■反フセイン派でさえ、英国占領を拒否している!!

・・「サダム・フセインがいなくなったのは結構なことだ。しかしサダム・フセインは少なくともイスラム教徒であり、英国軍人は外国人だ。我々は彼らを受け入れない。」


 イラク南部のバスラでも、停電や燃料危機、そして外国人の支配に対してイラク民衆の抗議と抵抗が発生しています。
 高村衆院イラク調査団長は米英の占領当局の説明を受けて「スンニ派トライアングル」以外は非戦闘地域の可能性があるなどと無責任発言をしています。
 自衛隊をイラクに派遣して米英軍の支援をさせ、イラク民衆の抵抗を押さえつけるということは侵略行為そのものです。イラクへの自衛隊派遣をやめさせましょう。


憎悪渦巻くバスラの街、イラク人の激怒を買う英軍兵士

By Justin Huggler in Basra
バスラからジャスティン・ハグラー

The Independent 2003812より
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=43284より
翻訳ピース・ニュース


絶え間ない停電と燃料危機により激怒したイラク人が暴動を抑えようとする英軍兵士に対して投げつけた石と燃やされたタイヤで、昨日のバスラの通りはまだ散らかっていた。


少なくとも一人のイラク人抗議者が殺され ─誰がその弾丸を発射したかはまだ明らかではない− 国連の車が通りで待ち伏せされ、乗っていたネパール人の元グルカ兵が射殺されてから2日経って、町には平穏が戻っていた。しかし英軍兵士にとっては極度の緊張状態に置かれている。


暴動がどんなに深刻かは、誰に話を聞くかによって異なる。イラク南部を支配する英国占領当局に聞けば、ティーカップの中の嵐のようなものだということになる。しかし、バスラの通りのイラク人に聞けば違った話が聞ける。通りには怒りが沸騰している。


「2百万人のバスラ住民のなかの、わずか1000人が抗議に参加していたのだ。ここの人々に聞けば、英軍がここに駐留してインフラストラクチャ再建の援助をして欲しいと言うだろう。」と軍のスポークスマンのスティーブ・バードは言う。


しかしバード氏がバスラの治安状態が管理下に置かれていると強調しているその時でも、銃火のパンパンいう音が彼のオフィスの窓から聞こえるのである。

英国軍が防護を固める敷地の外では、アメリカ兵がハンビー車で到着する。イラク人の子供達はアメリカ兵に対し悪口を叫ぶ。子供たちは石を投げたいのだが、年配のイラク人が不安げに抑えてやめさせるのである。


「昨日来ていたら、あんたらを打ちのめしていただろとう思うよ」と地元のガソリンスタンドで並んでいたイラク人のマジド・アル・エイダニは私に語った。


「サダム・フセインがいなくなったのは結構なことだ。しかしサダム・フセインは少なくともイスラム教徒であり、英国軍人は外国人だ。我々は彼らを受け入れない。英国人はここに40年も居つづけられないことを知るべきだ。もし居続けようとするなら、追い出してやる。もし我々の立場だったら君はどうする?」と列に並んでいた別の男、ライス・アル・タイが言ってきた。


ここは、サダムの手による残虐と抑圧を受けたシーア派の中心地である。サダムがいなくなった事がここほど喜ばれる地はイラクのどこにもない。そして今に至るまで、アメリカ軍がバグダッドや各地で連日の攻撃を受けている一方で、英国軍は相対的な平穏を楽しんできたのである。


しかし英国軍は急速に友好的な態度を捨てつつある。英国軍は彼らの背後に影のグループが存在すると断言しているが、バスラで話をしたどの人も、暴動は自然発生的であると言う。英国軍は、暴動の背後に何者かがいると主張しているのだが。

24時間の停電と非常に深刻な燃料危機は、タイ氏が車に給油するのに12時間も並ばなければならず、それでも手ぶらで帰らなければならなかったと言うほど深刻であるが、これらすべてに激怒して人々が通りに出てきているのである。


電気と燃料がいかに重要かを理解するためには、バスラの暑さを考えてみると良い。今週、気温は50℃まで急上昇した。エアコンは必須である。電力がなくなれば、バスラ住人は家庭用発電機を頼りにする。しかし発電機を動かすのは燃料なのだ。今週、彼らは飲料水で冷やすようにしてきた。大きな氷のブロックを買いそれを家に持ち帰り飲料水を冷やしておくのである。


*昨日、米軍はバクバで日曜の夕方に爆弾による攻撃で1人のアメリカ人兵士が殺され2人が負傷したと述べた。5月1日に主要な戦闘が終了したと宣言されてから既に56名の米軍兵士が死亡している。