ジョー・ワイルディング
原文
2004年4月22日
「これが私のハネムーンです」とヘバは言った。バグダッドのアル=アメリヤ地区にある第24防空壕の混みあった通路でのことである。一カ月前に結婚したばかりのヘバは、拡大家族とともにファルージャを逃れてきた。「絶えず爆撃がありました。眠れませんでした。眠りに落ちても、悪夢で目が覚めるのです。家族みんなが一つの部屋に集まり、待っていました」。
「ファルージャよりもここの方がましです。爆弾の音は聞こえますが、遠くですし、そんなに多くはありません。でも、ここには水がないので、飲んだり、料理に使ったり、体や服を洗う水を手に入れるために、外に出なくてはなりません。氷も買います。冷蔵庫も扇風機もエアコンも発電器もなく、私たち全員でストーブが一つあるだけです。トイレのためには庭に出なくてはなりませんが、夜にはそれは問題です。私たちが買った氷で、みんな、下痢してしまいました」。
「私は新婦ですが、一つも服を持ってくることはできませんでした」。プライバシーのかけらでもあるかのように・・・。18家族の88人が戸口から突き当たりの台所までの狭くて長い通路に置かれたマットレスの上にすし詰めになっている。台所からは、お茶と甘いゴマビスケットが運ばれてくる。ヘバの叔父を追悼するものだ。
ヘバの叔父は一週間前、バグダッドに着いた翌日に亡くなっている。ヘバの父ラビーアは、弟は悲しみのあまり死んだのだ、と言っている。家族の身元を証明する書類はすべてファルージャにあるので、家族は病院から彼の遺体を連れ戻すことができなかった。ラビーアは病院で働く医者の友人と話をし、彼らの助けで、家族は翌日になってようやく遺体を手元に戻すことができた。
昨日、彼は息子の二人を家族とともにファルージャに送り返したが、息子達は夕方7時に彼に電話をかけてきて、帰ってこないよう伝えた。状況は以前よりも悪化している。ファルージャから出ようとしているが、すべての道が閉鎖されている。彼の甥は今日、家族とともにファルージャに戻ろうとしたが、やはりすべての道が閉鎖されていることを知った。「今や、ファルージャに住むみんなが牢獄に入れられた状態です」。
これらの人々の話は、ほかの何千人もの人々の話と同じである。イラク赤新月社の事務局長ファリス・モハメドは、最近の戦闘の中、ファルージャに暮らす30万人のうち約65パーセントが家を離れたと考えている。家を離れた20万人のうち、ほとんどがバグダッドをはじめとする各地の拡大家族のところに身を寄せたり、スペースに余裕のある他人の家に身を寄せている。約200家族はホームレス状態にある。
「爆撃のために、ファルージャを出ました」とラビーアは語る。「子どもたちは怯え、夜通し泣き続けていました。4月9日にファルージャを脱出しました。親類の多くが車を持っていましたが、ガソリンを手に入れるのが困難でした。18人の家族全員を集めて、検問所で待っていました。アメリカ人は、私たちを消耗させるために、炎天下で何時間も待たせたのです。子どもたちはお腹を空かせて泣いていました。それから、アメリカ人は、私たちが通るべき道を変更し、長い横道を通れと命じたのです」。
「みんな、ばらばらの時間に到着しました---検問所で車の中で寝て、翌朝バグダッドに着いた人もいました。米軍は、車一台につき、若い男性は運転手として一人しか通さなかったのです。それも、老人男性がいないときだけ。若い男たちが検問を通れなかった家族は、川を通ってきました。燃料も水も発言機も病院もありません。家族が生きていくことはできないのです」。
末っ子のムスタファは11歳で、毎晩泣いて目を覚ます。爆弾が落ちてくる、と叫んで。ミルークは、こうなっているのは自分たちの息子だけではない、と言う。子どもはみんな、悪夢を見ている。彼女の義理の兄の子どもは、歩きながら眠り、家に帰りたいと言っている。ミルークの娘の二人、ザイナブとマハは、学校を辞めることにした。マハは血圧に問題を抱え、汚染された水のために細菌性腹痛を抱えている。
ハディルという名のファルージャ出身の看護士が彼女らを訪問し、必要な薬のリストを手渡し、妊娠している女性に注射を打ち、胃潰瘍の薬を処方した。彼は薬局を経営しているが、すでに手持ちの薬はすべて寄付してしまった。ラビーアは赤新月社に助けを求めたが、まだ何も手にしていない。自費でトイレを作ったが、お金ももうあまり残っていない。
ミルークの姉サブリヤはシュアラ地区で障害を抱える人たちに教えている。彼女は、一連の戦争のため、結婚しなかった。「戦争は、若さを食い尽くします。大学にいたとき、男女の調査をしました。そのとき男女半々くらいでしたが、今は、たぶん、女性が10倍も多いのです」。
「説明することはできません。絶望的な気持です。どんな未来になるか、わかりません。人生は変わり、状況は落ち着いて、この戦争がイラクで最後の戦争だと思っていました。彼らは、平和と人権を与えに来たと言いますが、今、私たちには、それが嘘だったことがわかります。彼らはイラクを理解せず、そのために紛争をもたらすような問題を引き起こすのです。復興すると言いながら、破壊しています。せめてきれいな水と電気があればいいのに」。
どこに行っても、聞く話は同じである。女性たちは消沈しており、子どもたちは疲れ切っており、ファルージャに戻ろうとする人々は道路が閉鎖されていることを思い知らされ、今もファルージャにいる人々はファルージャから逃れようとして、やはり道路が封鎖されていることを知る。
ファルージャから逃げ出してきた家族のためにイラク赤新月社が新たに作ったキャンプの白いテントの一つに、二人の男性と二人の女性、そして8人の子どもが座っていた。40家族が登録しているが、下水がないため、今のところこのキャンプにいるのは、この2家族だけである。キャンプのマネージャ、カシム・レフテーによると、ユニセフがそれを整備すると言ったが、今のところユニセフは姿を現しておらず、問題は解決されていない。今は、キャンプとして使われているサッカー場に隣接する学校のトイレを使う許可をもらっている。
空襲で近所の何人かが殺されたあと、拡大家族の48人がファルージャを逃れてきた。「親戚の二人が殺され、私はこの手で二人を埋葬しました」とアディルは語る。「病院に行くことができないので、殺されない場合でも、怪我人は家で手当をしなくてはなりません。でも、薬がないので、怪我人も死んでいきます」。
「救急車が怪我人を連れ出しに来ようとしても、米軍は救急車を撃つのです。アメリカ兵がある男性を撃ったところを私は目撃しました。誰も彼を助けに来ることができなかったので、彼はその場に朝から晩まで置き去りにされていあのです。アメリカ兵は救急車に向けて撃ちました。兵士たちをみることができました。建物の屋上にいたのです」。
「何度も救急車が撃たれました。救急車を見るたびに、アメリカ兵は狙撃していたのです。アメリカ兵たちは、ミナレットを占拠さえしました。市場に行こうとしていた女性と子どもたちの家族に向けて発砲し、殺しました。25人からなるある家族は、アメリカ軍が家を爆撃したため、皆殺されました。戦闘機がその家に向けてロケット弾を発射しているところを見たのです」。
彼らの家は、大規模爆撃を受けたシャヒード地区にあった。政府の病院も同じ地区にあり、いくつかの報道が言うように破壊されてはいなかったが、米兵が閉鎖していた。彼らがファルージャを逃れたときは爆撃が激しく、ファルージャに持ち込まれた援助物資も配達されることができなかった。車で町を離れるときも、ロケット弾が発射されているのを見た。
子どもたちも無気力状態だった。13歳のラサは私にはにかんだように微笑みかけてきて、年長の子どもたちがいなくなったとき、私の所にきて一緒に座り、どうして? と訊ねてきた。「どうしてアメリカ人は私たちの家を壊すの? ここはアメリカ人の国じゃないのに。どうして私たちの町を侵略するの? アメリカ人は、私たちをホームレスにして、家から家へと助けを求めるように仕向けた。爆弾が昼も夜も爆発して、ファルージャから逃げ出す必要のある人たちを連れ出すために、みんなバグダッドから車を持ってきた」。弟のハディルはたった4歳だけど、路上でおもちゃの銃で遊んでいたのを見た米兵が家を襲撃し捜索したので、もうアメリカ人への憎しみを身につけた。サラは怒りで一杯だった。
小さな子どもたちから微笑みを引き出すためには、しばらく時間がかかった。受け取った援助物資をほかの人たちが見に行っている間に、私は彼らにピエロの服装を着せて、シャボン玉をふいて、風船の動物を作った。しばらくの間目を丸くして座っていたハディルとハムーディは近くによってきた。緑色の服を着ていた小さなムスタファも。ハムーディがまずシャボン玉をふいた。顔にシャボンがはねて、表情が変わった。戻ってきた大人たちも、子どもたちが輝くシャボン玉の中で踊っているのを見て、表情を緩め、微笑んだ。
「道路封鎖が解かれたら、私たちは戻ります」とサラの母エマンが言う。「ここの生活はみじめです。赤新月社は私たちに親切ですが、仕事がありません。男たちにさえ、仕事がないのです」。
赤新月社は4月9日以来ファルージャに食料と医薬品を提供していたが、ファルージャを逃れた何百人もの人々のためにキャンプ設置を決めた。「私たちはナイヤ地方をその場所に選びました。ファルージャの南約7キロの場所です。けれども、キャンプを設置しようとそこに行ったときには、既にそこも戦闘地域でした。さらに10キロ南の、ファルージャから17キロ南にキャンプを設置しようとしましたが、今度はそこまで戦闘が広がりました。戻ったときには、既にテントの一部は焼き払われていました」とファリス・モハメドは説明する。
「道路近くを選ぼうとしましたが、今のような状況のとき、道路の近くでは、ゲリラが道を通る米軍に向けて発砲し、米軍が応戦するのです。そうしたわけで、バグダッドにキャンプを設置することにしました。ファルージャから離れた場所に」。
彼は、赤新月社の救急車が武器やゲリラを運ぶために使われているという米国の主張は完全にデタラメだと確固として主張した。赤新月社では行方不明になった救急車はなく、武器の移動に救急車を使ってはいない。戦闘の中、ファルージャを出入りすることを許可された唯一のイラク組織は赤新月社である。水曜日までは、いずれの側からも問題はなかった。デュバイからの物資が来た水曜日までは。「私たちは物資をすぐさまファルージャに送りましたが、アメリカ兵は、すべての車両は、それぞれについて、24時間前までに許可が必要だ、と言ってそれを送り返したのです」。
家に戻ったとき、ライードが、ファルージャに行ってから初めて顔色が戻ったね、と言った。「子どもと遊んでいたんだろう」と。その通り。それが功を奏した。暴力がすべてに浸透し始めていた:同じ通りに住むカールとほかの子どもたちは、朝、私たちが出かけるとき、人質ごっこをやっていた。アフメドが片手でカールの目をふさいで、もう片方の手で喉を掻き切るようにしていた。
ニュースでは、ファルージャでさらなる戦闘があると言っている。
ジョー・ワイルディングさんは、英国ブリストル出身(まあイギリス人やね)。2003年6月に法律学士号を取得。弁護士資格の準備中。イラクに対する経済封鎖の影響に関心を持ち、2001年、経済封鎖に反対する英国の団体「荒野の声」使節の一人としてイラクを訪問。2003年2月、オブザーバとしてイラクを訪問。2004年にもイラクを訪問し、現在バグダッドに滞在中。イラクからの情報を伝える記事を執筆するほか、英国とイラクの学校間協力の確立、トラウマを受けたイラクの子供たちのためのサーカス上演(Circus2Iraq)、英国政府によるイラクの人々に対する人権侵害の欧州人権裁判所への告訴、イラクの草の根組織の援助に従事している。ホームページはhttp://www.wildfirejo.org.uk/。Circus2Iraqのホームページはhttp://www.circus2iraq.org/
4月10日・11日、ファルージャを訪問し、怪我人や病人の救出にあたるとともにファルージャの状況を紹介(「ファルージャの目撃者より」)、また13日から15日にも再びファルージャに戻り救援活動を試みている(「ファルージャに戻る」)。ワイルディングさんの報告を含む『ファルージャ 2004年4月』が現代企画室から出版される予定。また、ここで紹介した報告の続編は、nofrillsさんのホームページで近々紹介される予定。
27日夜から、米軍は、A130攻撃機や戦車砲でファルージャへの攻撃を開始しました。既に多くの情報源から、ファルージャで米軍が行なっている虐殺については明らかになってきていますし(犠牲者の数が本当にわかるのはずっとあとになるでしょう)、毎日新聞や東京新聞などでは、米軍の大本営発表以外の情報が掲載され、少しずつ状況が大手メディアでも伝わり始めているようです。
情報が錯綜していますが、28日付英BBCは、米軍戦闘機がファルージャの「反乱部隊の疑いのある地帯」に弾丸を撃ち込んでいるとのこと。ある目撃者は、その夜、1分に10発の割合で爆撃があり、足下で地面が揺れている、と。ファルージャの外に駐屯する米軍のところにいるBBCの記者ジエニファー・グラッスは、米軍司令官は、この作戦を「防衛的性格のもの」と語ったという。
また、目撃者によると、28日、ファルージャを逃げ出そうとする民間人を満載した車に検問所で米軍が発砲し、車は火に包まれた。イラク警察のフアド・アル=ハムダニは、これにより4人が殺されたと発表した。「防衛的性格」を持つ、米軍の攻撃。
突然、自分が住む町に、武装した大集団がやってきて、小学校を占領し、反対行動を行なった非武装の住民に発砲して虐殺する。傭兵を雇い入れて、住民を侮辱し、連れ出して尋問し、拷問する。ついに住民の一部が武器を手にして立ち上がると、それを「テロリスト」と呼んで大規模な空爆を加え、ほかの住民も殺す。「停戦」と称して空爆は止めるけれど、怪我人を助けに行く救急車は狙撃し、狙撃兵が「夢のように」喜んで自分の腕前を発揮し、人々を殺す。
その上でまた、「停戦」と称して、その間に、自分の町や家族を守るために武器を手に取った人々に武器を放棄するよう要求し、「もしお前たちがテロリストなら、期限は明日までだ」と脅迫し、爆撃を加える。自らの殺人行為を「防衛的性格」と言いながら。
毎日新聞4月29日付によると、米国は海兵隊をファルージャから撤退させ、イラク人治安部隊を投下する予定とのこと。ただし、英BBCによると、ペンタゴンは、それについては知らないと否定。手先とする現地の治安軍に住民の弾圧を行わせる戦略は、ラテンアメリカで、J・F・ケネディがラテンアメリカ諸国の軍隊を「国内治安」向けに大改造して以来、40年間米国がラテンアメリカをはじめ色々なところで使ってきた戦略ですが。
小泉首相の言葉:「我々はイラクで人道復興支援をしてるんですよ。戦争をしているわけじゃない」。「イラクのサマワで復興支援にあたる自衛隊は・・・・・・」。「国際社会の一員として、イラクの復興に・・・・・・」。占領軍の指揮下に入り、武装米兵の輸送まで行う自衛隊。
広島県選出の柏村武昭参議院議員は、26日に開かれた参院決算委員会で、イラクで拘束された人たちに対し、「自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。仮にそうなら、そんな反政府、反日的分子のために血税を用いるのは強烈な不快感を持たざるを得ない」と発言しました。
イラクで起きていること、それに対して米軍が発表している厚顔なコメント、日本政府のコメント、あまりのことに、大声で叫びたくなるのは、私だけではないでしょう。また、無力感に教われることも。でも、一部の新聞は、少しずつ、情報を伝えるようになってきています。丁寧にそれらを応援し、新聞に投書し、米国大使館などにきちんと電話をして抗議の声を伝え、回りの人々にも伝えていくこと、大きなことは出来ないと思っても、無力感に捕らわれず、少しずつできることをやっていきましょう。
イラクからの、イラク人自身の声としては、バグダードバーニングそしてRaed in the Japanese Languageもご覧下さい。また、関連する情報としては、TUPや反戦翻訳団のページをご覧下さい。
抗議の意思表示をしたいとき、ジョージ・W・ブッシュ米国大統領のホワイトハウスのFAX番号は、
+1-202-456-2461
米国の国連代表部のFAXは:
+1-212-415-4443
国務長官には、
http://contact-us.state.gov/ask_form_cat/ask_form_secretary.html
からメッセージを送ることができます。
東京の米国大使館政治部の電話番号は、
03-3224-5330です。
大阪で、5月1日、米軍のファルージャ・ナジャフでの住民殺害に抗議し、医療支援カンパを求める緊急アクションがあるようです。
[行動予定]
5月1日(土)
午前10時30分〜11時 在大阪アメリカ総領事館前
(できるだけ15分前に集合してください。)
午前11時15分〜12:15分 大阪駅前歩道橋でビラまき・医療支援カンパ活動
行動予定は変更になる可能性がありますので、直前のホームページでご確認下さいとのことです。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/actions/actions_top.htm
大阪付近の方、よろしければどうぞ。また、大阪駅前歩道橋を通りがかった方、カンパだけでも。
なお、1週間程、ページ更新ができなくなるかも知れません。