは、バーバラー・リーさん講演会のあと、彼がバーバラ・リー議員と同じバークレーに住んでいることを思い出して書いた、バークレーの市民運動の様子やバーバラ・リーさん自身についての質問の手紙に対する彼の返事です。バークレーがいかに先進的な運動を地域で行っているか、またその背景が良く分かります。

■2番目にあげた、インタビュー記事はイギリスのウエブサイトで紹介されたKhalil Bendib氏のインタビュー記事の翻訳です。彼の両親がフランスの植民地支配に抵抗したアルジェリア独立運動の闘士であったこと。その中で彼自身が「政治を母乳」のようにして育ち「生まれながらにして政治風刺漫画家」になったこと、9.11の前から既に始まっていた全米のマスコミの検閲の強化など、興味深い事実が語られています。


バークレーからの友人 
−政治風刺漫画家 Khalil Bendib 氏− からの手紙

バークレーの様子とバーバラ・リーさんについて質問した手紙に対する、
彼の
ピース・ニュース宛ての返事

再び連絡をいただいて本当にうれしく思います。
私たちの簡単な文通による協力は非常に気持ちの良い希望を抱かせるものです。あなたと、バークレーにおける最近のいくつかのイベント(今年、バークレーの平和と正義の運動(peace and justice movement)の調査に来た日本の代表団のような)に感謝します。私は今や、世界の平和に対する日本の運動についてより多くのことを知るようになりました。そして日本のような重要な(世界第二位の経済大国)国で、エネルギッシュで情熱的な人々が世界平和のために働いていることを知って非常に勇気付けられています。

そうです。バークレーはこれらすべての問題でのリーダーシップにより、世界に知れ渡っています。そして私がここに住んでいる理由もそのことからなのです。バークレーは、そこに住む大多数の人々が真剣に正義ということに関心を持ち、アメリカの帝国主義的な対外政策にうんざりしている、ただ1つの場所です。

こうしたことの主な理由は、この地にすばらしい大学(UCバークレー)があること、そして大衆の教育水準が国中でもっとも高いこと、そしてまたノーベル賞受賞者を世界で最も多く擁していることがあります。人口の43%が修士の学位を保持しており、彼らはより多くの情報を得てよく知っているため、マスメディアが国中で洗脳している宣伝を決して信じないのです。

重大な運動の中でここから始まったのは、
● 自由な発言運動(1964)
● 最初の公共(非営利の)放送(パシフィカネットワーク)
● ベトナム反戦運動
● ブラック・パンサー(近隣のオークランドで)
● 反アパルトヘイト不買運動
● 反核運動
● 広島・長崎への原爆投下に対する例年の抗議
● ヒッピー(バークレーとサンフランシスコ)
● 非喫煙、反タバコ運動
● 木と森を救う運動
● 世界中の川を救うための反ダム運動
● ゲイ自由化運動(サンフランシスコ)
● そして今、パレスチナ解放運動、イスラエルの経済ボイコットの熱狂
● その他

いくらでも続けることができます。しかし貴方(あるいは貴方の運動の誰か)がいつかこれらの全て運動を行っている人々と会い、貴方自身の目で見ることができればと思います。何人かは私は非常に良く知っています。バーバラ・リーはここでの多くの他の人々の間では1つの小さな声にすぎません。もちろん彼女を誇りに思いますが、彼女がとりわけて際立っているとは考えられていません。私たちのコミュニティでは極めて普通です。彼女の前任者(ロン・デリュマス)は彼女よりもいくらか際立っていて勇気があります。

バークレーの私たちは日本の進歩的な兄弟姉妹と会いより良く知ることができれば非常に嬉しいです。ベイエリアへのトラベルをアレンジすることを考えてみてください。歓迎します。

Khalil


Khalil Bendib interview
カリル・ベンディブ インタビュー


イギリスの雑誌「New Humanist」紙のウエブサイト「The 5th Colomn」より
 カリル・ベンディブ氏は政治を大いに楽しみ、
自由な言論を享受している政治風刺漫画家である。
彼はまた、9/11以降のアメリカ国内での検閲により封印されてしまう恐れのある政治風刺漫画家でもある。
彼が"The 5th Column(newHUMANIST紙の特集欄)"に語った。

のようにして漫画家になられたのでしょうか。

おそらく生まれながらにして政治風刺漫画家になったのだと思います;アルジェリア独立戦争の時に(辛うじて)生まれたのです。その時というのは、アルジェリアのコンスタンチンのフランス人警察長官が、フランス軍地方隊が処刑を予定している目だった住民の一員としてリストアップされているということを、私の両親に対して警告にやってきた時のことだったのです。

 私の両親はスーツケースに荷物をまとめるのもそこそこに逃げだしたのです。そして私は2か月後にパリで生まれました。実際に、政治は私の母乳のようなものです。両親はいつも独立戦争のことを話し合い、ラジオでニュースを追いかけていました。

 私はモロッコの首都ラバットの小さなアパートで勇敢なアルジェリアの兵士の絵を描いたことを覚えています。そこは、私たちがアルジェリア国旗に対して敬礼した(それは違法なことだった)ため追放された土地だったのです。振り返ってみると、あれが私の最初の政治風刺漫画であったと思います。私は3歳か4歳でした。

●政治風刺漫画家というのは何か特別なところがあるのでしょうか?

 ええ、私たちは政治にとりつかれています政治のことが頭から離れないのです。そして漫画を描くことは手段なのです−ペンはアパッチヘリコプターよりも強力だとは思いませんか?

●風刺漫画は何を解説できるのでしょうか−例えば−良く話題にのるエッセイが出来ないような、細菌テロによるパニックなど?

 その漫画が、重要な真実あるいは洞察をカプセル化することができれば、単純な文章では決してできないようなやり方で、強力で忘れられないものとなります。しばしばそれは真実へのショートカット(近道)を提供します。単純化したり(時には単純化しすぎてしまいすが)、誇張したり、ものごとの本質に突き進んだりすることによって。強いイメージは長い間人々の脳みそに突き刺さります。

●政治風刺漫画家にとって契約する、しないということの基準は何ですか? つまり、あなたの政治的立場は二の次にして、何か正当な取引といったものでしょうか?あるいは創造的な情熱にとっての本質的な燃料なのですか?

 多くの風刺漫画家にとってメディアは、何か意味のあることを表現するためのものというよりは、ほとんどユーモアと描画力を見せつけるための手段になってしまっています。悲しいかな、アメリカのメディアはどんどん独占化され、管理され、検閲され、退屈なものになりつつあります。

 私に関しては、答えは単純です。わたしの政治的見解を完全に表現していないものは何をも成しえません。「ハハ!風刺漫画」と私が呼んでいるものをやるだけというのは、私のやり方ではありません。検閲(とその悪魔の双子である自己規制)は今日のアメリカのメディアではごく一般的なことになっています。そして純粋な政治風刺漫画は非常にわずかしか残されていません。これらのことは非常に早く、ここ10年かそこらで起こったことだと言ってもかまわないでしょう。

●ビジュアルイメージは、何か特別のあるいは異なった形の検閲の支配を受けているのですか?

 はい、基準は非常に高いです。例えば、家庭の新聞では「ペニス」という言葉を使うことは出来ますが、描くことはできません。私はかつて、男がしおれたピストルをもっているところを描いて検閲に引っかかったことがあります。それはかなりあからさまにインポテンスの暗示をしていたのです。私の編集者にとっては−かなり心の広い男でしたが−それは慰めを言うしかないものだったのです。

●検閲されたのですか?

 ええ。だから私は独立したのです。そして定期的な企業からの支払いの保証から見捨てられました。この国で明らかにタブーとなっている特別な主題があります。イスラエルです。イスラエルをあまり批判しない方がよい。さもないとあなたは反セム主義者(「反ユダヤ主義」とも言われる。西欧において根強いユダヤ人差別の思想−訳者注)と見なされます。悪いことにはあなたが仮にユダヤ人であったとしてもです。しかし大金の利益を持ち出すと、大体いつも左翼(という批判−訳者補足)が出てきます。

個人的には、私はADL(いわゆる名誉毀損反対同盟−イスラエルの利益を最優先として持ち上げるシオニストのグループ)に付きまとわれて来ました。ロサンゼルスのUSCのキャンパスで80年代に漫画を始めて以来ずっと、そしてそれ以来どこであろうと、電話や手紙を編集者に出して私を首にするよう常に試みてきました。彼らのワシントンにおける巨大な影響力により間接的に私のアメリカでのメインの出版の広告収入を断ち切ることに成功しました。我々の輝かしいG.W.(ブッシュ−訳者注)大統領にイスラム教徒の2つの大きな基金の資産を凍結することを納得させて。その基金が私たちの宣伝(収入−訳者注)のほとんどを占めていたのです。

●検閲の一般化は、政治的パラダイムの変化と共に変わったのですか。世界的大事件は自由に物が言えるのフリーマーケットを一夜にしてこなごなにしたのですか?。つまり9/11以降の検閲のことを言っているのですが。

ええ、政治的状況は20年以上前の右よりにシフトしてきたと感じています。そしてそれは、予定していたわけではないのですが、結局のところ私の立場を左側へと連れてきたのです。私の書いた漫画はほとんど全て潮目に逆らっていました。たった数年前には中道的で受け入れられると思われていた私の漫画が、突然危険な、「左」、「平和主義者」、「非愛国主義者」と考えられるようになりました。それがこの国で、ほんのわずかしかジャーナリズムが残っていない理由です。:もうシステムに疑問を感じてはいけないのです。私はそれをジャーナリズムにおけるモニカ・ルビンスキー症候群と呼んでいます。もちろん9/11は事態を悪くしただけにすぎません、そして私のようなイスラム系アメリカ人にもっと偏執的になったのです。

●9.11以降の政治的なコメント、そして契約の変化はどんなものですか?

そんなに多くはありません。それまでよりも少しキーキー言う程度でしょうか。9/11以前に既に相当厄介でした。法人メディアの真面目なディベートでは、今日では極右と右との見解を対比させています。ありがたいことに、小さな雑多な進歩的メディア、それらは非常に優れたものですが、はうんざりするほどあります。そして私自身のような「破壊活動分子」的な姿勢を保持しているものも生き残っていて、反抗しています。

●あなたの意見では、自由な発言と自由な表現の拠点は何であると考えますか?

パシフィカと呼ばれる世界的なラジオネットワークがあります。それは1949年にスタートしたものですが、それは厳密にリスナーにより運営されており商業的なものではありません。私たちはバークレーにおいて3年間に渡って、政府と企業の勢力にのっとられないようにするためCAは闘わなければなりませんでした。ありがたいことに、長期間の草の根の情熱的な闘いにより、我々は勝利しそれを取り戻すことができました。「フリースピーチTV」と呼ばれるTVネットワークの雛もあります。そして極めて小さいけれども独立した先進的な毎週、毎月のネットが国中にあります。しかしそれらは収支を合わせるために、そして企業の宣伝のサイレンのような歌に屈服しないよう絶え間なく闘っています。

●自由な言論の促進のために貢献した独立の芸術家あるいは活動家を表彰するとしたらリストには誰を挙げますか?

躊躇なく、マイケル・ムーアを挙げます。「ラジャー・アンド・ミー」、「ビッグ・ワン」、「TVネイション」等々を製作した映画作家です。彼はヒステリックに面白く、政治的メッセージについては絶対に妥協しないという両面を持っています。非常に教育的でもあります。世界でベストです!