対イラク戦争に対する米国で最初の良心の兵役拒否者が、4月2日の朝、カリフォルニアの海兵隊基地に出頭する。彼は、この戦争は「私たちの指導者が行っている偽りのため、不道徳である」と信じている、と述べた。
この海兵隊員はステファン・イーグル・ファンク(20歳)で、戦闘任務のためにイラクに送られる予定だった海兵隊予備兵であり、現在、所属部隊から「許可されない不在」(UA)という状態にある。彼は、この行為により、軍法会議にかけられ、軍事刑務所に服役する可能性がある。
「私はUAによって処罰されることを知っています」とファンク氏は、当局に出頭する前にガーディアン紙と行ったインタビューで語った。「けれども、人生の残りの時間を、イラクでやることになるだろう事柄を抱えて生きるよりも、処罰を受けることを選びます。この戦争が悪しきものであると知りながら派遣されるというのは、偽善的なことでしょう」。
シアトル出身でフィリピン人の血を半分引き継いでいるファンク氏は、昨年、軍のリクルータから接触を受けた。当時、彼は南カリフォルニア大学ロサンゼルス校の生物学専攻からドロップアウトしたばかりで沈んでいたと自分で振り返る。動物病院とペットショップでアルバイトをしていた。
彼の家族と友人たちは、彼が海兵隊に入ると聞いて驚いたという。というのも、彼はリベラルな政治的見解を持っており、これまで軍隊には関心を持っていなかったためである。
「私はどこかに所属したくて、そして人生で別の道を見つけたかったのです。そして、軍隊はそれを提供してくれるように思いました」とファンク氏は語る。「リクルータは、私はのちに復学できるだろうと言ってくれたのです」。リクルートされた新兵たちは、服務を終えた後には、大学の学費を支払ってもらうことができる。
「軍の宣伝は、とてもカッコよく見えます。『ここに電話連絡してもらえれば、無料でボクサー用トランクスを2着プレゼント』といった感じです。多くの若者は、実際にそれがどのようなところなのか知らないのです」と彼は言う。彼は過酷なことで有名なサンディエゴの海兵隊ブート・キャンプを卒業し、12週間の研修期間にライフル狙撃で優れた成績を残したが、この訓練機関に軍について疑問を持ち始めたという。
「毎日、戦闘訓練では、『殺せ!殺せ!』と叫ばなくてはならず、そうしないと罰を受けます。私は、問題に巻き込まれないよう、しばしば口まねだけをしていました」。一対一の戦闘訓練で、新兵たちは、お互いを傷つけるよう奨励された。「私にはそれができなかったので、訓練間たちは、私を、とても暴力的で攻撃的な人とペアにさせました」。
ファンク氏は、新兵の多くが、湾岸に派遣される同僚を羨んでいたと語る。「たとえば、こうした新兵達は、『私にかわって殺してきてくれ、ああ羨ましい』といったことを言うのです」。
訓練期間中も日曜日にはほとんど教会に通っていたカトリック教徒であるファンク氏は、自分の司祭に悩みを相談することにした。「彼は『軍にしたがって権威に疑問をもたないほうがはるかに簡単です』と言いました。彼は、聖書の一節を引用して、私に『イエスも剣を持て』と言っています、と言いました」。
「けれども、私は、イエスが暴力的な人物だったとは思いません。逆だと思っています。そして、神が戦争の側に立つとも思いません。派兵から逃れるのは無意味であると誰もが言いました」。
射撃練習でファンク氏の成績は良好だったが、訓練官は彼の態度に問題があるとした。「ちょっと嫌気がさしていたので、『人々を殺すのは悪いことだと思います』と言いました。これまでこの考えを口に出したことはなかったので、このときにはっきりしたのです。とてもほっとしました」。
彼はイラク紛争の理由について考えはじめた。「この戦争は、指導者の偽りのために、とても不道徳で、とても偽善的なものです」と述べる。彼は、問題を解決する方法として戦争を用いることに反対している。
「戦争は破壊と暴力と死をもたらすものです。年輩の人々が仕組んだ戦争で実際に戦うのは若者たちです。戦争は答えではなく、戦場となった大地の破壊に過ぎません。私は戦争が悪しきことだと知っています。けれども、軍のほかの人々は、戦争はオーケーだと考えるようプログラムされているのです」。
ファンク氏は、1991年の湾岸戦争時の良心的兵役拒否者に相談し、軍隊に参加する理由をよく考えていない若者達を思いとどまらせるために人々の前に出たと述べた。「軍が欲しているのは、単に数字だけです。私は、人々に、選択肢を秤にかけてみるよう教育しようとしているのです。学校に行くために十分なお金を得る方法はたくさんあります」。
「私の母には、入隊が上手くいかないだろうという本能的な感覚があったようです」と彼は付け加えた。どのような処罰が科されるか、まだわかっていないが、「それについては、受け入れようと思います」と述べている。
4月2日の朝、彼は、弁護士と前回の戦争の際の良心的兵役拒否者に付き添われて、サン・ジョゼの自分が属する基地に行き、軍服に着替えて、出頭することになっている。
インディメディア・ジャパンに、米国大使館へこの件について意見表明を、および本人に激励のメールを、という記事がありました。