資料から明らかになったことを年表にしましょう。
1965年 久志湾(辺野古)に飛行場建設調査(資料3)
66年 2月 天願桟橋を拡張布告
(同じ年、浦添軍港計画開始)
天願桟橋
68年 1月 浦添軍港計画図を作成させる(資料1)
70年 5月 浦添軍港建設を日本政府の予算で建設
させるようにとの米軍秘密電報(資料2)
71年 8月 米軍は天願桟橋拡張を断念
72年 5月 本土復帰
74年 1月 移設条件付で那覇軍港全面返還を合意
(第15回日米安全保障協議会)
この米軍の主張による「浦添軍港建設」密約は、まとまったものと思われます。なぜならば、米軍は1971年8月に天願埠頭の拡張をあきらめ、復帰直後の74年1月には、移設条件付きで那覇軍港の返還を合意しているからです。このように浦添への軍港建設は米軍の30年におよぶ長期計画なのです。
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