ドレスデンの最後、二人でフラウエンキルヒェ(聖母教会)を訪れた。
ドレスデンは今回の旅行で最も冷え込んでいたし
(風が冷たかった・・)少し疲れたので
教会目の前のカフェに入る。
まだこの時点でも、私はフラウエンキルヒェの
歴史と凄さに気付かされてはいなかった。
カフェの上にあるおもちゃ?が
ドイツっぽいような。( ^^)r
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フラウエンキルヒェの全景模型。
一日も早く元の姿を見たくて、これを飾っているのだろうか。
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黒い部分は、以前からあった石。
使えるものは最大限用い、白っぽい石は
新たに組み合わせて途方もないパズルのような
復興運動をしている。
完成予定は、建都800年にあたる2006年だそうだ。
それでも技術の力が進歩しているので、
中世の頃のように数十年・数百年は
かからなくなったのだろう。
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外に展示されていた写真。
戦災の様子が非常によく分かった。
第2次大戦後間もなくして、ドレスデンは旧東ドイツになったので
この教会もかなり長いことこのままで放置されていたようだ。
東西ドイツの統合後、ようやく復興の動きが始まる。
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聖堂内部の様子。
この教会は、実はJ.S.バッハとも深い関わりがある。
写真右側に写っている大オルガンは
名器ジルバーマンオルガンで、
J.S.バッハが生存中に演奏をしたという!
戦争の被害を受けるまでは大切に残されていた
楽器が、一夜にして破壊された・・。
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この光景を見た時、大きなショックと感動を受けた。
現在建築中の聖堂と、その前に立ちはだかる
ルター像、そして金色の十字架。
ドイツ人の不屈の魂のようなものを見せ付けられた。
ギリシャの作曲家で建築家のヤニス・クセナキスという人がいる。
彼の存在を、先日初めて知った。
彼は戦時中に顔に傷を受け、今もその傷跡が顔に残っている。
しかしこの傷は彼にとって、とても大切なそうだ。
戦争を「生き残ってしまった」ものとして
同士への償いの気持ち、そして戦争を決して
忘れないために傷の手術を受けないのだと言う。
フラウエンキルヒェのまだらな模様を見て、
そんなことを想い出した。
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こちらは数年前の工事の様子。
まだ建物がほとんど出来ていない。
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金色の十字架も、爆撃でこんな哀れな姿だったのだ・・。
この十字架は、2000年に英国から寄付されたそうである。
「軍事的に無意味だった文化都市への空爆に対して、
補償を行いたい」というドレスデン基金によって。
ドイツ人は、「忘れない民族」なのかもしれない。
自己の過ちを忘れない、そして他者の過ちも忘れずに
深く心に刻み込む・・。
●現在のフラウエンキルヒェン建築の様子は
こちらのサイトで見ることが出来ます。
ドレスデンに関しては、以下のサイトがお薦めです。
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