イラク占領と「対テロ戦争」

ノーマン・ソロモン
ZNet原文
2003年11月20日


ロイター通信は、どちらかというと独立した通信社の一つである。それゆえ、最近のロイター発ニュース---イラクにおける米軍の行動をこともなげに「米国の対テロ戦争一般」の一部であると述べている---は、米国政府の高官たちが口にするレトリックの圧力体制が、主流派メディアのニュース報道を強力に支配していることを示している。

ペンタゴンがイラクで「対テロ戦争」を戦っているとまるで事実であるかのように伝えるこうした報道は、イラク侵略占領に明らかな悪をやり過ごそうと決意しているブッシュ政権にとって、ジャーナリズムからの大きなプレゼントである。

イラクにおけるブッシュの斥候兵ポール・ブレマーは、11月17日NPRの「朝版」番組で、最後に次のように言っている:「大統領は、個人的にも公にも、他の問題に、我々がここイラクで目標を達成することを妨げさせはしないことについて、我々は仕事を終えるまでここに留まり、兵力規模は現地の状況と対テロ戦争によって決めるという、確固たる態度である」。

その直後に、ブレマーのボスたちの多くが、同じ台本から言葉を読み上げた。

マクドナルドの食べ物[ママ]を売るときも、ジェネラル・モーターズの車を売るときも、米国政府の戦争を売るときも、プロパガンダの効果を挙げるためには不可欠である。ブッシュのプロモーターたちは、倦むことなく、イラクに対する戦争を、対テロ戦争として描き出している。そして、プロモーターたちが、ニュース報道から提供される支援に感謝していることは疑いない。

米国市民に対しては、イラク占領と「対テロ戦争」のあいだの神話のような関係が演じられている。11月半ばのCBSニュースの世論調査では、回答者の46パーセントがイラクでの戦争は「対テロ戦争」の中心であると答えている。マイナーなものと答えたのが14パーセント、35パーセントは、別の問題であるとみなしている。

これに関する認識の変化は、ブッシュにとって選挙で決定的に重要である。かなりの程度---とりわけ心理的なレベルでは---ブッシュはイラク侵略を対「テロリズム」の行動として売ってきた。占領をそのようなものとみせるたくらみが成功するならば、第二期で大きく有利になるだろう。

ブッシュ政権が2001年9月11日にニューヨークとワシントンで起きた出来事やアルカイーダをサダム・フセイン政権と関連づけるよう示唆したり関係があると直接断言してきたにもかかわらず、信頼できる証拠は全く何一つ現れていない。

「テロリズム」という言葉が、ある国を不法占領している軍兵士への攻撃をも含むほど広い意味で使われるならば、この言葉はプロパガンダの道具以外の何物でもないことになる。

米国[及び日本]のニュース報道は、占領軍の日常的な行為がもたらす人道的帰結---そしてテロ---を浄化する。11月19日、米軍は、バグダッド北東30マイルの地点に2000ポンドの爆弾二発を投下したと発表した。一方、北部キルクークの近くでは、米国空軍が1000ポンドの爆弾を---「テロリストの標的」に投下したとある米軍オフィサは記者団に語った。

こうした米軍の攻撃によって殺されるイラクの人々の大部分は、外国の軍隊に占領されたときの米国市民と同様に「テロリスト」ではない。けれども、米国のニュース・メディアは、ときに、米国という占領軍のハイテク兵器について述べるときに賞賛の気持で有頂天になるのである。

11月17日、ニューヨーク・タイムズ紙の一面最上段に、バグダッド上空にいるブラックホーク・ヘリから巨大な武器の狙いを下に向けて付けている砲兵隊員の写真を掲げた。写真の下には、このような米軍の軍機をイラクで最近失ったことを嘆く記事が掲載されている。「2週間のうちに」、「かくも優美に颯爽たる雄姿を示して飛んでいたブラックホークとチヌックとアパッチは脆弱なものになってしまった」。

「優美」で「颯爽」たる!誰が書いたかを明示しないままに、これらの言葉はニューヨーク・タイムズ紙が出した死の機械に関する記事に登場した。最上の記者水準を体現しているとされるニューヨーク・タイムズ紙に。けれども、この公式記録の新聞から、訂正を期待するのは無駄であろう。

ノーマン・ソロモンは「Targeting Iraq: What the News Media Didn't Tell you」の共著者。


単純な歴史的事実があります。占領が終われば「テロ」と呼ばれているものも終わること。一方で、「テロ」が終わっても占領は終わらないこと(これについては、「占領とテロ」もご覧下さい)。また、イラク占領について、「ブッシュのイラク占領」もご覧下さい。事実関係を明晰にせず、「テロテロ」と叫びたてる日本のメディアも米国のメディアも、この点では、暴力を断固として擁護する側にまわっています。

野崎昭弘著『詭弁論理学』(中公新書)という本に、興味深い記述がありました。

まず、ある負けず嫌いの大学生S君と著者が東京の私鉄の特急で次の駅までの時間を議論したときのエピソード(著者は飛ばされる駅一駅につき2分もかからないと主張)。
私は手をかえ品をかえ、「この前乗ったときは・・・・・・」とか「この線は駅の間隔が短いから・・・・・・」などといってみたのだが、S君の返事はいつも同じだった。

「いやあ、2分以上はかかりますよ」

一言一句変わらないところが、絶対の自信をあらわしていて、腹立たしいやらおかしいやら・・・・やがて電車は次の停車駅についた。そこで一駅あたりの平均所要時間を計算してみると、果たせるかな、1分50秒と出た。そこで、私が相手をなぐさめるつもりで「だいたい2分でしたね」といったところ、S君の返事がふるっている。

「いやあ、平均1分50秒でしたよ」

彼の顔は、つねに自信にみちていた。

そのほかの興味深い例の紹介と分析ののち、野崎氏は、「強弁術」の要諦を次のようにまとめています。

 (1) 相手のいうことを聞くな。
 (2) 自分の主張に確信を持て。
 (3) 逆らうものは悪魔である(レッテルを利用せよ)。
 (4) 自分のいいたいことを繰り返せ。
 (5) おどし、泣き、またはしゃべりまくること。

野崎氏の議論は、今回紹介した記事、そして現在進行中の事態をめぐる「政治家」たちの議論に妙に通じ合うところがあります。せっかくなので、ブッシュ、ブレア、小泉の各氏について、この無茶苦茶な「強弁術」度を採点してみました。

 ブッシュ (1)○ (2)○ (3)○   (4)○ (5)○(おどし)     5点満点
 ブレア  (1)○ (2)○ (3)○   (4)○ (5)○(泣き・しゃべり) 5点満点
 小泉   (1)○ (2)○ (3)△注1 (4)○ (5)△注2        4点

注1:小泉氏の場合、「逆らうものは悪魔である」という主張は、「ブッシュ様は神様である」というところから、間接的に継承するかたちをとる。

注2:小泉氏の場合、「しゃべりまくれ」ではなく「しゃべるふりをせよ」。「サダムが見つからないからといってサダムがいないとは言えない」という詭弁を揚々と使って悦に入るところに、それは典型的に現れている。

優等生しか、「大国」のトップにはなれない、ということでしょうか。これらの者たちが米国・英国・日本でそれぞれ政治的なトップの立場にいること。しかも自分の主張に自信を持って(むしろこれらの者たちが自信を持っているのは主張の不在に、でしょうが)。

ひたすらに下品で、あまりに、異様なまでに惨めで、恐るべきまでに空虚な政治状況。知性と理性と言語の、徹底的な崩壊。

その陰で、徹底的な人間の軽視、殺害、破壊、人権侵害が進められています。今ほど「理性のつぶやき」が必要とされていることも珍しいと思います(それだけでは十分ではないでしょうが)。声を挙げること。例えば、市民意見広告運動への協力や励ましなど、わずかでもできることは、色々あります。

益岡賢 2003年11月23日 

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