シェイダさんを救え!ニュース・アップデイト 第5号 2000年10月13日発行(不定期刊) 発行元 チームS・シェイダさん救援グループ
編 集 チームS・電子オフィス |
今号の目次 (1)ニュース速報・シェイダさん第一回口頭弁論の日程決まる! (2)シェイダさん嘆願書を法務省に提出 (3)「国際協力フェスティバル」参加体験記
<速報1> さる7月4日、法務省はシェイダさんの難民申請に対して、これを不認定とし、特別在留許可も与えないという決定を下しました。さらに、退去強制令書の交付を行い、シェイダさんの退去強制の執行を開始したのです。 これに対して、シェイダさんは難民不認定に対する異議の申し出を行うと同時に、退去強制手続きについて、東京地方裁判所に行政訴訟を提起しました。この行政訴訟は、名目としては「退去強制令書交付等取消訴訟」といいます。 法律的にいうと、難民性があり、特別在留許可を受けて日本に在留するのが適切であるシェイダさんに特別在留許可を与えず、退去強制令書を交付して退去強制の執行手続に入ったのは違法であるとして、退去強制令書の交付を取り消し、在留権を認めさせることを要求する訴訟です。これに勝訴すれば、シェイダさんの在留権は晴れて認められることになります。 その第一回口頭弁論の日程が、ついに決まりました。 日時 11月20日(月)午前10時30分〜 場所 東京地方裁判所 第606号法廷 チームSでは、法廷後に報告集会を開催することを計画しております。具体的なスケジュールは、決まり次第お知らせします。ウィークデーの昼間ということで、時間的に厳しい方も多いかとは思いますが、ぜひとも法廷に足を運んで下さい。法廷を満員にして、裁判官・法務省に対して、多くの人がこの裁判に注目しているのだというメッセージをともに送っていきましょう。 <速報2> 10月6日、外務省はイラン大統領セイエッド・モハンマド・ハターミー師が10月31日から11月3日までの4日間、公賓として来日することを発表しました。 ハターミー師は1992年までイスラーム指導相を務めた後、1997年に改革派の「闘う聖職者協会」系の候補として大統領選挙に出馬、「法の支配」と既成の宗教権力による停滞の打破を訴えて保守派の候補に圧勝、大統領に就任しました。 その後、イランではハターミー師ら改革派と、司法部や治安部門、革命防衛隊などを握る保守派の対立が激しくなり、1999年7月には、保守派による新聞「サラーム」の強制閉鎖に対する学生を中心とした大規模な抵抗運動が起こりました。 ハターミー政権自体は開明的であり、保守派との対決も実際に行っているところから、欧米諸国からは高い評価を得ています。しかし、実際のところ、1999年に死刑が執行された人の数はアムネスティの推計で165名以上にのぼっており、90年代中盤より多くなっている現実があります。また、改革派・保守派の対立の中で、保守派の秘密部隊や保守派に近い民間暴力組織によると思われる謀殺事件なども頻発しており、ハターミー政権がイランの全権を掌握しているとはいえない状況にあります。そもそも、イランの現体制はホメイニー師以来の「イスラム法学者による統治」(ヴェラーヤテ・ファギーフ体制)で、現在の最高指導者(イスラム法学者)は保守派に近い立場をとるハーメネイ師であり、軍が大統領ではなく最高指導者に直属しているなど、大日本帝国憲法下の日本のような統治システムになっています。このようなことから、欧米諸国に拠点をおくイラン人亡命者の組織の中は、ハターミー政権の性質に関わらず、イランの現体制を国際会議などから排除するようによびかけているグループもあります。 同性愛者に対する処遇については、ハターミー大統領が就任した1997年以後も、同性間性行為を行った容疑による死刑や、むち打ち刑などの残虐刑が相当数行われていることが報告されており、同性愛者政策が変化する兆候は今のところ、見られないといってよいでしょう。 ハターミー師の来日で、イランでは改革や民主化が進んでいるといった報道がなされることと思われます。しかし、それは一面の事実ではあるにしても、未だに死刑や残虐刑、秘密部隊によるテロなどが横行し、さらに、同性愛者や女性、また政治的・宗教的少数派に対する抑圧が当然のこととしてまかり通っている現実があることに目を背けてはならないと思います。シェイダさんが祖国に帰れない現実が、イランには未だに厳然として存在しているのです。 「チームS」では、ハターミー師の来日にあわせて、集会の開催やマスコミに向けた声明の発表などを行っていくことを検討しています。詳細はまたお知らせしますので、ぜひともご注目のほどお願い申しあげます。
「チームS」では、本年8月より、シェイダさんの難民認定と仮放免(強制収容を解くこと)を求める嘆願書を集めてきました。9月末までの1ヶ月半の間に、難民認定については224通、仮放免についてもほぼ同数の嘆願書が集まったことから、これを第一次集約として、法務省に嘆願書を提出してきました。ご協力を頂いた皆様、本当にどうもありがとうございました。 仮放免に関する嘆願書は、シェイダさんの主任弁護士を通じて、仮放免を直接管轄している法務省東日本入国管理センター(茨城県牛久市)のセンター長に提出しました。 難民認定に関する嘆願書については、10月10日(火)に、福島瑞穂・参議院議員の紹介により、「チームS」のメンバーおよび支援者5名で、法務省入国管理局に直接提出を行いました。 当初は、法務省ロビーで担当者に直接提出して終了という形になるのではないかと考えていましたが、予想に反し、法務省側は一階の陳情室で、私たちと意見交換を行う時間を設定していました。しかし、「難民認定」に関する嘆願書の提出であるにも関わらず、出てきたのは上原・入国管理局警備課長はじめ、「仮放免」を担当する警備課の面々。私たちは、多少めんくらったものの、頭を切り替えて、仮放免のあり方についての質問や、シェイダさんの仮放免の必要性や、現状の収容状況の改善についての要請を行いました。 シェイダさんは、逮捕された4月22日以降、約半年にわたって入管局の収容施設に収容され続けています。イランでの同性愛者への迫害から逃れて日本に入国したという事情から考えて、そもそも収容は不適当です(実際、自ら難民申請を行った人に対しては、オーバーステイであっても、その場で仮放免手続を行い、強制収容はしないのが最近の慣例となっているようです)。また、長期間の収容で、シェイダさんの体調も万全の状態とはいえないのが現状です。 このようなことから、私たちは、シェイダさんの一日も早い仮放免と、収容中の待遇改善を担当者に強く申し入れました。法務省側からは、積極的な答弁はありませんでしたが、これまで仮放免された人の人数などの基礎的なデータについては調査・開示することを表明しました。 「チームS」では、現在も難民認定・仮放免に関する嘆願書を集めていますので、ぜひともご協力のほどよろしくお願い申しあげます。
10月7日(土)、8(日)の2日間、チームSでは東京・日比谷公園で行われた「国際協力フェスティバル2000」に参加して、シェイダさんのゲイ難民問題をアピールし、難民認定・仮放免を求める嘆願書への署名を訴えてきました。 「国際協力フェスティバル」というのは、10月6日の「国際協力の日」(というのがあるそうです)に合わせて、主として南側諸国での様々な援助活動をしているNGOや青年海外協力隊OBグループ等が活動紹介や物品販売のブースを出しているイベントです。 確かにシェイダさんは外国人だし、この問題はもちろん「国際的」な問題でもあります。でちょっと、毛色というか、方向性が違うのでは?難民関係のイベントならともかく、なぜ「国際協力フェスティバル」でシェイダさんのことを?と考える方もいるかもしれません。 これには訳があります。実はシェイダさん本人とチームSのメンバーが、昨年の同じ会場で行われたこのフェスティバルに参加していた、という経緯があるのです。東京の、ある同性愛者が呼びかけた人権問題を訴えるNGOが昨年このフェスティバルにブースを出展し(今年は不参加)、シェイダさんとチームSメンバーはそこのブースで同性愛者の人権、PHA(People living with HIV/AIDS)の人権を訴えていたそうです。 さて、今回のフェスティバルへの参加は、ほかの市民団体の方々の暖かいご協力があって実現できたものでした。チームSでは上述の経緯を踏まえ、このフェスティバルでシェイダさんの現状を訴えることを考えました。しかし、今年のフェスティバル開催を私たちが知った段階で、すでに出場は締め切られていたため、独自でブースを出したり、きちんと会場でアピールすることは難しい状態でした。 それでも、何ていうか、昨年本人が実際に来ていた場所でもあり、もしかしたら昨年のことを覚えている人がいてシェイダさんのことに関心を持ってくれる可能性があるのではと思い、何とかこのイベントに「食い込め」ないかと、開催ぎりぎりになってフェスティバルへの各参加団体に、「昨年このフェスティバルに出たイラン人同性愛者が現在オーバーステイで収容され、母国での同性愛者への迫害をまぬがれようと法務省に難民認定申請をしています。そのための嘆願書やちらしを置かせてもらえませんか?」 と連絡してみました。 そうしたところ、参加団体の一つである市民活動を支援するWEB活動をしているNGOのJCA-NETの方からご協力いただける旨のご返事をいただき、急遽JcaーNetのブースに間借りして、嘆願書署名を訴えること等ができた次第です。 ところで、肝心のフェスティバルの様子を一言で伝えようとすると―”楽しい”(+おいしい+ためになる)−イベント、それに尽きるでしょうか? 100以上のグループなどのブースがそれぞれの地域ーアフリカあり、南アジアあり、東南アジアあり・・・ーやテーマー保健、金融、医療、教育、開発、技術、人権、子ども、女性、他ーのことを紹介し、現地の人々が作ってフェアトレード(搾取なき公正な取り引きを目指す貿易活動)で流通させている衣類・雑貨・葉書き・お茶・飾り物・そして活動紹介の書籍・パンフetc...を扱って実に多彩でした。が、何といっても人気を一番に集めていたのは、カレーやナン、点心といったおなじみのものを始め、ピーナツベースのベジタブルスープ、カバブ(羊肉の串焼き)等々の「エスニック」フード&ドリンクのコーナーでした。(いったい何人くらいの人が来ていたのでしょうか? 代々木公園での8月27日のゲイ・レズビアン・パレードが2000人以上ということでしたが、このフェスティバルは2日間ともに午前中から夕方まで人の流れが尽きないのです。) そんな雰囲気ののなかだったので、「日本国内」で起こっている「外国人」「同性愛者」の人権の問題をアピールしているチームSのブースは、異色といえば異色だったのかもしれません。しかしふたを開けてみると、30人以上の人が嘆願書にその場で署名をし、ちらしも用意した分は、はけてしまいました。特に若い人たちの反応がポジティブだったのが印象に残っています。 会場内では、先述のJca-Netブース内以外に、「アムネスティ・インターナショナル日本」のブースに、シェイダさんの嘆願書ちらしを置いていただいていました。こちらでちらしを手に取っていく人は、若い女性の人が多かったとのことでした。 中には、チームSの「ゲイ難民シェイダさんを救え」の表示を見て、「ゲイだってっ」と、捨て台詞のように言いながらいく人もいましたが・・・。 ブースにいて、「はっ」と不思議に感じたことがあります。それは昨年のこのフェスティバルのブースで、当のシェイダさんは一体どんな心持ちでいたのかな?ということです。 一日目、一人の黒人男性がチームSのところに立ち寄って、ちらしを少し読んでから持っていったときにそんなことを感じたのです。私はこの黒人男性が「どこの人なのか」「宗教は何なのか」「アンチゲイの人ではないのだろうか」という怖れを感じました。(まさにその怖れゆえに、会話を交わそうとはしなかったので、本当のことはわかりません。)なぜなら、私は彼がフェスティバル会場にいる黒人であることから「アフリカ」という地域〜フェスティバルでは地域的としてアフリカとネパール系のブースが目立っていました〜を連想し、そこからアフリカ諸国での同性愛者が置かれている厳しい状況〜TV番組の「ここが変だよ日本人」でのゾマホン氏の発言に表われているような〜を思い浮かべ、この人は一体どういう立場でこのちらしを見ているのか?がひどく気になったのです。 シェイダさんが昨年ブースに立っていたとき、そこを通りかかった人たちは、彼の風貌から彼が外国人であることはわかったと思います。そして一方そこでは同性愛者の人権が訴えられていました。その状況でそこを通る人々は、シェイダさんのことをどう見ていたのでしょうか?そしてシェイダさんはその時に、そこを通る人が彼のことをどう見ているのか?について、どう感じていたのでしょうか?後者については今度機会があったら本人から聞いてみようかと思います。 もう一つ、印象に残っていることがあります。会場で若い男性が、「『日本国内』のことで活動しているグループを探しているのですが、どこか知りませんか?」と声をかけてきたのです。国内での国際協力。「遠いと思われていたこと」を時には「自分のこと」のように想像し関わっていくことは、人々が「共に生きていく」ために不可欠のことですが、「自分の足もと」で起こっている「ひとのこと」を問い直していくのも、やはりそうなのではないか?と改めて思いましした。 〜ジョン・レノンの誕生日の翌日に〜 (T) 電話 070-6183-5165(田中) FAX 03-3330-0324 メールアドレス cbo51340@pop12.odn.ne.jp(庄子) シェイダさん救援グループHP http://www.fairy.net/~power/teams.htm |