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前回のつづきで、ギル・アニジャールへのインタビューから。アニジャールはジョゼフ・マサドと同じコロンビア大学の中東アジア言語文化学科の教員ですが、こちらは宗教哲学や言語、文化などが専門。フフランスに移民したモロッコ系ユダヤ人の家庭に生まれ、イスラエルで宗教哲学や歴史を学んだ後、アメリカに留学してサイード等の思想に触れ、みずからの歴史を問い直すようになったと語っています。フランスでは同じモロッコ文化を共有するアラブ系移民とは別カテゴリーに置かれ、イスラエルでは欧州系ユダヤ人から差別される北アフリカ系でありながら、フランス国籍ゆえに別格とされるという彼の個人的な体験は、ここにももう一つの「OUT OF PLACE」があることを語っています。オリエンタリズム(イスラム嫌悪)と反ユダヤ主義(反セム主義)の歴史は重なっているというサイードの主張を引き継いで、アラブ人とユダヤ人の近親憎悪的な関係の背後には、彼らを神学政治的なラインに沿って統合・分離しようとするヨーロッパの強力な作用が働いており、現在パレスチナなどにみられる状況はこの第三のファクターを含めてとらえる必要があるとアニジャールは考えます。アラブ-ユダヤ問題をめぐるフランス国内の議論がどんな状況を前提としているのかについて、たいへんに示唆的です。
これもまた先のバリバールの文章を理解するのに役に立つでしょう。
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ギル・アニジャール:アラブとユダヤを引き離す力(インタヴューにもとづく編集) |
ヨーロッパ内部の衝動『オリエンタリズム』はすべてのはじまりとなった書物ですが、そこでの中心的なな主張の一つは、歴史的にみて、アンティセミティズム(反ユダヤ主義の問題とオリエンタリズムの問題は、じつは同根なのだということです。 この非凡な洞察を認知することは、イスラエルやパレスチナだけでなく、ヨーロッパにおいてもきわめて的を射たことです。ヨーロッパでは、イスラムないしアラブのイメージと、ユダヤ人のイメージがつねにむすびつけられてきました。この二つのマイノリティ集団の扱いは、想像された観念上のものとしても、現実に生きている人間としても、つねにむすびついているのです。分離されることはありませんし、もっと正確に言えば、分離はつねに戦略的なのです。そのことをわたしはサイードから学び、『ユダヤ人、アラブ人―』というわたしの研究書でさらに深くきわめようとしました。ユダヤ人とアラブ人の問題を、イスラエルパレスチナ問題を中心にとらえるのではなく、他の多くのところでもみられ、とくに今日のヨーロッパで顕著な現象としてとらえようとしているのです。 この二つのグループは、かならずしも二つと言えるわけではありません。なぜならアラブ諸国からやってくるときには、ユダヤ人もアラブだからです。でも今日のユダヤ人社会の中では、アラブ的なものは完全に切り離されます。アラブとユダヤは対立する関係ではなく、共通の歴史を持っており、それがヨーロッパの歴史において激しい感情的な反発を招きがちだという認識は欠落しています。イスラエル=パレスチナ問題は、こうした歴史の継続というよりも、それが招いた一つの結果ととらえるべきだろうというのがわたしの意見です。 サイードから学んだことは、まだあります。シオニズムが「ユダヤ人問題」をヨーロッパからパレスチナへ輸出するものだったことは、今日では誰もが認めています。けれど、それと並んでアラブ=ムスリム問題もヨーロッパから輸出されたことは、サイードが指摘するように、あまり認識されてこなかったと思います。それは聖地をめざすシオニストが引き起こした事件というだけの、ものではありません。ヨーロッパ内部の衝動、みずからの内にあるアラブ=ムスリム的な要素を、まるごとそっくり輸出してしまおうという衝動も働いていたのです。 ヨーロッパにアラブやムスリムが存在していることが語られるとき、その中傷的な論調には驚くべきものがあります。今もその異常さは少しも鈍っておらず、「イスラム台頭」論であれ「移民問題」であれ、あるいはトルコをめぐる論争などにも、はっきりとそれが出てきます。イスラム嫌悪の長い歴史、オリエンタリズムの長い歴史の繰り返しなのです。このような現象を認識し、それがどのようにイスラエルとパレスチナの問題に影響しているのか考えることが、サイードの仕事でした。 ユダヤ人をクリスチャン化するシオニズム「最後のユダヤ系知識人」という言葉には、もちろん隠喩としての面がありますが、同時にきわめて現実的で具体的な面もあります。シオニズムには、ユダヤ人をなにか別のものに変容させる、単純に言ってしまえば「クリスチャン」に変えてしまうような要素があるのです。 歴史的にはもちろん長期にわたるプロセスがあり、たんにシオニズムだけにかかわる問題ではありません。宗教改革や、ユダヤ人が「解放され」ヨーロッパ社会に同化された方法とも大きくかかわっているのです。政治的な権利について語る前に、そもそも聖書を重視することや、土地の重視というようなこと自体が、基本的にプロテスタントの神学者や作家によって発明されたものです。 そういうものがユダヤ人のあいだでも次第に多くの支持者を獲得していきました。それによって自分がなにか別のものに変わるため、別種のユダヤ人(シオニストの言葉では「新ユダヤ人」)になるためでした。もちろん、それが歴史の必定です──人々は変化し、変身していくものです。でもその変容の過程で、シオニズムはきわめて特異なものになったようです。ジュデイズム《ユダヤ的な精神や伝統、ユダヤ教》を打ち負かしてしまったからです。 そうしてシオニズムは、「ユダヤ人はヨーロッパに行き場がない」と唱えることにより、欧州における根深い反ユダヤ主義の伝統をも引き継いだのです。「ユダヤ人はヨーロッパから出て行くべきだ」と反ユダヤ主義者が言ったのと同じように、シオニストも「そうだ、ユダヤ人はヨーロッパから出て行くべきだ」と言ったのです。この関係がもっとも色濃く表れているのがテオドール・ヘルツルという人物、政治的シオニズムの創始者です。この問題は今日まで衰えることなく続いています。 イスラエルの内外の政府や諸機構が、国家の政策やイスラエルの人種差別に対する抗議を退けるために反ユダヤ主義のそしりを利用するとき、じつは自分たちも反ユダヤ主義とそっくり同じ論法をつかっているのです。イスラエルとユダヤ人を同一視し、シオニストとユダヤ人を同一視しているのですから。この区別が欠けていることが、シオニズムのそもそもの問題なのです。 シオニズムはユダヤ人が変身することを要求しますが、その変身によってユダヤ人はユダヤ人でなくなるのです。ディアスポラに生きることをやめ、2000年近く続いてきた文化様式に従って暮らすことをやめよと命じているのですから。このような干渉はそれ自体がユダヤ人の側の一種の自殺願望です。ユダヤ人がみずからであることを放棄し、何か別のものになるのです。「新ユダヤ人」になり、反ユダヤになり、イスラエル人になるのです。 でもそのような願望は根本的に失敗し、イスラエルは異常な国のままです。この国には、それが代表していると主張する人々は住んでいないのですから。だってイスラエルはイスラエル人の国ではなくて、ユダヤ人の国、世界中のすべてのユダヤ人の国でしょう? そうすると、究極的には、イスラエルは、国の外に住んでいる国民の国家だということになる。こんな国は、どんな政治哲学の立場からも、国際法からみても、その他どんな基準に照らしても、とても尋常とはいえません。 ですから、たしかにサイードはある意味で最後のユダヤ系知識人だったと思います。国家の枠の中に閉じ込められることのない存在、政治的にも、文化的にも、独自の生き方を貫徹したという点で、彼はユダヤ的な生き方をいま一度肯定して見せたのですから。これは重要なことです。シオニズムという国家建設の企てに自己同一化しないユダヤ人も多少は残っているのです。そういう人たちは、サイードを読んで、それが実際にはどういう生き方なのかを学ぶべきです。 アラブとユダヤを分離する西洋の作用わたしの政治思想はきわめて初歩的で単純なものでしたし、いまでもいろんな意味でそのままです。だからこそ、わたしは文学や宗教の研究が専門なのでしょう。でも、サイードの影響や多くの友人たちのおかげで、政治や歴史について自分がそれまでに教えられてきたものの考え方に、何かとても奇妙ところがあることに気づきました。 わたしが教えられた歴史では、ユダヤ人の歴史はアラブ人やパレスチナ人の歴史とは完全に別のものとして扱われていました。世界史からさえも切り離されていたのです。エルサレムでは、ユダヤ人の歴史はそれだけで独立した学科です。もちろん、ユダヤ人の歴史をもっと幅広い枠組みでとらえ、ユダヤ人が居住していた国々や諸民族の歴史の中に位置づけようとする優れた歴史家もいるにはいるのですが、彼らの業績も歴史記述の手法の進歩としてとらえられており、所与の事実を認識したものとはみなされないのです。そんなことは、よく考えればほとんど意味をなしません。 知識人や作家のなかには「アラブ系ユダヤ人」という言葉を使う人たちがいます。彼らがそうすることはたいへんにもっともなことだと思うし、魅力的なことばだとは思うのですが、わたしはいくつかの理由からそれを使うのにはためらいがあります。主義の問題ですが、この言葉を使う可能性(というか不可能性)の歴史はとても長く、困難なものだったことを懸念するのです──これも最初はサイードから学んだことです。今日、自分はアラブ系ユダヤ人だと名乗ることは、その言葉をつかうこと、そのような観念そのものが、過去1500年にわたって西洋キリスト教世界において、どんなに不可能であったかを軽視することになると思うのです。 むろんアイデンティティによるカテゴリー分けなんて、過去においては何の意味もなかったでしょう。でもたとえ分析的なカテゴリーの話としてみても、ユダヤ人とアラブ人の「関係」などというものは、両者がかならずしも別々のものではないのだから実は成立しないし、単純に連結させることもできないことを理解しなければなりません。ですから、この二つの言葉を分離しつづけようとする力の存在を認識することが重要なのです。 西洋は莫大な資源をつぎ込んで、世の中には「ユダヤ人とアラブ人」あるいは「ユダヤ教徒とイスラム教徒」というものが存在しており、両者の間には埋めがたい溝がよこたわっているとのだと主張してきました。もちろんわたしは両者が同じものだと言いたいわけではないのですが、ただ両者を引き離そうとして働いている力があまりに強大なので、いったいそれはなんなのだろうと、もっと深く考えてみる必要があると思っているのです。 フランスでは、北アフリカ移民とユダヤ人は別カテゴリーフランスは、その歴史において、きわめて重要な位置をしめてきました。実際、ユダヤ人とアラブ人の分断を理解しようと思ったら、フランスの役割は欠かすことができません。その役割は西欧キリスト教世界とイスラムが出会ったときから始まっているのです。 困難のひとつは、わたしたちが使う(というか欠けている)語彙に関係しています。今日でさえもそうなのです。フランス語では、パブリックな言説のなかでマグレブ人、つまり北アフリカからの移民やその子孫が言及されるとき、そこにユダヤ人は含まれていないのです。フランスのユダヤ系住民の6割から7割が北アフリカの出身なのですよ。にもかかわらずフランス語で北アフリカ系の移民とかマグレブ人というような言葉を使うとき、ユダヤ人のことはまったく考慮する必要がないのです。すごいでしょう。 もう一つの故郷喪失国から国へと自由に動き回ることは、あきらかに人によっては贅沢なことです。サイードはそれをよく承知していました。自分自身は難民ではなかったと彼は言っています。個人としてたいした苦労もなく、どこへでも行くことができたからです。そういう体験がどこまで一般化できるのか、わたしにはわかりません。 「世俗批評」のようなテキストには、とても興味深い記述があります。彼は知識人のあるべき姿として、世界中どこにいても自分の場所と感じるようでなければならないと言います。でも次のステップは、彼自身がそうであったように、世界中のどこにいても自分の場所とは感じないことだというのです。これは批評の視座としてはきわめて豊かなもので、すぐにも飛びつきたくなりますが、同時にまた、恐ろしい苦痛の源ともなりうるとわたしは理解しています。 どうしたら彼が記述するような「体験」が一般化できるのか、わたしにはわかりません。というのは、人が自分の場所にいると感じないというとき、そこには少なくとも二つの相容れない立場があると思うからです──そんな状況にどうして追いやられたのか、自分の世界からどのように追放されたのかという点について。 わたしの念頭にあるのは、アルジェリアなど北アフリカ出身のユダヤ人が経験した植民地主義のことです。現地人が自分の生まれた土地から引き離されて、「お前たちはここの人間ではない、フランス人になったのだ。フランスの市民権が与えられたのだ」と告げられたような経験です。 アルジェリアのユダヤ人は、たとえ土着の一族であっても、みなフランス人になりました。ベルベル人のユダヤ教徒には例外もありましたが、基本的には現地のユダヤ人は大挙してフランス人となりました。とつぜん格上げされて、土地のものではない、なにか違うものになったのです。 植民地支配が終わり、どちらにつくのか決断を迫られたころには、アルジェリアのユダヤ人たちはすでに完全にフランスという国に自己同一化していました。ですからたいていの者は、ここを去るべきだということに疑問を抱く余地はなかったのです。でも生まれ育った土地から引き離されることは彼らが選択したことではありませんでした。当時はそれが得策だったのかもしれませんが、一部には抵抗するものもいたのです。経済的には移動した方が有利でしたし、他の条件でもおおむねはそうでした。 それでも故郷を失うことにかわりはありません。引っ越したわけでもないのに突然よそ者にされ、自分の過去がすっかり書き換えられてしまったのです。そこには『アウト・オブ・プレイス』的な側面が存在したのです。本来の自分の場所でないところにいるという、サイードが語るときに立つ位置を、わたしはよく知っています。 でも、それが一般化できるものかどうかはわかりません。自分のあるべき場所から外れていると感じるのには、少なくとも二つの場合があり、この概念が一般化できない理由はまさに、それらが二つの別々のものであり、互いにまったく相容れないものだからです。 |
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