私の孫は、ウォマック軍医療センターで昨年12月に生まれた。このセンターは現在の米国で最も優れた医療センターの一つである。分娩出産室は多くのホテルの部屋よりも素敵で、ケアと注意は極上だった。軍の医療ケア---現在馬鹿げた私営化の圧力に晒されている---は、上質のサービスと利益がしばしば対立するものであることを示している。
私の孫がそこで生まれたのは、その父親つまり私の息子が軍の一員としてこの上質のサービスを受ける資格を持っていたからである。私の息子は今ユーフラテス川沿いのもと宮殿で、そもそも彼がそこにいるのを望まない何百万人という人々に囲まれ、5、6週間かかる郵便を待って、やってくる迫撃砲に耳を澄ませながら、惨めな生活を送っている。彼が帰ってきたときに彼のことを知らないであろう自分の息子---私たちの孫---の写真を眺めながら。
私の孫は完全だった。祖父母の決まり文句として言っているだけではない---むろん私のオフィスも家も孫の写真で溢れているので、その面もあるが。孫が完全だというのは、つまり有るべき部位がすべてあり、相互に調整とれて機能しており、医療関係者の言葉でいうと成長が正常に進んでいるということである。彼は素敵な肺と波止場労働者のような手を持って生まれてきた。彼は決して具合悪くならないようだし、全ての人、音楽、リス、通り過ぎるバイクに関心があるようだ。風が顔にふきかかると恍惚とするようで、興奮するとうなって音をたてる。
私はこの子供を狂おしいまでに愛しており、恥知らずに甘やかしており、既に本を一冊彼に捧げており、そして私はもっと孫が欲しいと思っている。さらに3人の孫を。
マクシーン・ウォータース議員が組織した最近の議会聴聞会で、私自身も含めた10人の軍人の家族が、ブッシュフェルドの戦争に対する反対を証言した。その後一緒に夕食を取っていたとき、若い軍人の妻が私に、自分と夫---夫は今イラクにいる---は子供を作らないと決めたと言った。それ以来、我々「今すぐ兵士の帰還を」に参加している我々は、軍人のカップルから同じことを沢山聞いた。劣化ウランを心配しているのである。
私の孫は歩くことを覚えつつあり、とても注意深い。注意して努力する必要がある。けれども、彼は9カ月まで生き延びるのに大手術は必要なかったし、甲状腺なしで生まれてきたり頭にドレーンを差し込む必要があったり消化管がつながっていないで生まれた子供のように専門家の群を必要ともしない。
こうしたことは、イラクの子供たちには、本来よりも遙かに沢山起きている。そして、今イラクに駐留している米軍兵士の子供たちにも起きるかも知れない。軍人のカップルの多くが子供を作らないと決めているのは、そのためである。以下は、「今すぐ兵士の帰還を」のホームページに出された手紙の抜粋である:「私の夫と私は子供を持たないことに決めました。イラクで私たちが晒された何らかの物質が出生異常を引き起こすことを恐れています。この戦争は私の生活を逆さまにし、将来永年にわたって人生に影響を与えています」。
自分はそんな臆病ではないという人々は、イラクにおける「極端な出生異常」の写真がいくつか掲載されているこのサイトを見て欲しい。軍人のカップルが表明しているのは非理性的な恐怖に過ぎないとお考えにならないように指摘しておかなくてはならないが、こうした出生異常は恐るべき比率で起きている。
私はこうした写真を見るのを好む。というのも、我々のいわゆる「報道」が採用している「不快な」写真を見せないという礼儀のセンスは、服従の一形態だからだ。戦争は不快/攻撃である。戦争を理解したいなら、遺体を見る必要がある。戦争を支持する人々は、それを見るべきである。同様に、兵士たちの体に何が起きているかの真実を理解したいならば、これらのひどい異常を抱えた子供たちを見るべきである。我々は、死んだ人々の写真、手足を失った人々の写真、異常を抱えた子供たちの写真を報道する必要がある。米国兵士のものも含めて。そして、しょっちゅう報道する必要がある。そうしないのは否定に過ぎない。
そして、劣化ウランが恐ろしい異常を引き起こす大きな要因となっているということを否定している唯一の人々は、米国と英国の政府にいる者たちだけである。そしてこれらの者たちが、イラクで劣化ウラン兵器を使っているのだ。何と驚くべきことではないだろうか!
けれども、軍縮研究センターのロス・B・ミルカリミは「この地域のまだ生まれていない子供たちが最も高い代償を払うよう求められている。DNAの健全さの代償を」と述べている。これは1992年に発表された報告であり、概ねイラク人に対するものであるので(人々はそう考えた)、ここ米国では問題ではないように思えた。DUの研究をしている西洋の人々でさえ多くそう考えたのである。この事実に目を向けよう。経済制裁による何十万人というイラク人に対するゆっくりとした殺害---その飛び抜けて多くが子供だった---は、アメリカ人の憤激を引き起こさなかった。米国国務長官マドレーヌ・オルブライトは、公の場で犠牲者の人数を突きつけられたとき、その代価は払うに値したと述べている(人種差別主義が米国の外交政策と国内政策にどれだけ影響しているかについてここ米国でほとんど議論がないことは全く驚くべきことに思われる。けれども、実際のところ、現実に目覚め他の人々と分かち合っている人間性を理解するために、人はしばしば自ら攻撃にさらされなくてはならないようである)。
軍は、劣化ウランや殺虫剤をしみこませた制服、防虫剤、毒ガス、十分な試験をしていない予防注射の怪しい混合が、それぞれだけでもそして重なっても危険でありうることを非常に良く知っている。こうした人々は、必要な3年、6年あるいは20年間、自業自得の結果を招く前に軍から搾り取り、それから、米国政府全体による有能な助けによって、自分たちの責任を否定できるかどうかという賭けをしているのだ。
私が知っている人の中で、「私はここに自分のDNAの健全性を放棄します」と言う契約にサインした者はいない。けれども、まさにこれこそが彼らがなしたことであるように思われる。二人目の子供が欲しいと私の息子が言ったとき、私は何を彼に言うべきだろうか?
ワシントンDCに10月25日集結しよう。乱暴に怒りを込めて。礼儀正しさなど不要だ。そして、上記のウェブサイトの写真をpresident@whitehouse.govに送ろう。
スタン・ゴフは"Hideous Dream: A Soldier's Memoir of the US Invasion of Haiti" (Soft Skull Press, 2000)の著者で、"Full Spectrum Disorder" (Soft Skull Press, 2003)の近刊が予定されている。「今すぐ兵士の帰還を」の調整委員会の委員で、米軍特殊部隊の退役一等曹長、また現役兵士を息子に持っている。「今すぐ兵士の帰還を」のメールはbthn@mfso.org、スタン・ゴフのメールはsherrynstan@igc.org。
反戦兵士の声は、これまで、兵役を拒否した海兵隊員、イスラエルの兵役拒否者から米国の兵役拒否者への手紙という兵役を拒否した人の情報を2つ、米軍兵士の異論というイラクで軍務についている兵士の声を紹介してきました。
日本では政治家や自衛隊上層部が、自らの犯罪をやらせる兵隊として自衛隊員をイラクに送り込もうとしています。憲法に反して自衛隊が送られようとしてるところはどんなところか、一部メディアが「イラク解放」と宣伝した「解放」がどんなものであるか、そして何よりも、イラクの人々にこうした苦痛を課すことに平然と協力しようとしている政治家たちがどんな人間であるか。また、イラク侵略を止められなかったことが何を意味するのか。この記事でリンクされているページの写真を見て、そんなことを、また、「経済制裁で50万人から100万人のイラク人(とりわけ子供)が死亡」という情報に含まれる一人一人はどんな生活をしていたのだろうと考えます。
2003年9月25日、パレスチナ系米国人のエドワード・サイードが亡くなりました。色々な人が色々なことを書くでしょう。雑誌の特集号も組まれるでしょう。本屋さんによってはコーナーが設けられるかも知れません。私的なことですが、私は、サイードの著作がとても好きです。